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Artist Interview
What is a Kabuki furitsuke-shi?   Interviewed Fujima Kanjuro VIII
歌舞伎舞踊の振付師とは? 8世藤間勘十郎に聞く
月見座頭
長唄『月見座頭』(2003年/国立小劇場)
撮影:山田黎二
──6代目の話が出ましたが、踊りはおじいさまに教わったのですか。
祖父とは80歳違いますから、とてもかわいがってくれましたが、師匠ではなくて、踊りは母に教わりました。僕の初舞台は2歳半でしたが、周りが踊りをする環境でしたから、嫌々やるというのではなく、普通のこととしてやっていました。小学校へ行くようになっても、放課後は友達と遊ぶよりは、家に帰って踊っていましたね。
帰ると祖父が遊んでくれるのですが、人形を使ってお芝居ごっこをするんです。人形といってもプラスチックでできたレゴ人形で(笑)、祖父の口三味線でレゴ人形を動かす。その遊びの中で芝居のストーリーや曲の歌詞を自然に覚えていきました。遊びながら昔話や役者評も聞かせてくれたのですが、それが今、とても役に立っています。
レゴ人形は今も振り付けを考える時に使っています。大勢が動く踊りの振り付けをする時は、頭の中で考えていると、一人ひとりの動きがわからなくなるので、レゴ人形に役者さんの名前を書いて動かしながら考えます。それを稽古場に持っていって、役者さんに説明することもありますが、端で見ていると大の大人が人形遊びをしているようでおかしいですよね(笑)。

──初めて振付師として仕事をしたのはいくつの時ですか。
高校1年の2月だったと思います。歌舞伎の地方公演に母のお供で行った時です。公演の前日、食事の時に母が「こういう所には仕事じゃなくて来たいですね」と言ったら、中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)さんが「じゃあ明日はお母さんは休んで、坊ちゃんにやってもらいましょう」と言われて、エッと思っていると、母も「そうですか、よろしくお願いします」と‥‥。翌年2月には、母と二人で振付師として歌舞伎のイタリア公演にも同行しました。これが本格的な仕事始めになりますが、母の手元を離れて独り立ちしたのは20歳の時です。

──振付師は稽古ばかりでなく、公演にも立ち会うのですか?
振付師の仕事は、ある意味で演出家みたいなものだと考えていただければいいと思います。踊りの演目の場合、踊る役者の動きもさることながら、照明、大道具、小道具、衣装、かつら、音響すべてを理解していて、全体をまとめる指示を出すのも振付師の役割です。
歌舞伎の場合、全員が集まって行う総稽古は3日間しかありません。それまでは役者、三味線、鳴物など、みんなそれぞれ自分で稽古をしていて、開幕3日前に大道具や照明などの裏方も含めて全員が初めて顔を合わせます。その時、じゃあ幕の開く時の音はこうしてください、と指示を出したり、早変わりの場面で、どこで舞台から引っ込んで、衣装を変えてどこから出てくるか、その時の三味線は曲のどこを弾いてください、とか段取りを付けるのもすべて振付家がやります。道具の大きさが役者の体に合わなくて動きにくいと思えば、小道具方に交渉して小道具のサイズを変えてもらうのも私の仕事です。音楽や照明に役者さんから注文がつけば、担当者に伝えて調整もします。

──振付師というのはコレオグラファーだと思っていたのですが、演出家でもあり舞台監督でもあるのですね。
そうですね。現代劇の演出家と違うところは、あくまで主体は役者にあるということです。どんな時も役者さんが一番で、役者さんの注文にどう答えるか、役者さんがよく見えるためにはどうすればいいか、それをあくまで裏から支えるのが私どもの仕事です。
そのためには踊りのことだけわかっていればいい、というわけではありません。照明、装置、衣装、音楽、すべてに通じていなければなりませんし、それに関わっている人のご協力がなければできないことです。大変なこともたくさんありますが、私は振付師という仕事が楽しくてしょうがありません。古典でもここを変えれば面白くなる、お客さんに受けるだろうなと考えながら、練って練って、舞台にかける。自分の頭の中で考えたことを、一流の役者さんが踊ってくださり、お客さまの拍手喝采がいただける。私が「そこで太鼓」と言えば、ドンと鳴る。これはつくった者にしかわからない快感です。
 
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