The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Artist Interview
Questioning the Body at its Limits What is this world of Ikuyo Kuroda?
身体の極限に問う 黒田育世の世界とは?
Ikuyo Kuroda
Ikuyo Kuroda
──育世さんの作品は全体として見ると、生々しいままで終わっていなくて、構成的には透明感があり、それが作品全体にしっかりとした力を与えていると思います。そういう構成的なことを、つくる過程で意識していますか。
舞台にのせる必要のないものは整理していかなければ、という思いはすごく強いです。なので、削いでいく作業は必ずします。基本的に構成する作業が好きなんですね。ポロポロポロって出てきた絵を、いかにいらないものを削いで、気持ちよく通していけるかを考えるのは、好きです。

──構成するのが好きということが、黒田育世作品に濃さと密度を与えていると思います。育世さんのように鮮烈なイメージを持っていても、それだけではいいアーティストになれません。余分なものをとっていって、どれだけ自分のイメージに構成上の透明感を与えられるかが重要です。
自分ではわかりませんが、思うに私がやっていることは、観る人にちょっと懐かしい感じを与えているんじゃないかと思うんです。実は人間だったら知っているはずのことをやっているだけというか。普段はつい忘れているけど、人間のお腹の真ん中にあることをやっているという気がします。ドロドロだけじゃない、「あっ、そういえばそうかもね」と腑に落ちる、どこか懐かしいところがある。私には「新しいことをやろう」という欲がそこまでありませんし。

──今年7月に上演した『Last Pie』についてですが、育世さんにとっては、依頼されて振り付けた最初の作品になります。しかも、その振り付ける対象が金森穣という、今一番期待されている、本当に力のあるダンサーであり振付家が率いるNoism05だった。
もうとにかく心配というか、ビビリまくっていました。「できるのかな、できるのかな」って感じで。BATIK以外に振り付けるのも、男性に振り付けるのも、生演奏でやるのもすべて初めてだった。あんなに助走期間を設けたことはありません。稽古場に足を踏み入れた段階では、振付もすべて決まっていたし、あんなに全部決め込んで稽古場に臨んだことはない。今までで一番時間をかけました。
この作品をつくるために、『モニカ モニカ モニカ』という自分のソロ作品をつくっているんです。今回、金森さんがやったパートを私がまるまる踊っているというそれだけの作品です。それをつくってから穣さんに振り付けました。なので『Last Pie』と『モニカ モニカ モニカ』の作品ノートは全く同じものです。
──選べない、交われない、戻れない、許されない、終われない、わからない、それでもうれしくてまだ止めない、ただただ身体がもげそうで──
生きていることを思い返すと、黒田育世に生まれたくて生まれてきたわけじゃなくて「選べない」。「あなたは私」というふうに思えるぐらい人と交われているかというとなかなか「交われない」。時間はさっき言ったみたいに叩き切ることも困難だし「戻れない」。一過性の時間しか与えられていなくていろいろなことが「許されない」し、一過性の時間を自分で終わらすことも出来なくで「終われない」。結局何なのかというと、何にも「わからない」ところで生きている、という感じです。ないない尽くしなのに、お腹の中ですごく生きていることを喜んでいて、踊ることを喜んでいて、踊りたくてしょうがないという何かがお腹の真ん中にいる。それで、身体がもげそうなくらい喜んでしまう、踊ってしまう、という……そのままなんですけど(笑)。
この黒田が感じていることそのままを、穣さんに振り付けた時に、穣さんが果たしてうれしくてまだ止めないという状態になれるかどうか、本当に賭けでした。「選べない、交われない、戻れない」のナイナイナイは、きっと穣さんも実感できると思ったんですが……。

──要するに、金森穣のパートは孤立しているわけですよね。他の人たちはいるんだけど、他の人たちと別にコミュニケーションがあるわけでなく、それでも存在している……。
終われない、戻れない……1回明かりが点いちゃうと戻れない。それでも、踊っていること、生きていることが楽しいというのがお腹の中に必ずある──止められないから止めないんじゃなくて、うれしくて止めない。「ダンス止めないぞ、踊り止めないぞ」という状態に穣さんを置いた。あれをやるんだったら、私がソロでやるのは別にして、金森穣しかいないだろう、という感じで穣さんにやってもらいました。
1回10分弱ぐらいの長い振付を、穣さんはたぶん4回か5回繰り返しているんですけど、「ほんとに? これほんとにやるの?」って感じだったみたいです。「追い込む振付家ってのは何人か会ったことあるけど、追い込んでいるように見えないのに追い込んでいる振付家は初めてだ」と言われました(笑)。

──最後に、育世さんは、作品数こそ多くないけど、この3、4年の間につくった作品で次々賞を取って注目されています。今の自分をどう位置づけ、これからどうしていきたいと思っていますか。
ちょっと位置づけと離れてしまうかもしれませんが、変わりたい部分と変わりたくない部分というのはありますね。変わりたくない部分は、「これをやりたいからこれをやる」というところでずっといたいということ。「何ができるか」とか、「今、私は何をつくることを期待されているか」とか、そういうことをいろいろ言われたりもするんですが、いい意味で「これがやりたい」ということを持ち続けていきたい。
それと、『花は流れて時は固まる』をやって、その後、『SHOKU』に戻って昨年末に公演をやったぐらいから、すごく変わってきたところがあります。ダンスに対するとらえ方というか、向き合い方なんですが。今までは一個、核を掴まえたら、そこに向かって突進するという感じだったんだけど、何もいらなくなっちゃった。踊っていられればダンスになれる、ダンスになりたい、という感じになってきた。それをいい形でやれるといいな、と思っています。

──例えば10年前と比べて、自分がダンスをやっていることをより幸せに思える?
そうですね。今すごくそういうふうに向かっている感じです。振り返ると、この3年間は眉間にしわを寄せながら、どうしようもなく踊っていたような気がします。もちろん踊りたくて踊っていたんですが、それは、コインの裏側だった。でも、ポーンと投げたら、今は表になって落ちてきそうな感じがします。座右の銘ですが、いつも「今日も一日感謝の気持ちを忘れずに」奢らずに、生きていこうと思っています。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 |
TOP