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佃 典彦
佃 典彦(TSUKUDA, Norihiko)
1964年愛知県名古屋市生まれ。劇作家、演出家、俳優。名城大学卒。劇団B級遊撃隊主宰。きわめて突飛なシチュエーションを使い、ストレートかつリリシズムあふれる世界を、笑いでいろどりながら作品化する。1987年の第3回名古屋市文化振興賞を受賞した『審判〜ホロ苦きはキャラメルの味〜』をはじめとし、劇作家協会優秀新人戯曲賞、読売演劇大賞優秀作品賞など多数の受賞歴を持つ。戯曲のほかに、ラジオドラマ、テレビの脚本の仕事も多い。第50回岸田國士戯曲賞を授与された『ぬけがら』は、文学座のアトリエ公演のために書かれたもの。
http://www.bkyuyugekitai.com/
ぬけがら
文学座アトリエの会『ぬけがら』
(2005年/文学座アトリエ)
作:佃 典彦
演出:松本祐子
撮影:飯田研紀
(→今月の戯曲
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an overview
Artist Interview
2006.6.6
A world of the imagination overflowing from the everyday- Playwright Norihiko Tsukuda 
日常から沸き出す妄想の世界 劇作家、佃典彦 
記念すべき第50回岸田國士戯曲賞を『ぬけがら』で受賞した佃典彦。名古屋市在住の劇作家では1984年の北村想以来の受賞である。名古屋は、地方都市でありながら、70〜80年代には東京で話題となった小劇場演劇の巡回公演が積極的に行われており、佃もこうした小劇場第一世代、第二世代の洗礼を受けて育った。受賞作は、抜け殻を脱ぐたびに10歳ずつ若返る老父と、クローンのように60代、50代、40代、30代になって蘇る抜け殻たちという卓抜したアイデアが高く評価された。日常に不気味な裂けめをつくる奇想天外な発想と、役者の個性を引き出す技巧が冴える佃──本人はあくまで自然体の佇まいだが、その頭の中には妄想のひき出しが一杯詰まっている。
(インタビュー・構成 小堀純/協力 望月勝美 2006年5月10日、愛知県名古屋市千種区の劇団B級遊撃隊アトリエにて収録)


──佃さんは名古屋生まれですか?
1964年、愛知県名古屋市生まれです。東京オリンピックが開催され、名古屋に新幹線が開通した年です。飲みや街で有名な千種区の今池育ちで、大学も地元の名城大学だったので、名古屋から離れたことはありません。

──演劇を始めたのはいつからですか?
中学、高校までは剣道部に入っていて、武道少年でした。演劇と言えばテレビで吉本新喜劇の舞台中継を見るぐらいでしたが、岡八郎とか、藤山寛美は好きでしたね。
大学は商学部で演劇とは関係なかったのですが、友達が演劇部に入るというので一緒に学内サークルの「獅子」という劇団の部室に見学に行ったんです。
そうしたら先輩たちが少ししかいなくて、部員が欲しいから大歓迎してくれた。それで、つい、じゃあ入ろうかと(笑)。

──初舞台は何だったのですか?
先輩が書いた本に役者として出演したのが最初です。何の役だったのかさえ覚えていませんが、つかこうへいさんの『広島に原爆を落とす日』のパクリというか、殆どそのままみたいな本でした。先輩はオリジナルだと言い張ってましたけど(笑)。何せ演劇はそれが初体験だったので、「これが芝居というものなんだ!」って思いました。ピンスポットに浮かんだ役者が客席に向って長ゼリフをとうとうと喋り、役者同士が機関銃のような早口でまくしたてる……もう、つか芝居そのものですよね(笑)。僕自身はつかさんの芝居を見たことはなかったんですが、当時の学生演劇にはつかさんの影響がとても大きかった。

──オリジナルを書くようになったのは?
大学2年の時に医療刑務所へ慰問公演で行くことになり、僕が本を書きましたが、もうタイトルすら覚えていません。つかさんタッチの芝居で、最初は何をやっても受けてもらえたけど3時間もあって、最後は雰囲気がヤバかった(笑)。その後、僕が獅子の代表になり、日本神話を元にして3部作をつくりました。『宝島〜バックドロップはこうするんだ』など、まあ、荒唐無稽な話で、プロレスを劇中に取り入れたりしてました。プロレスは、七ツ寺共同スタジオで見た南河内万歳一座の芝居の影響です。凄く面白かったですから。

──劇作家として自覚し始めた頃に、影響を受けた作家はいますか?
それはもう、竹内銃一郎さんですね。(自分では)台詞の文体も竹内さんを意識しているところがあります。斜光社時代の舞台は見ていなくて、秘法零番館になってからの『あの大鴉、さえも』の再演や『かきに赤い花咲くいつかのあの家』などを見ました。名古屋公演だけでなく、東京のアトリエ公演も見に行ってました。
竹内さんの戯曲で最初に読んだのは斜光社時代の『少年巨人』です。延々と「1000本ノックだ」と言って人を殴り続ける作品ですが、もの凄い、圧倒的なエネルギーを感じた。「なんだこれ!!」って感じでした。実際に舞台を見ると木場克己さんや森川隆一さんの存在感が凄くて感動しました。
結局、学生時代の僕の芝居は、文体は竹内さんから借りて、アクションは内藤裕敬さんの南河内万歳一座から引っ張ってくるという、そんな感じでしたね。

──竹内さんの芝居以外ではどんな芝居を見ましたか?
大学に入るまでは全く見たことがなかったのですが、先輩に「行け」と言われて、生まれて初めて見たのが唐十郎さんの状況劇場です。白川公園の紅テントで『新・二都物語』をやっていたのを、大雨の日に、長蛇の列に並んで。何かいかがわしい雰囲気で、テントの中に入ったら、もう出て来られない気がしました。怖かったですね(笑)。

──お化け屋敷じゃないんだから(笑)。
いやいや、お化け屋敷は最終的に「出られる」というのがわかっているからいいですが、紅テントはとても出られる気がしなかった(笑)。で、一番前の席に座ったら、いきなり唐さんが登場して「新宿養老院の皆さん!!」とか叫ぶんです。わけがわからない。唐さんや李麗仙さんに客席から「ヨッ、カラ!」「リー!」とか声が掛かって、歌舞伎みたいでした。芝居の内容はよくわからなかったけれど、何か興奮したのはよく覚えています。トイレの汚物入れにお金入れようとして入らないシーンとか、今でも目に浮かびます。

──話は戻りますが、竹内さんの戯曲の何に一番惹かれたのですか?
ひとつは文体のリズム。それは間違いないです。竹内さんの劇は読んでいてすんなり頭に入ってくる。『悲惨な戦争』も凄くわかりやすくて、面白かったですし、舞台を見てからまた読むと、木場さんたちの台詞廻しが頭に入っているから、その調子で読んでいるだけで楽しい。僕はそもそも役者をやりたかった人なので、実は、自分はもう秘法零番館に入るしかないと思って、大学4年の時に就職が内定していたにもかかわらず、「劇団員募集はありますか」って劇団に電話した。そしたら電話に出たのが木場さんで、あの声で「ありません」って。「木場さんですよね。頑張ってください」って言って電話を切ったんですが、「ああ、もうダメだ。就職するしかないのか、俺は」って。そういう時に流山児祥が監督した映画『血風ロック』を見に行った。そしたら小劇場の人がいっぱい出ていて、アフタートークの流山児と川村毅の話を聞いていたら「もう、就職なんかしてる場合じゃない」と(笑)。
 
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