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Artist Interview
What is the Kabuki version Twelfth Night?
歌舞伎版『NINAGAWA 十二夜』とは? 蜷川幸雄の新たなる挑戦
蜷川幸雄
──蜷川さんは、桐朋学園芸術短期大学の学長として、学校教育、俳優教育の現場にも関わっていますが、この前、演出家の佐藤信さんと話していましたら、非常に面白いことを言っていました。現代演劇の俳優を養成する新国立劇場のカリキュラムは、伝統演劇の俳優を養成する国立劇場の歌舞伎養成と2年間全く同じ教育をすればいいと。その後選択して、歌舞伎俳優になる、あるいは現代演劇の俳優になるという方法もあるんじゃないかと。かなり奇抜というか特徴的なことを言っていて、それはそれでなるほどなあと思いました。
それはありうるよね。ただなあ…現代演劇の…例えば歌舞伎のレトリックとヨーロッパ演劇の持っているレトリックは圧倒的に違うから。発声からイメージの作り方まで真逆だと思うんです。ですから僕だったら両方合わせてやってほしいと言いますね。片方だけだと全部は表現できなくて、両方もっていてくれればいいのになあと思いますけど。

──蜷川さんが受けた教育というのは基本的には日本の伝統とは切れた、西洋型の俳優教育ということですよね。
全くそのとおりです。歌舞伎座の舞台は、やっぱり横長ですよね。じゃあ横長であることに理屈をくっつければ、縁側だったり廊下だったりする。障子だって全部横に開くわけで、縦に開くものなんてなにもないわけ。山門ぐらいですよね。玄関だってなんだって、横引きのドアです。日本の美意識は、横長の連続性なんだと思うわけです。絵巻物の世界を舞台で展開しているのが歌舞伎で、日本的な美意識が貫かれていると考えたらいいだろうと思います。
それに対して、僕らが習ったのは圧倒的に遠近法の演劇なんですね。それから歴史の捉え方だってもちろん、遠近法の中に納めて、観念でもなんでも扱っているようなところがあるわけです。シェイクスピアを読んでもギリシャ悲劇を読んでもそうですし、現代演劇を読んでもそうだけど、レトリックは聖書やギリシャ神話と関わることが圧倒的に多い。そこでも観念的なパースペクティブというのがあるわけです。圧倒的に僕らは遠近法を学んだんですよ、すべての意味で。
ですから、ことに歌舞伎を演出すると、その二つを重ね合わせる面白さがあるわけです。じゃあその遠近法をどうやって歌舞伎の世界に盛り込むか。ならば、鏡によって、俳優も装置も映し出してやろうと。もちろん『十二夜』は、テーマが双子なので、鏡には必然性があると思いますが、単に演出術の問題としても、透かして奥行きをつけるとか、万華鏡のように客席によって全く見える視点が変わってくるようにしています。事実、左右の桟敷なんかに行くと袖幕の奧の裏側が映ったりしている。客席の場所によって、まったく違うものが観客の目に映っている。

──太鼓橋にしても、大詰の最後でもうひとつ二重に橋を増やしたりするのは、だまし絵の世界というか、ある光景を常に揺り動かすという操作をしている演出のように思いました。
おもしろいですよね。自分でやって、てめえで面白いと言うのはどうかと思いますが(笑)。ああいうところは歌舞伎だから生きるんです。伝統的な歌舞伎は、基本的には平面の世界だと思っています。だからもちろん平面のものも使っているんですけど、その平面がおやおや揺れているというところで、新しい視点が入ったかなあと思います。もう手はないなあ(笑)。やっぱり歌舞伎は強敵だ。良い意味でね。

──まあ3歳から5歳で修業を始めて、死ぬまでずっと劇場に1日中いる演劇漬けの生活を送るのが当たり前という人たちですからね。
歌舞伎にだって、優れた俳優も、普通の俳優も、そうでない俳優もいます。でも凄い連中は世界共通で凄いからね。
歌舞伎の世界が、ある種の世襲制に支えられていたり、血の問題が芸と関わっていたりするということに、若い頃、僕らが演劇人として舞台にはじめて関わったときに、「彼らは楽な世界でいろんなことが確定されていていいよなあ」と思っていました。あるいは中心になる俳優が、世襲制であることに対する反発は当然あったわけです。でも、実際に歌舞伎座に演出するために来てみると、朝9時半ぐらいから夜の9時ぐらいまで彼らは劇場にいる。休みは年に1カ月か2カ月という人生は、狂気の世界です。その世界にひたりきっていれば、凄いやつは凄くならないはずはない。僕は狂っていると思うよね、正しく狂っている。狂わなきゃ何も宿らない。まさしくそういう意味では、恐ろしいところだと思いました。
楽屋口から外を眺めていたら、頭取部屋から、昭和通りが暗い廊下越しに明るく見えるわけだ。そうするとトラックやタクシーが走っていて、まさしく2005年の現実が走っている。一歩こちら側は、神棚があって頭取や狂言作者がいて、ダクトや配線がザーッと出ている暗く長い板張りの廊下が続いている。まるでSFの世界みたいだった。そこが面白かったなあ。
今度の体験で何が新鮮だったかって言うと、舞台下の奈落を通ったりすると、日本の演劇の前近代的な闇というか、伝承されてきた何か…死というのが見えた。それはまあロマンティックに語りすぎると言われるかもしれないけど、それこそ留学したヤツじゃないと見えないものが見えた。でも、これも一瞬の技で…これは慣れちゃうと見えなくなるからね。そういうのはとっても新鮮でしたよ。
自分の中で…狂えばいいんだって、演劇にもっと正しく狂っていいんだなあと思いました。それが歌舞伎から受けた最大の教訓ですね。菊五郎さんも菊之助君でもそうですけど、あの人たちの演劇の時間の堆積はやっぱり凄い。それはとても面白かったですね。
 
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