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Artist Interview
Desire and Dramaturgy   The art of Daisuke Miura, rising star on today's theater scene
欲望のドラマツルギー 今、最も注目される三浦大輔の軌跡
──『愛の渦』は岸田戯曲賞を受賞したわけですが、戯曲として高く評価されたことについてはいかがですか?
びっくりしました。僕だけじゃなく周りの人も驚いていました。読んでいただくとわかりますが、僕の戯曲はト書きばっかりなんですよ。会話を書かないで、「適当な話をする」とか書いてある部分もあって(笑)。よく、あれで伝わったなと。僕はどちらかと言えば演出家よりの人間だろうと思っていたので劇作家として評価されたのはとても意外でしたね。
『愛の渦』の戯曲は稽古のプロセスで書き直して、最終的にできたものを上演台本として提出したので、稽古の中でつくりあげたものが全部入っているんです。だから演出的なことを含めて評価されたのかなと感じています。

──最新作の『夢の城』では、雑然としたアパートの一室に今時の若者が集まって、セックスしたり、テレビを見たり、ゲームをしたり、風呂に入ったり、食事したり、だらだら暮らしているわけですが、ついに台詞が一切なくなってしまいました。
結局、自分がやりたいことを突き詰めたら……動きなんですよね。今までも言葉は状況を伝える手段としてしか使っていなくて、結構どうでもいいんです。『男の夢』や『愛の渦』に関しても何を言っているのかはさほど重要じゃなくて。『ANIMAL』では、まだ潔くない部分があったんですが、『夢の城』は、“言葉がなくても伝わるし、状況で見せるのが演劇の一番面白いところなんですよ”というのを確実に伝えたかった。あと、あそこにいる若者たちの無気力さや、コミュニケーションに対する面倒くささを伝えるには、言葉を使わない方が有効な手段なんじゃないかと思ったんです。

──動きというのは? 例えば、今、三浦さんの同世代として注目されている岡田利規さんも若者の身体の動きのコンテンポラリーダンス的な要素に着目しているけど。三浦さんの場合の動きというのはどういうことですか?
岡田さんは台詞との関係(身体と台詞のズレなど)をすごく求めていますが、僕の場合はそこにそれほどこだわってはいません。僕の場合は、状況ですね。どれだけリアルな状況を提示できるか、ということに力を注いでいて。お客さんがその状況を見ていろいろと汲み取って想像してほしいというのが強いですね。

──ちなみに『夢の城』の上演台本はどのようなものですか?
台詞はありませんが、台本には、ト書きに動きが全部書いてあります。あと、稽古段階でノイズをたくさん入れています。例えば、「タバコを取る」にしても、普通に取るんじゃなくて、1度タバコの箱を持ち上げて、もう1度机の上に戻して、その時に「トン」と音をさせて、それからもう一度持ち上げるとか。そういう細かい演出はしています。
この作品はニートやチーマーに特別こだわってつくったわけではなく、ぱっと見、観客が彼らに嫌悪感を抱くことを利用したかったというのがあります。ああいう人物が登場すれば、あんまりいい気持はしませんよね。いきなり乱交してますから。じゃあそこから始めようと。そして、徐々に彼らにも普通の生活を送ってきた過去の痕跡がところどころ垣間見られてきて、だんだん観客と共感し合っていく……そして最後、つながったと思っていただければ。というようなことをやりたかったんですね。突き放した感じで彼らを描いているわけではなく、徐々に共感していってもらいたいという思いが強かった。

──いろいろ話を伺っていると、三浦さんの作品は「嫌悪感」を出発点にしているということですか?
そうですね。ただ、『愛の渦』の前までは、人間関係がどんどん崩壊していって、最後、絶望的な状況のまま終っていたんですが、今はそこが変わってきてて。別にお客さんにあわせているわけじゃないし、救いをもたせたいと考えているつもりもないんですけど、自分の生理として共感してもらいたいと思ってきていますね。まあ、絶望して破滅に向かっていくのに飽きたっていうのもあるんですけど(笑)。

──『男の夢』では若者だけではなくて、最後にヤンキーという他者(異物)がでてくるでしょ。それ以降の作品ではみんな登場人物が同じ境遇の人たちばかりで他者がいない。そのせいかもしれませんが、とても共感できるような人たちの暮らしではないけど、ユートピアのように見える一瞬があります。特に『夢の城』はそうですよね。
ええ。そういう意識でつくっています。『夢の城』に関しては、言葉のないことも含めて、あれが人間関係の極限なんじゃないかと思っています。

──どうして言葉では表現できないのでしょう。
言葉を交わすことも、救い(逃げ道)なんじゃないかと思って。言葉を交わさないことの方が絶望的という気がしたので。

──ユートピアなのに絶望的?
ユートピアと絶望は表裏一体だと思います。

──他者がいないということは、ユートピアということですからね。
そう。そしてそれは絶望でもあるわけじゃないですか。それをリアリティをもって伝えたいと思ったら、ノンコミュニケーションに辿り着いた。実は、『夢の城』の稽古の段階では最初言葉を交わしていたんですが、それでは伝わらないと思って、結局、台詞をなくしました。
あと、「ドキュメンタリー」について言っておきたいことがあるのですが。僕はドキュメンタリーの方法には2通りあると思っていて、1つがインタビューで、喋った内容によって想像を喚起させてその外の世界とのつながりを示すという方法、もう1つは、例えば、戦場で実際に銃を打ち合っているところを見せて、生々しい臨場感のあるリアリティのある状況を見せるという方法。一般的に「静かな演劇」と言われているものは前者、僕らがやっているのは後者だと思ってます。
言葉で想像させるのではなく、想像力を働かせる余地を与えず、その場で起こっている事だけに集中させる。ポツドールの芝居ではその場で起こっている事がすべてなんです。文学的なカタルシスが入る余地は全くない。これがポツドールの最大の特徴なんじゃないかと思います。これを低俗で不毛なものであると思うかどうかはお客さんによると思いますが。そう思う人がうちの芝居に嫌悪感を示すような気がしています。「だから、どうしたんだ?」って感じで。
あと、こういう作品になるのは僕がすごく即物的な人間だというのも影響していると思います。即物的な欲求を満たしてくれるものが好きなんです。快楽に到るプロセスがめんどくさいものはあんまり好きじゃなくて。そういうダメな自分を登場人物に投影して舞台でやっているところがあります。フリーターやってギャンブルやって風俗に行くだけで生きていられたらいいのにと思うけど、でもそれは自分にはできない。結局は、一般的な倫理観をもった凡人なんです。なんでこんな面倒くさい演劇なんてやって、何でこんなことを表現し続けているんだろうと、ときどき自問してたりもして(笑)。

──欲望する主体と反省する主体というのがあって、欲望する主体に対する憧れと、それについて反省する主体があるから、演劇をしてるんじゃないですか。
そうですか。反省してしまってるんですかね(笑)。
 
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