The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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栗田 芳宏
栗田芳宏(Yoshihiro Kurita)
1957年、静岡県生まれ。
96年「カッコーの巣の上を」で演出家デビュー。97年吉田鋼太郎と共に「AUN」を結成。現在、新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」のアソシエイト・ディレクター。
主な演出作品『ピエタ』『大正四谷怪談』『リア王』『オーファンズ』『リチャード三世』『カッコーの巣の上を』『ハムレット』『モンテ・クリスト伯』、りゅーとぴあプロデュース作品ミュージカル『ファデット』、ミュージカル『家なき子』、『ビリーとヘレン』、劇団扉座創立20周年公演『フォーティンブラス』など。
横内 謙介
横内謙介(Kensuke Yokouchi)
1961年、東京都生まれ。
神奈川県立厚木高校在学中に高校演劇をはじめ、処女作『山椒魚だぞ!』で演劇コンクール優秀賞を受賞。早稲田大学在学中の1982年に劇団「善人会議」を旗揚げし、物語性に富む、個性的なキャラクターの登場する作品を発表する。93年、あえて劇団制にこだわり、再スタートを切る意味で、劇団名を「扉座」に改名。「観やすい、楽しい、分かりやすい」作風で、職業劇作家として幅広く活躍し、市川猿之助率いるスーパー歌舞伎や商業演劇にも作品を提供している。テレビのパーソナリティやワークショップの指導者としても活躍。『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』で岸田國士戯曲賞受賞。スーパー歌舞伎『新・三国志』で大谷竹次郎賞を史上最年少で受賞。

リア王 影法師
新潟市民芸術文化会館プロデュース
りゅーとぴあ能楽堂
シェイクスピアシリーズ
『リア王-影法師-』
© Niigata City Performing Arts Center

作/W・シェイクスピア
翻訳/松岡和子
構成・演出/栗田芳宏
作曲・演奏/宮川彬良
衣裳/時広真吾 ヘアメイク/我妻淳子 プロデューサー/笹部博司
出演/白石加代子 ほか
企画・製作/りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)
2004年12月 新潟公演:りゅーとぴあ能楽堂
2004年12月 東京公演:梅若能楽学院会館
2005年1月 大阪公演:大槻能楽堂
2005年1月 名古屋公演:名古屋能楽堂
マクベス
新潟市民芸術文化会館プロデュース
りゅうとぴあ能楽堂
シェイクスピアシリーズ
『マクベス』
© Niigata City Performing Arts Center

作/W・シェイクスピア
翻訳/松岡和子
作詞/岡本おさみ
台本・演出・振付/栗田芳宏
音楽/宮川彬良
プロデューサー/笹部博司
製作/りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)
2004年5月 新潟公演:りゅーとぴあ能楽堂
2004年6月 東京公演:銕仙会能楽研修所

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an overview
Artist Interview
2005.3.16
A meeting of Eastern and Western classicsThe Noh-staged Shakespeare of Yoshihiro Kurita  
東西の古典の出会い栗田芳宏が仕掛けた、能楽堂のシェイクスピアシリーズ  
新潟市民芸術文化会館プロデュース「りゅーとぴあ能楽堂 シェイクスピアシリーズ」は三間四方の和の空間に洋のドラマを融合させ、新しい古典の可能性に挑んだ意欲作。台本・演出を担当したのは、日本舞踊と市川猿之助歌舞伎を経て、現代演劇に進出した気鋭・栗田芳宏。能楽堂とシェイクスピアの出会いで発見したものは──猿之助門下として親交のある横内謙介と語り合った。
(聞き手 劇作家・演出家 横内謙介)


横内: そもそも能楽堂でシェイクスピアを上演することになったきっかけは?
栗田: 非常に単純で、僕が6年前からアソシエイト・ディレクターとして活動している新潟市民芸術文化会館に能楽堂があったから(笑)。
横内: そばにあって空いていたから(笑)?
栗田: そうそう(笑)。実際は、『マクベス』の企画が先にあって、そこにたまたま能楽堂があった。新潟はもともと能にゆかりのある土地柄で、世阿弥が流された佐渡には、今でも島内に能舞台が30カ所以上も残っている。薪能も盛んだし、能楽師にとって新潟で演じることはひとつのステイタスにもなっている。そういう土地柄なので会館の中に能楽堂がつくられていて、身近なところに使える施設としてあったというのがこの企画の発端としては大きかったと思う。
横内: 能楽堂からの発想ではなかったとしても、条件的にそれが使えたというのは凄い。そこが新潟の恵まれているところですよね。普通はそう簡単に使えるものではないし。これまでも1970年代に、太田省吾さんや鈴木忠志さんが能舞台を使って前衛演劇を上演したことはあるが、今回はシェイクスピアだから、発想を変えないと難しかったのでは?。
栗田: 4本の柱に囲われた三間四方の本舞台と橋掛かりだけの能楽堂という空間で、西洋のシェイクスピアをやるわけだから、普通なら「それはないだろう」と思うところがたくさんあるははず。しかし、僕にはそれがなかった。むしろ、これは面白いと思った。
これまでもシェイクスピアや翻訳劇を上演してはいたものの、自分の中に限界を感じていたところがあって。多分、自国語ではない翻訳の台詞に矛盾を感じていたのだと思うが、役者に生活感のある台詞を言わせようとしても、歴史的な背景があるわけではないから難しい。
でも実はシェイクスピア劇はどちらかというと非現実的な言葉の羅列であって、それが詩的だったり、音楽的だったり、ファンタジックだったり、道化やお化け、妖精や魔女もでてくるし、つまりはイマジネーションの世界。
そして能楽堂というのは、装飾がほとんど許されない、何もないnaked theater(裸舞台)だから、言葉に依拠してどうイメージさせるかにかかっている。つまり能楽堂はイメージの空間であり、それがシェイクスピアにはぴったりだった。それで、シェイクスピアの戯曲と能楽堂の空間を結婚させて混血を生み出せたら、イギリスでもない、日本でもない、ここでしか生まれないオリジナルなシェイクスピア劇がつくれたら面白いと思った。
僕の考えるオリジナリティというのは、能楽堂という異空間とのミスマッチを狙ったものではない。和製の漆塗りのお椀のなかに洋風のコンソメスープを入れるのではなく、同じ材料を使って、みそ汁でもなければコンソメでもない別の新しいスープをつくりたかった。
横内: ところで能楽堂は本当に舞台美術を飾れないんですか? たとえば、セットのために釘を打ちたいケースもでてくると思うけど。
栗田: もちろんダメ。基本的に能楽堂では装飾は許されていない。今回の『リア王』は新潟からスタートして、東京の梅若能楽学院会館をはじめ、各地の能楽堂で公演したが、能楽堂によってもルールが違っていて、柱に触れるのもダメなところもあれば、欄干を跨ぐのもダメなところがある。『リア王』では白石加代子さんのアイデアでリアをいろいろな場所から登退場させようということになったが、能楽堂の制約があって、客席から出てきてはいけないとか、自由にはならなかった。われわれ演劇人が使うことに対して非常に厳しい目があるのも事実です。
横内: 一般には能よりブロードウェイミュージカルを見たことある人のほうが圧倒的に多いし、僕らにとって、能は、欧米の演劇よりも遠い存在。栗田さんは、このシリーズを始めるにあたって改めて能狂言の勉強したんですか?
栗田: いいえ。ただ僕が学んできた歌舞伎舞踊は能が起源だから、能楽の決まり事や歴史についてはある程度の知識はあった。多少、ビデオを見たりはしたけど、ちょっと調べただけでも能楽の様式には脈々と受け継がれてきたルールがあって、一息の間だとか、一足の運びとか、そういうことに縛られはじめると窮屈で何も出来なくなってしまう。むしろ知らないからやれることや生まれてくる発想もあるので、そちらを生かそうと。もちろんやってはいけないことをやって失笑を買うことはあるかもしれないが、能楽堂という空間を面白く生かすための新しい知恵や工夫があってしかるべきでしょ。
横内: 僕はてっきり、このシリーズのためにどこかで1年ぐらい修行していたのかと思いましたよ(笑)。
栗田: ある人に、栗田は「和」をどこまで知っているかと聞かれたことがある。「和」なんて僕には分かりませんよと答えたけど、それより「和」とは何かという疑問の方が沸いてきた。つまり、日本人の日本人のためのスタイルとは何だろうと。そして、どこまでそれを知らなくてはならなくて、どこまでそれにこだわる必要があるんだろうと。
横内: 栗田さんの場合、現代演劇を始める前、本格的に日本舞踊と歌舞伎をやっていたでしょ。だから、改めて能を勉強したかどうかは別にして、古典を何も知らない演出家が、能楽堂でパンクロッカーのように暴れてるんじゃないことを伝えておかないと(笑)、誤解を招いてしまう。
たとえば、橋掛かりや能舞台というものの知識は誰もがもっているかもしれないが、栗田さんは、そこがどういう場所であり、どういうことが行われるべきところなのかということを感覚的に、身体的に理解できている。歌舞伎の市川猿之助さんや日舞の藤間流宗家での修行時代に培った経験がそこに生かされている。実際に栗田さんの演出を見てもそういうバックグラウンドをかなり感じます。
栗田: 確かに「所作」という意味においては、能と日本舞踊の違いははっきりと理解できるし、能と狂言との違いも分かる。祖母が日本舞踊家だったこともあるが、もっと大きいのは藤間流宗家に内弟子として4年間いた経験。そこでは稽古に来ていた歌舞伎役者たちとの交流もあったし、宗家が新作を生み出すためにいかに苦しんでいたかということを間近で見てきた。振り返ってみれば、「和」の世界に実質20年いたわけだから、そういう意味では能楽堂で演出することについて「僕がやるんだから間違いない」という気負いはあります。それは、藤間紫さんと猿之助さんに師事したわけだから、パンクロッカーとは違う(爆笑)。
 
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