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Artist Interview
Desire and Dramaturgy   The art of Daisuke Miura, rising star on today's theater scene
欲望のドラマツルギー 今、最も注目される三浦大輔の軌跡
夢の城
夢の城
『夢の城』(2006年/THEATER /TOPS)
撮影:曳野若菜
──『騎士クラブ』の次に発表したのが、問題作の『身体検査』でした。
『騎士クラブ』で、生理的な生な反応で演劇的なリアリティを成り立たせることをやって、それが成功して、自分の興味がいっきにそっちにスライドしていったんです。それを過激に突き詰めたのが『身体検査』でした。『騎士クラブ』にはドラマ的なエンターテイメント性がまだあったのですが、もうそういうのは一切いらないんじゃないかと。それがなくても見せ物として成立させる自信もあった。

──具体的にどういう作品でしたか?
前半は風俗店の「ヌキキャバ」の設定です。肉体労働者が「キャバクラ」に来て、女の子に気に入られれば、紙にハンコを押してもらって別室でヌイてもらえるという。その設定でリアルな芝居を1時間くらいやって、いきなり暗転する。そして、「今回の芝居の意図はこれ(前半)を見ただけでは伝わらない」といった旨のテロップを入れて、それから稽古場のビデオを流し、完全ドキュメンタリーが始まる。
具体的にどういったことをやるかというと、自分の恥を晒す、人を傷つけるといった負の感情を喚起させるような行為を役者に舞台上で実際にやってもらうように促す。役者は個人として舞台に上がり、この課題を達成するために試行錯誤する。その状態が見せ物になると考えたんです。
あと、お客さんには最初から舞台上で起こっている事は本当ですよという前提を与えておいた方がいいと思って、チラシに「これはドキュメンタリーです!」と銘打ちました。それによって舞台上で起こっていることを虚構ではなく、実際に起こっていることとして見る準備ができる。役者にも、絶対、嘘はついてはいけないという前提を与えているので、例えば人を傷つける行為を行っても、それは演技だという言い訳はできない。そこで行われたことは、稽古が終ってからも、舞台を降りてからも続くわけです。それによって舞台上で起きていることはドキュメンタリーに限りなく近い状態になる。その中で、役者の個人的トラウマが語られたり、本当の人間関係が暴露されたり、ドラマでは見られない瞬間がたくさん出て来た。その瞬間が見たくてドキュメンタリーをやったんです。

──俳優は嫌がりませんか?
嫌がります。でも俳優が楽しんでる状況を見せてもお客さんは面白くないだろうと思ったので。稽古場はそれはもう辛かった。トラブルもありましたし、それを乗り越えてなんとか本番までもっていきました。

──それでも俳優は出演するのですか?
役者だから見せ物になりたいっていう欲求は絶対あるので、自分が恥をかいている姿、傷ついている姿でも、それが見せものとして成立できてさえすれば、まぁ、ある程度、納得はするんじゃないでしょうか。もちろん、僕に対する反感はたくさんありましたけど。

──『身体検査』の後、『メイク・ラブ』『熱帯ビデオ』『男の夢』を発表します。
『メイク・ラブ』は演劇とドキュメンタリーの中間的な位置づけの作品です。ラブホテルという設定は舞台のセットですからウソですよね。その設定をかりて役者に嘘のないの実際の感情でその場にいてもらおうというものです。誤解しないでほしいのですが、エチュードとは違います。演技はしてはいけないという前提がありますから。例えば、実際のカップルに出てもらって、好きという感情のままやってもらうとか、これから付き合いそうな男女を出してもどかしい感情のままやってもらうとか。そういうことです。
『熱帯ビデオ』は、舞台上のドキュメンタリーの可能性を模索するために、稽古中からありとあらゆる手段を使って試行錯誤しました。『身体検査』の時に書かせた誓約書は僕が悪の権化みたいになって役者はやらされているという受動的なものだったんですが、今度は役者が自ら決意してやるという能動的な決意書に変えました。そうしないと、可能性は広がらないんじゃないかと思って。役者も稽古の段階から覚悟を決めて参加するわけです。それによって、よかった部分もあるし、逆につまんなくなった部分もあった。でもやっぱり限界があったんですよね。『熱帯ビデオ』の時はもう本当にぎりぎりなことまでやったので、実際の人間関係も悪くなったし、いろいろなリスクも負いましたし、ちまたではポツドールはもう終わりだ、みたいに言われましたね。でも、そういうドキュメンタリーをやり出した時は必死で、あと、ポツドールが注目され始めた時期と重なっていたので、非力な僕らはこれくらいやんないといけない、みたいな義務感がすごくあったんです。

──『身体検査』で観客動員がそれまでの3倍に増えましたね。
そうですね。ただ、この注目のされ方はどうなんだろうという疑問もあって。どんどんエスカレートしていくしかなくなるし。それをお客さんも求めてるし。そういう観客の期待に応えてもしょうがないんじゃないかと。スキャンダラスな話題ばかり先行して、誤解されている、と思うようになりました。
そういうのが嫌になったのがドキュメンタリーを止めた理由のひとつです。結局僕が興味があるのは、人間の本質的なものが露呈する逃れようのない瞬間なんだから、それを自分ができる範囲で脚本にして何とか虚構としてやろうと。で、敢えてスキャンダラスな要素を全て排して『男の夢』を書きました。

──『男の夢』とその後の『激情』では、どちらかというと会話劇の様相が強くなってきますね。
『男の夢』と『激情』は1年半ぐらい間があるので、自分の中では全然違った作品のつもりです。『激情』は、多分僕の中でもっとも自分の生理に反してやったものだと思います。ナレーションを入れたり、ドラマチックな展開で物語を引っ張ったりしましたから。
『激情』では、怒っている人、悲しんでいる人など、感情をむき出しにしている人間をリアルという枠から外れることなく描きたかったっていうのが強くて。あと、僕らがリアルと定義してるのは、要するに人間のコミュニケーションを真摯に描くということなので、物語的な要素が強くても、自分の演出方法でなんとか乗り越えることができるんじゃないかと思ったんです。

──次の『ANIMAL』になるとまたガラッと変わりました。
『激情』でドラマ的なことをやったので、その課題については自分の中で一段落して。じゃあ次は何をやろうかと思っていた時に、三鷹市芸術文化センターから声がかかりました。
ある日、公園で大学生のサークルが遠くでごちゃごちゃやっているのをボーッと見ていたら、声は聞こえないけど、動きだけで徐々に何をやっているのかがわかってきたり、自然と人間関係も見えるようになってきたり、1時間くらい飽きずにずーっと見ていられたんです。その時、あ、これはもしかしたらエンターテイメントになるんじゃないかと思って。風景だけで成立させようとしたのが『ANIMAL』です。大きなホールなのでウチが使い切れるのかという問題もありましたし、やるならここなんじゃないかと。

──台詞は?
書いていますが、ないところもあります。喋っているようにお客さんに見えればいいようなところは、適当なことを言ってもらって、稽古をやりながらシーンをつくっていきました。見た目だけなんで、台詞を言ってもしょうがない部分がたくさんあるんです。どう見えるか、それだけでつくった芝居ですから。

──『ANIMAL』の登場人物はチーマーでしたが、なぜチーマーを取り上げたのですか?
あの時は、チーマーの生態をリアルに描きたかったわけではなく、人の死なんてこんなもんだということが描きたくて。チーマーという設定にすれば、死の軽さがより強調されるんじゃないかと思ったんですね。それと、安易な発想かもしれないけど、ビジュアルとして特徴があるからわかりやすいし、フザけている時と死んだときのギャップも面白いんじゃないかと思いました。そんなとこですね。ただあのチーマーについては僕の想像で描いた部分が強いので、リアリティがあるかと言われるとわからないですよ。
 
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