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Artist Interview
A world of the imagination overflowing from the everyday- Playwright Norihiko Tsukuda
日常から沸き出す妄想の世界 劇作家、佃典彦
──話を聞いていると、佃さんは、常にどこかで自分を客観視しようとしているように聞こえます。作品を書いている時、“お筆先状態”いわゆる“自動筆記状態”になるタイプとは違うようですが?
僕は書いているとすぐ疲れちゃうので、1時間とか2時間書くと、1時間ぐらい寝ます。で、起きてまた2時間ぐらい書いて、寝ての繰り返し。昼も夜もない。寝ている時に夢を見て「あっそうか!」って思うこともあります。1日のうちに短時間でも時間を見つけて書いていく。調子がよくてどんどんかける時にも止めて寝ます。筆がのりすぎるのは絶対よくないと思ってるから。疑り深いのかな。常に、うたた寝しながら書いてます(笑)。

──なかなか書けなくてたまりにたまって書き出すという人は多いと思いますが、それは珍しい。“うたた寝劇作家”(笑)ですね。そういうところも“客観視”の作家と言えますよね。ところで、岸田賞受賞作の『ぬけがら』では、亡くなった父が「脱皮」をくり返してどんどん若くなっていきます。あのアイデアは秀逸でしたが、思いついたきっかけは?
死んだ人が若返るというのは、これまでもいろんな人が書いているアイデアだし、楳図かずおの漫画『アゲイン』もそうですし、別に目新しいものではありません。実は、文学座に書き下ろしを依頼された時に、私生活で認知症になった父と暮らさなければならなくなったんです。夜中に父がトイレに行ったきり1時間以上出て来ない。それで心配になってトイレの戸を開けたら、もちろん父はいたんですが、その姿を見た時に「ここでフニャフニャの抜け殻を置いて、若くなった父が出てきたらどうだろう」と閃いた。で、すぐメモしてコレはいけるぞ!って(笑)。
過去に読んだ楳図さんの漫画も下地にはなっていたと思います。それと、芝居の冒頭、抜け殻の6人の父が寝ているところから始まるのは、竹内さんの『酔・待・草』のファーストシーンが参考になっています。あの芝居は木の下に女の人が寝ていて回想形式で始まるでしょ。そういう始まり方をする芝居をずっとやりたいと思っていて、6人の父がいきなり全員寝ていたら面白いんじゃないかと思いました。

──結構職人的に書いているような感じですね。
はい。僕は「職人」だと思っています。同じ名古屋を拠点にしている少年王者舘の天野天街は天才ですが、僕は職人。そういう自覚はもう10年以上前からありました。そう思ったのは、30歳の頃、十二指腸潰瘍で倒れた時です。天才は病気が脳にくるじゃないですか。それなのに僕は中間管理職みたいに十二指腸にきた。「ああ、俺は天才じゃないんだ」と、それからは職人の道一筋です(笑)。

──職人的に巧いだけでは、もちろん岸田戯曲賞はとれません(笑)。ところで佃さんが、今、一番関心をもっているテーマは何ですか?
「モラル」についてですね。それをテーマにして6月に劇団の新作『プラモラル』を上演します。僕には中学生になる娘がいて、それで今PTAの会長をやっているのですが、「不審者」が子供たちにいたずらする事件が多くて問題になっているでしょ。ところが、僕が学校へ行くと、よれよれのつなぎのジーンズを着ていたりするから、もう充分「不審者」(笑)なわけです。実際に間違えられたこともあったし。
「この人はいったい誰なんだ」ということは見ただけじゃわからない。初対面で何も情報がないところでは、実際、人間というのはよくわからない。殺人犯が捕まると「あんな真面目そうな人が」とか、「やっぱりそういう人だった」とか。『藪の中』じゃないけれど、人によって、また、見方によってその人物が如何様にも変わっていく。そこに興味がある。「実のところ、お前は誰なんだ」という……。

──唐さんも、「事件が起こると、テレビのコメンテーターが何でこんなにひどいことができる人がいるのか“わからない”と言うけど、元々人は本質的に“わからない”存在だ」と言っていました。
そうそう。人間は元々わからない。だから僕の台本は登場人物も名前じゃなくて、「男1」とか「男2」になっているのが圧倒的に多い。それは、例えば「木村君」と呼ばれたらその登場人物は観客に「木村君」として刷り込まれてしまうわけで、それで果たしていいのかと。「木村君」と呼ばれるから単純に木村君でいいのか。そこに引っかかるからです。

──そういう佃さんの劇作家としてのスタイルができていったのはどの辺りからですか?
それは1992年にB級遊撃隊公演として上演した『インド人はブロンクスへ行きたがっている』を竹内さんに演出してもらった時からですね。竹内さんに戯曲のダメだしをめちゃくちゃ受けましたし、演出にしろ、役者の立ち方にしろ、もう目からウロコが百枚くらい落ちました。

──竹内さんから言われた事で一番印象に残っている言葉は何ですか?。
「先にわからせろ」「答えは先に出せ」ですね。ですから『ぬけがら』でもそうしています。竹内さんには「面白いこと思いついたらすぐ書いてすぐやれ。出し惜しみするな」ってよく言われました。

──佃さんの戯曲は、部屋に唐突に土管が突き出ていて、その土管で繋がった世界を描いた『土管』や、礫死体を集める仕事をしている「KANムKAN男」など、不条理な設定ではじまります。不条理劇作家と呼ばれることについてはいかがですか?

そういう設定(異物)がないと書きはじめられないんです。だから本当は不条理じゃないと思いますが、そう言われるのは嫌じゃない。前に言った「アサリを食べて砂がガリッ」じゃないけれど、何か“異物”がないと始まらないんです。

──実際の劇は日常的なシチュエーションで展開します。日常の中でどういうものと出会った時に芝居のモチーフにしたいと感じますか?
第三者には理解できないような「情熱」を垣間見た時には面白いと思いますね。例えば、警察の鑑識課に友達がいるんですが、靴の裏、足跡を見ればどんな人かわかると言うんです。そいつは、子どもの頃から“足の裏フェチ”で、怪獣でも足跡にしか興味がなくて、足跡で怪獣の名前を言い当てていました。そういう人の話はたまらないですね。

──異能な人にひかれる。
はい。それもどうでもいいことに異能な人。例えば亀が大好きで、亀に夢中になっている人を知ったとすると、僕の中でその人と亀のことがどんどん膨らんでいって。そして「部屋いっぱいに大きくなった亀に一生を捧げる男二人の話」になったりする(笑)。

──それはその人の情熱の行方にひかれるのですか?それとも人間そのものの「存在」にひかれるのですか?
どうだろう。そういう情熱をもった人がいると、自分の中でその人のことをデフォルメして見ているんです。例えば「KAN-KAN男」だと、線路をじーっと見ている人がいて、それを「何だろうなあの人は、礫死体か?」という具合にデフォルメしていく。妄想が膨らんで、その妄想した世界と自分がどう係わるのかと考える。デフォルメしたものと、「デフォルメしたものに押しつぶされそうになっている私たち」の両方を見てみたいんです。

──佃さんにとっての劇世界は、「自分がデフォルメしたものとその側にいる私」ということなんですね。自分自身を突きつめて作品を書いていくと、「デフォルメした不条理な世界」をつくらないとしょうがない。そうして必ず“そこ”に自分もいる。
そうだそうだ、そんな感じですね。
 
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