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Artist Interview
Maro Akaji's representative butoh work Kaiin no Uma performance in South KoreaHe talks about butoh today
代表作「海印の馬」で韓国公演麿赤兒が語る舞踏の今
野口体操
体育教師だった野口三千三が、1960年代に体操による人間改革を目指して創始した実技。「生きている人間のからだは、皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいる」という独自の人間観に基づいて提唱された「野口体操」は、体操界では異端視されたが、演劇、美術、音楽など芸術の世界に多大な影響を与えた。
麿赤兒
麿赤兒
麿赤兒
──情念的、情緒的なものが、麿さんの一番根っこにあると考えていいのですか?
かなりあります。「あっ!」って驚く時は、世界共通で同じ顔をするだろう、とかね。そういうところで、まず共通認識が生まれると思うんです。それから、「その悲しみについてどう思う?」とか、「その悲惨さについてどう思う?」とか、こっちの問題として返ってくる。
まあ、僕の場合はかなり虚無的になってくるんだけど、ある人にとっては「一緒に泣こう」とか、「平和のために行こう」となるかもしれない。そこにまた踊り手の立ち方がどうかということが出てきて、「世界を救おうと思ってやってるわけじゃねえしな!」となったり(笑)。
そこでの我々の立ち方は、カッコ良く言えば、何物かの「容れ物」であり、つまりは生け贄(サクリファイス)として存在している。舞踏人種というのは、芸術とかっていうことではなく、生け贄(サクリファイス)としての肉体の存在を証明するものでして、「他に我々は何も言うことはありません」っていう方向にいくのが、僕の癖なんですけどね。

──なるほど。じゃあ情緒や情念がどっかにあったとして、それと身体がうまく繋がらないといけないですよね。その繋がり方を学ぶメソッドとして野口体操があるのでしょうか。
身体をひとつの流動体、原始生命体として捉える野口体操というのは、ある程度のところまで方法論としてあって、大駱駝艦の合宿でもはじめに野口体操とはこういうものだという説明をしてやらせるけど、それだけではちょっと違うような気がする。野口さんのような身体論は理想論としてはあるけど、そこに異物をどう放り込むか、ということが私にはあります。
我々は排気ガスを吸ったり、たばこを吸ったり、そういうとんでもないものを自然に受容しているわけですよ。そういういろいろ入り込んできてしまっているということからは逃れられない。
こういう風に話していくと、舞踏というもののある種の姿がブワーっと出てきそうな気はするんだけど。舞踏という定義はもともとそんなになくて、たとえば異教徒をうまく巻き込んで、その儀式をちょっと入れちゃったりとかしてるうちに、いつの間にかミックスして、それで形づくっていくような。そういう異教徒的なもののリアリティもまたこっちに欲しいというところがあるんですよね。肉体というのを仕事にしちゃってるから、それだけどん欲になっている面もあるとは思いますが。

──そういった、感じ方でも考え方でもいいですが、それこそ舞踏が始まった50年代、60年代と現在では、変わってきていると思われますか? 
身体をいじくっていると、多かれ少なかれどっかで(過去と現在は)オーバーラップしていますから。

──そういう意味では、時代など関係なくて、「肉体という限界」と言ってもいいのかもしれないけど、それが共通のものとしてずっとあると?
そうそう。そういうある種の認識の上に立っているものであれば、舞踏と言えるんじゃないかとか。まあ、若い人には、「そんなこと関係ねえよ、俺は元気だ!」みたいなことが一方ではありますけどね(笑)。

──そういう身体が、50年代とか60年代にわざわざ発見されたのはなぜですか?
それは出るべくして出たということだと思います。それ以前にそういうことは意識されないものとしていっぱいあったけど、ある時期、そういうことを忘れるような状況があって「何かおかしい」と。それがたまたま60年代だったということ。まあ、あんまりその辺を言っちゃうとね(笑)。

──高度成長とか言っちゃうと単純になりすぎる(笑)。
それもひとつにはあると思いますよ。戦後イケイケってやってきて、ある種の疲れもあったかもしれない。ふと気が付くというか、「嫌だ」「後ろ向く!」となった。それまで後ろを向くということは国賊だったから(笑)。その辺は、僕らより土方(巽)さんや大野(一雄)先生の方がヒシヒシと感じていたんじゃないですか。「何ものにも入ってやらない!」「どこにも属さねえ」「輪っかの外にいなければ信用できねえ」みたいな、強い意志があったと思います。
大野先生の方が意識的、論理的で、土方さんはもっと無意識的でかつ強い直感力で「輪っかになんか入れねえ」っていう、疎外感みたいなものを感受性として一番もっていたように思います。「嫌だったら嫌だ!」みたいな女性的なところがあって、「これは強いぞ」とよく言っていましたから。女に、「嫌だったら嫌だ」と言われたら何度説明してもダメだ、とりつく島がねえ、みたいな(笑)。
 
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