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長塚圭史
長塚圭史(Keishi Nagatsuka)
早稲田大学在学中の1994年に「劇団笑うバラ」を旗揚げ。解散後、96年、劇団の形態にとらわれず、少数で行う芝居をやりたいと、新たにプロデュース集団「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成し、作・演出・出演の三役をこなす。テレビドラマの脚本執筆や映画への出演など活躍が広がっているが、商業演劇でアイルランドの現代戯曲を演出するなど、新進演出家としての期待も大きい。阿佐ケ谷スパイダースでは、自作以外の作品も取り上げ、小劇場演劇の実力ある俳優を集めたプロダクションを実現している。長塚作品の特徴は、親子関係や恋愛感情などの人間関係を現実と虚構の中間の感覚で描くところ。2004年の『はたらくおとこ』は9都市で公演を行い、1万4,800人を動員している。
■阿佐ヶ谷スパイダース 公式サイト
http://www.spiders.jp/

ウィー・トーマス
『ウィー・トーマス』
The Lieutenant of Inishmore
撮影:関村良

2001年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのジ・アザー・プレイスで初演、ウエストエンドでもロングランした。2003年度ローレンス・オリヴィエ賞ベストコメディ賞受賞。日本では、2003年8月に長塚圭史演出でパルコ劇場にて上演された。アイルランドのイニシュモア島を舞台に、アイルランド解放軍過激派の若者たちが一匹の猫をめぐる騒動から互いに殺しあう暴力的なコメディとして、話題を巻き起こした。
マーティン・マクドナー 
Martin McDonagh

1971年ロンドン生まれ。劇作家。両親の出身地であるアイルランドのリナーン地方を舞台にした『ビューティー・クイーン・オブ・リナーンThe Beauty Queen of Leenane』で96年デビュー。同作品はイブニング・スタンダード紙賞新人作家賞のほか、ニューヨークプロダクションが98年にトニー賞4部門を受賞するなど大ヒットした。続いて『スカル・イン・コネマラA Skull in Connemara』『ロンサム・ウエスト The Lonesome West』の「リナーン三部作」を完成させた。さらに、アラン島三部作として『The Cripple of Inishmaan』(邦題『夢の島イニシュマン』で文学座が上演、邦題『ビリーとヘレン』でメジャーリーグも上演)『ウィー・トーマス(原題:The Lieutenant of Inishmore)』を発表。2003年に『ピローマンThe Pillowman』を発表。

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an overview
Artist Interview
2005.4.17
Keishi Nagatsuka is a leader of a new generation of contemporary theater artists who finds fantasy in the darker sides of the human character  
生々しい人間の裏面にファンタジーを見る現代演劇のニュージェネレーション、長塚圭史  
1975年生まれの長塚圭史は、日本の新しい世代のアーティストの中でいま最も注目されている演劇人のひとり。劇作家、演出家であり、また俳優として自作はもちろん、外部の舞台や映画のメジャープロダクションなどにも出演している。大学時代に演劇プロデュース・ユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。現在は俳優の中山祐一朗、伊達暁の3人を核としながら毎回さまざまな俳優を呼んで作品づくりを行ってきた。一貫して物語性にこだわった作風で、等身大の人間関係を虚実のせめぎあう中で描き、若い世代を中心に支持されている。また、最近では海外戯曲にも取り組み、2003年に『ウィー・トーマス』(原題The Lieutenant of Inishmore)、2004年に『ピローマン』と、マーティン・マクドナーの2作品を演出。2004年度の朝日舞台芸術賞および芸術選奨文科大臣賞新人賞を、自作『はたらくおとこ』と『ピローマン』の演出の両方で受賞したことからも、演劇界での期待の高さが伺える。阿佐ヶ谷スパイダースのプロデュース作品としては16作目にあたる最新作『悪魔の唄』では、第二次世界大戦をテーマとし、新たな話題を巻き起こした。3月1日、この作品の東京公演の最中に、長塚圭史に話を聞いた。
(インタビュー・構成:目黒条)


――阿佐ヶ谷スパイダースを、プロデュース・ユニットという形で始めたのはなぜですか?
劇団でやったこともあるのですが、限界を感じました。映画ではその作品に合った俳優を呼んでくるんだから、お芝居もそうあっていいんじゃないかと思い、プロデュースという形で始めました。
僕の作品は、僕の脚本を基にして、現場でディスカッションしながらつくっていきますが、彼ら2人(俳優の中山、伊達)がいることによって外からカンパニーに入ってきた客演の人たちに「こういう風にやっていいんだ」ということを示せる。僕が説明しなくても、僕の芝居を、俳優としてどういう風にやればいいかというのを彼らが見せることができるので、現場がうまく動いていくんです。彼らも客演の人たちから刺激を受けられるし。ユニットの人数が5人、6人になるとそうはうまくいかないと思いますが、3人だとちょうどいいバランスがとれる。まあ僕らはかなり縛り合わないようにするんですけど、その良さもありますね。だけどそこに常に外部の人を呼んできてやる方がことで、お客さんの興味としてもいいし、僕ら3人も刺激を受けられると思います。だから、阿佐ヶ谷スパイダースは、3人でいなければ続けてこられなかったんじゃないか、と思います。

――以前、劇団でやったこともあるのですか?
ええ。でも、それは駄目になっちゃったんです。自分がお山の大将になって「僕が一番」になってやっちゃったから、なかなか刺激を受けられなかった。今はいろんな人から刺激を受けながらやっています。

――作・演出のほかに俳優として出演もされていますが、そもそもの志望は?
僕はもともと俳優志望だったので、自分にいい役が欲しくて書き始めました(笑)。大学に入った頃に、神楽坂ディープラッツという小さな小屋を借りて、高校の同級生でスポーツをやっていた人を集めて、僕が書いたお芝居をやった。その作品が想像以上に受けたんです。お客さんが笑ってくれることに喜びを感じて、「これは書くのも面白いかもしれない!」と。それで大学の劇団に入ろうかとも思ったんですが、どうも違うような気がして、自分でやった方が手っ取り早いと、劇団を旗揚げしました。
演出に関して言えば、演出が楽しくなってきたのは最近です。誰かに託した方がいいんじゃないかとも思いましたが、5、6年前から、やっと演出することが楽しくなってきましたね。

――他の人が書いた作品を演出したのは『ウィー・トーマス』が初めていうことですが、自分の作品を演出するのとどう違いましたか?
自分が書いた作品は、こうしたい、ああしたいという思いがいっぱいある。でも、他の人の作品だと、『ウィー・トーマス』でも『ピローマン』でもそうですが、一本の芯というか、この作品のこの部分を見せたい、というのをまず念頭に置くわけです。『ウィー・トーマス』の場合は、「登場人物たちは不器用ゆえにひどいことになった」「家族のような温かい場所が欲しかった」という風に僕が思った、まずはその大枠を信じて作ることにしました。
アイルランド問題はもちろん飛ばさずに入れましたが、でも日本人がそれをすべて理解することは難しい。マーティン・マクドナーがユーモアや皮肉に変えて描いていることの、たぶん全部は伝わらない。だったら、日本でやる分には、わからないジョークは変えていってもいいだろうと。そして、最終的に“温かいもの”を持ってくるためには血みどろにしなきゃいけないと思って、予算の多くを血と火薬と死体に使った。多分、それは正しかったと思います。そうして、とにかく真摯につくる。ジョークじゃなくつくる。コメディをコメディとして面白そうにつくってはいけない。マクドナーの本にも僕の本にも共通しているのは、面白くつくってあるんだけど、そこを敢えて真面目に、俳優たちは死ぬほど真剣につくらないとつまらなくなるということです。コメディの基本だけど「やっている本人たちはクソ真面目」だってところを守ってやりました。

――『ウィー・トーマス』では、過激派のテロや殺し合いといった暴力表現が、賛否両論を巻き起こしました。暴力表現についてはどう思っていますか?
僕が高校のときに見た芝居って、それなりに当時の人の心の痛みを表現しているんですが、それがどうも嘘っぽく見えて、「そんなもんか?」と思ってしまったんです。人間を描くのに、こぎれいに描いてしまうと、生きている僕たちの方が生々しいから、退屈に見えてしまう。人間ってもっと生々しいものだと思うんです。例えば、いやな気持ちになったときに、僕は、「とりあえずダンスミュージックを聞いて陽気になろう」とは思わない。そういう時には悲しい曲を聞くべきだって。悲しい曲の中に“光”を感じられた方がいいと僕は思っている。悲しい音色だからといって、僕は(観客を)救わないつもりはない。是非とも救いたい。そこに光を感じることで救われると僕は信じているんです。陽気な、表側だけ見るのは嫌だ、裏側が見たい。それが必ず暴力表現に繋がるとは限らないけど、そういうものを抜きにしてもいけない。
『ウィー・トーマス』に関しては、わけのわからない世界に連れていかれて「なにかが起こっている」という感じを体感する――劇場の中で火薬がバーンと爆発して、失敗するかもしれないし、何が起こるかわからない、という感じが、僕は好きでしたね。非常に緻密なつくりだし、楽しいエンターテインメントでもあると思う。

――劇作家として、自分とマクドナーに共通するものを感じますか?
マクドナーの戯曲を最初に読んだとき、日本の小劇場の芝居とすごく共通するものがあって驚いた。僕らが上演するにはもってこいだと思いました。レールに乗っかりさえすれば話が転がっていくという作品は面白くない。この作品には予測の付かない展開で息をつかせない、自分たちと共通の匂いがあると思いました。人間がリアル(生々しく)に、それでいて演劇的に描かれている。僕は日常会話をなぞったようなお芝居よりも、劇場に足を運ぶからには、何か「演劇的にリアル」な人物を見せたい。だから、『ウィー・トーマス』では、アイルランド解放は、日本と状況が違うのでわからない、と最初は思っても、アイルランド解放と言っている若者たちを人間として見たときに、いつの間にか感情移入して入り込める──そういう風に演出したいと思いました。
 
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