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Artist Interview
A world of the imagination overflowing from the everyday- Playwright Norihiko Tsukuda
日常から沸き出す妄想の世界 劇作家、佃典彦


B級遊撃隊『破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか』(2005年)
(c) B級遊撃隊
──B級遊撃隊の旗揚げは大学5回生の時、1985年ですよね。
ええ。内定先の会社に断りを入れて留年しました。親に「就職をやめて芝居する」と言ったらひどく怒られて。まあ、当たり前ですけど。「25歳までに名古屋でお客さんを1000人動員して、東京公演を実現する」とタンカを切って、芝居やらせてくれと頼み込みました。
当時、獅子は名古屋の学生劇団の中で一番動員力がありましたし、面白いとも言われていましたから、天狗になっていたところもあります。自分が劇団の人気を高くしたという自負もあったし、あの頃は本気で「俺が名古屋の演劇界を変えるんだ!」と思っていました。──それで、1987年に『審判〜ホロ苦きはキャラメルの味』で名古屋市文化振興賞を受賞しました。
偶然賞公募のチラシを見て、「賞でも取れば親も納得するんじゃないか」と、軽い気持ちで書いたのが『審判』です。はっきり賞狙いで書きました。芝居を見に行った時にもらったチラシの束の中に、加藤健一さんのひとり芝居『審判』のチラシが入っていて。「審判か、野球の審判の話にしたら面白いかな」と。それを思いついたのが彼女とのデートの前で、待ち合わせしている間に大学ノートに2時間ぐらいで一気に書き上げました。

──野球の審判にはモデルがいたのですか?
いや、全く僕の創作です。野球は好きだったのでよく見には行ってはいました。

──賞をもらって変わりましたか?
変わったのは僕よりも母親でしたね。受賞にはそんなに喜ばなかったのに、NHKから「ラジオドラマを書かないか」と依頼が来てからころっと変った。それまで大反対していたのに「芝居頑張りなさい!」と応援してくれるようになりました。

──『審判』は北村想さんの劇団にいた伊沢勉さんのひとり芝居で上演されて評判になりました。実際に球場での野外公演も行われ、NHKで放映されました。
本当に『審判』を書いてよかったと思います。23歳の時でしたが、伊沢さんの公演では想さんに演出してもらい、モノローグをダイアローグに書き直せと言われて直したり、もの凄く勉強になりました。

──『審判』以後、B級遊撃隊にオリジナル戯曲を書き下ろすようになりますが、竹内さん以外で影響を受けた人はいますか?
僕はあまり本を読むタイプではなかったので、竹内さんがカフカや安部公房について書いているとそれを読む、という具合でした。カフカと安部公房は今でも面白いと思っています。カフカでは『変身』『審判』、公房は戯曲より小説が好きです。公房は確信犯的に嘘をついていて、その“嘘のつき方”のディテールが細かくていいですね。それと、足のすねからカイワレ大根が突然生えてくるとか、グロテスクなところも好きです。ホラー漫画の楳図かずおや日野日出志も好きですね。

──小説を書くことに興味はないのですか?『ぬけがら』のあと書きに、「書きたいモノがある人が小説家になり、見たいモノがある人が劇作家になる」とありますが。
劇作家で小説を書く人もいますが、僕は30歳過ぎた頃にはもう「小説は書けないな」と思っていました。そういう語彙力がないんですよ。

──先ほど北村想さんの話がでましたが、同じ名古屋を拠点に活躍している先輩です。佃さんはいつから想さんの芝居を見ているのですか?
彗星ユ86の時代から見ています。『グッドバイ』や『挽歌RAブルース』などを見ましたが、どもりながら台詞を言う神戸浩さんという役者さんには本当にびっくりしました。その他の役者さんもとても好きでした。でも役者さんのキャラクターがはっきりしていた分、逆に想さんの作風に僕が影響されるということはなかったです。
大学4年の頃、「獅子」で部員がやりたいと言って想さんの『寿歌』を上演したことがあります。でも、本を読んでも、加藤健一さんがやった舞台のビデオを見てもよくわからなくて、最初僕はあまり乗り気じゃなかった。ところが、想さんが演出したT.P.O師★団時代の『寿歌』の公演を録音したテープを聴いたら、これが無茶苦茶面白くて。矢野健太郎さん、火田詮子さん、おかち以蔵さんが出演した伝説の舞台でした。「この芝居は俺が演出する。ゲサクも俺がやる」って、部員から取り上げて(笑)、野外で上演しました。

──佃さんは“役者の個性に当てて台本を書く”いわゆる「アテ書き」派の作家と言われています。最初に影響を受けたつかこうへいさんは、役者の個性を重視し、稽古中に役者に口移しで台詞を伝えながらテキストをつくっていく「口だて派」ですが、そういう影響があるのですか?
つかさんの影響というより、目の前にいる劇団員と芝居をつくるしかないので自然とそうなったというのが正直なところです。僕はまず最初に「作品(戯曲)」在りき、というのではないと思っています。役者の顔と体を見てからじゃないと書けない。それは、自分の劇団以外に戯曲を書き下ろすときも同じです。だから必ず出演者に会わせてもらって、どういう人か自分なりに理解してからしか書きません。

──役者のどこに一番こだわりますか?
“声”が一番です。事前にワークショップなどをやった後、一緒にお酒を飲みに行ったりして、声とか、話し方とか、身体つきとか、仕草とかを観察する。それからその人が何に興味を示すかについても見ます。でも声が一番ですね。だって、人の説得力は声で決まりますから。声を聞くとわかります。

──学生劇団時代も含めて最初の頃は作・演出・出演をこなしていましたが、最近は演出しなくなりましたね。
役者と演出を兼ねるのがシンドクなってきた。役者は話の筋とか次への展開だとか、そんなことはお構いなしに、自分が今、どう在るかというところでつくっていけばいいけど、演出家はそうはいかない。役者としての自分を抑える演出家の自分がどこかにいるのが見えてきて嫌になりました。僕は、戯曲書くことと役者はずーっと続けていきたいと思っているので、劇団の演出は神谷尚吾にまかせるようになりました。でも他の劇団に台本を頼まれて自分が出ない時は演出もします。

──佃さんにとって役者の魅力とは?
“その気”になれるところですね。例えば誰かを“殺す”気になれる。実際に殺すことはできなくても“その気”にはなれる。もちろん芝居がうまくいかないとそうはなれないですが。
それと自分の劇団で演じるのと客演するのとでは全然感覚が違います。深津篤史さんの芝居に出た時は、台本を読んでもさっぱりわからなくて。だけど、稽古をしているとそのわからないところが自分の体の中に入ってくるわけです。その“違和感”は好きですね。嫌いじゃない。アサリを食べた時に砂が入っていて、ガリガリッと噛んだ感じ。それを愉しむ感じですね。
 
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