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松本雄吉
松本雄吉(MATSUMOTO, Yukichi)
大学時代は美術を専攻。1970年に大阪で「日本維新派」(87年に維新派と改名)を結成し、1974年以降の全ての作品で脚本・演出を手掛ける。維新派は、主宰の松本を軸として常に「演劇」という枠では語りきれない演劇的活動を続けてきたことで知られる集団。野外に自らの手で建築する劇場、数々の映画の美術監督として知られる林田裕至による圧倒的な美術、「ヂャンヂャン☆オペラ」と名付けた関西弁のイントネーションを生かしたケチャ音楽のような台詞、インプロヴィゼーションユニット「アルタード・ステイツ」を率いて世界でも評価の高い内橋和久の音楽という、すべての要素をディレクションした前衛的な総合芸術として作品を発表。近年は、観客とともに旅をする「漂流」シリーズを企画し、奈良の室生寺や離島などで公演を行い話題となる。犬島の銅精練所跡地で行われた野外劇『カンカラ』で朝日舞台芸術賞「舞台芸術賞」受賞。
http://www.ishinha.com/
view clip 『カンカラ』
(2002年)
ナツノトビラ
ナツノトビラ
ナツノトビラ
維新派『ナツノトビラ』(2005年)
photo: FUKUNAGA, Kohji (Studio epoque)

『ナツノトビラ』の舞台美術模型
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an overview
Artist Interview
2005.11.28
Leaders of Japan's avant-garde theater, The World of Yukichi Matsumoto and Ishinha  
日本の前衛を代表する 維新派・松本雄吉の世界  
大がかりな特設野外劇場で「ヂャンヂャン☆オペラ」と名づけた独自の舞台表現を追求する維新派(松本雄吉主宰)。本拠地・大阪の野外劇と並行して2000年から海外公演も実施している。この秋は初の中南米公演を敢行。メキシコは日本特集を行なったフェスティバル「セルバンティーノ国際演劇祭」への招聘公演、ブラジルはサントスのセスキ・サントス文化センターでの公演だった。しかも今回は新作『ナツノトビラ』の海外“初演”という、かつてない試みである。陽気なラティーノたちも興奮した維新派の“光と影の世界”──その繊細で破天荒な舞台づくりを松本に訊いた。
(インタビュー・構成 小堀純 2005年11月11日、大阪中央区の維新派事務所にて収録)


──2000年のオーストラリア・アデレードでの野外劇『水街』、2001年のドイツ・ハンブルグ、アイルランド・ベルファストでの『流星』につづき、今回は初の中南米(メキシコ、ブラジル)、それも新作『ナツノトビラ』のワールドプレミアでしたね。
先発隊は9月25日、後発隊は9月28日にメキシコのグアナファト入り。舞台セットはメキシコとブラジル公演用をそれぞれ別に、日本で完ぺきにつくって船便で送りました。7月末から約1カ月かけてセットをつくって、8月末にメキシコへ送ったわけです。舞台セットになったビル群は黒田武志君のデザイン。前作の『キートン』もそうでしたが、僕のアイデアを黒田君が立体化してくれた。
今回のテーマは“光と影の舞台”。いきなり真っ白な光の舞台でお客さんはビックリする。折り紙細工のようなビル群はベニヤ素材で、グレーの彩色がしてあって光が当たると真っ白になる。光を当てないと黒に見えるという微妙な色あいです。セット全体は20フィートのコンテナが4本。これだけのものを海外に運ぶのか、というぐらいのセットでしたね。

──日本での稽古はいつからしていたのですか。
今年の1月から1日3、4時間の稽古を6勤1休。タイトルは早くからメキシコ、ブラジルを意識して決めていた。南米には「夏」のイメージがあるでしょ。「日本の夏」「メキシコの夏」「ブラジルの夏」……。それぞれに“夏の意識”は違うだろうと。それとなるべく間口の広いタイトルにしておこうと『ナツノトビラ』にしました。

──想像力が広がるタイトルですよね。以前、奈良の室生で公演した『さかしま』も少女の夏の物語でしたが。
宝生の『さかしま』は田舎の夏。今回は都会篇の夏という感じ。夏休みに家でテレビばっかり見ている少女の話です。

──通り魔殺人のエピソードがあったり、日本の現在(いま)ある事件が断片的に出てくるのですが、松本さんの書かれるものが少し変わってきたのですか。
“影”を出そうと思いました。都会の夏の影。「虚像性」ということかな。維新派は元々、白塗りをして始まったぐらい、虚構性の強い芝居をやってきた。それだったらさらに虚構性の強いものをつくろうと。
『ナツノトビラ』では、テレビを使って、まず現実との接点をつくり、そこから少女のみる虚像がふくれあがっていくという構造にした。弟が通り魔に殺されるんだけど、弟が一瞬にして死んでしまったように、それをニュースでみる少女にも実感がない。夏の光がつくり出す影のように、現実と遊離した虚像性が大きくなっていく。音響にはテレビをつけっぱなしにして録音した音を使った。

──日本のリハーサルでみたときはテレビから流れる日本語のニュースが効果的なノイズになっていましたが、海外では字幕を出したりはしたのですか。
今回の作品には、「うたたね」「まちかげ」「かげぼうし」など10シーンあるんですが、そのタイトルだけ出しました。日本のひら仮名、ローマ字、ポルトガル語にスペイン語。「かはたれ」(彼誰時──薄暗くて誰かとたずねるの意)がスペイン語で「かたわれ──私のもうひとつの魂」に間違えられてた時もあった。直したけど、それはそれでおもしろかった(笑)。

──稽古場での身体訓練はどのように始めたんですか。
まず、「体」のことを考える。“不自然な動き”とか、思いどおりに動かない不自然、不自由な動きを徹底してやった。足の動きが7拍子で手の動きが3拍子とか。そうした動きができるようになるには台本ができてからでは間にあわないので、稽古場では「体」の動きを先行してつくる。動きは僕が考えたり、役者が考えたりするんだけど、今回の作品では稽古場でつくられたものに作家の自分がひきずられた感が強い。「稽古場の意思」というか、稽古場で出てきた動きをどう“光と影”の台本につなげていくか、その作業をするのにもう少し時間が欲しかったですね。

──「ヂャンヂャン☆オペラ」は維新派独特のコトバの羅列と共に変拍子のステップが魅力でもありますが、“不自然な動き”を意識したというのは──。
僕はダンスをやるのはおもしろくないと思っている。もちろんダンスの動きのよさもあるかもしれないけど、自分の中に、「ダンスはしないと思っていても、ついダンスをしてしまう」体があるのに従うのはおもしろくない。それを断ち切るには強い意識がいるし、逆にテクニックがいる。そのためには、まず、頭の中で組み立てないとできない。赤ちゃんにご飯を食べさせるのに、手でつかんだ方が早いけど箸の使い方を覚えさせるのと同じように、意識してその動きを体に覚えさせる必要がある。

──ダンスという型=定型ではなく、不定形な動きが維新派には必要だと。
維新派には様々な体の役者がいる。ダンスのように揃ったスタイルの体でやるのではなく、人それぞれの体の重みをひきうけてやらないといけない。小劇場の芝居でよくジャズダンスをとり入れたりするけど、似合わない体の役者が無理して踊っていて、ああいうのは好きじゃない。芝居の、舞台に立つ体でやるべき“動き”があるんじゃないか。振付師を頼まずに自分たちでその“動き”を考えていく、それが維新派です。
 
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