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大島早紀子
大島早紀子(Sakiko Oshima)
演出家、振付家。1989年に、ダンサー白河直子とともにダンスカンパニー、H・アール・カオスを設立。独特な美意識と哲学に支えられた創作活動は日本のトップダンスカンパニーとして、国内外で高い評価を受けている。100人のオーケストラ演奏による『春の祭典』公演や、オーケストラ・合唱団・オペラ歌手の演奏による『カルミナ・ブラーナ』など、他に例を見ないスケールの大きな作品を発表している。海外フェスティバルからの招聘も数多く、国内外の様々な都市で公演を実施している。97年に続く2度目の北米ツアー(2000年)では、NYタイムズが選ぶダンス・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほか、朝日舞台芸術賞(2002)など国内外の賞を多数受賞している。2003年6月にはシンガポールのバレエ団「シンガポール・ダンス・シアター(SDT)」に演出・振付(主演:白河直子)。2004年にはストラヴィンスキー生誕の地であるサンクトペテルブルグの他モスクワ、ヘルシンキ、ワルシャワを巡る本格ツアーをし、この9月にはSDTとの新たな共同作品『Whose Voice Cries Out?』を発表。2007年2月に東京二期会主催オペラ『ダフネ』の演出を手がける。
http://www.h-art-chaos.com/
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an overview
Artist Interview
2006.9.14
The unique aesthetic art world of director and choreographer Sakiko Oshima  
独自の美意識に彩られた 演出家・振付家、大島早紀子の世界  
独自の美意識と哲学に支えられたシアトリカルな大島早紀子の演出、天才ダンサー白河直子の存在により日本を代表するダンスカンパニーとなったH・アール・カオス。2000年にはNYタイムズが選ぶ同年のダンス・オブ・ザ・イヤーに選ばれるなど海外でも高く評価されている。近年ではシンガポールのバレエ団SDTやオペラの振付など、個人での活動にも力を入れている大島が語る、これまで、今、これから。
(聞き手:立木子/9月2日『Whose Voice Cries Out?』の公演中、シンガポール・エスプラナード劇場にて)



――1989年のカンパニー創設から今年で17年です。カンパニー創設の経緯から振り返っていただけますか?バレエやモダンダンスが基本になっていると思いますが、演劇に対する興味もあったと聞いています。
演劇についてはバックグラウンドがあるわけではなく、中学の時に演劇部に入っていて戯曲を書いたことがあるぐらいです。大学では広告研究会でしたが、ダンスや演劇は興味をもって見ていて、現・ダンスワークス主宰の野坂公夫さんのカンパニーに入りました。そこでモダンダンスの基本的なテクニックなどを学んだり、同時にバレエの小川亜矢子さんのオープンクラスに通ったりしていました。そのうちに、「こういう作品がつくりたい」「自分の見たい世界を自分でつくりたい」という漠然とした創作意欲がわいてきた。ちょうどその頃、野坂さんのカンパニーに白河直子さんが入ってきたんです。

──H・アール・カオスで17年間ずっとともに歩んできた白河さんとの出会いですね。
そうです。白河さんには、初めて会った時から他の人とはぜんぜん違うオーラがありました。普段はざっくばらんですごく親しみやすい人柄ですが、踊り出すと全く違う雰囲気を醸し出す。誰でも舞台に上がると変わりますが、彼女は稽古場でも別人のようにパッとモードが切り替わる。野坂先生も、限りない可能性があるすごい大器だと言っていました。ですから、カンパニーをつくる時にはもう、白河さんが入ってくれることが必須条件で、白河さんを中心にこういう世界をつくろうというのが溜まっていった感じでした。実際、そうして作品をつくっていったので、彼女がいなければカンパニーはなかったと思います。

──H・アール・カオスというカンパニー名について聞かせてください。
「H」がヘブン、「アール」がアート、「カオス」は混沌です。Hのヘブンは英語で、アールはアートじゃなくてアールと、フランス語読みにして。カオスはギリシア語の読みです。私たちの活動が、国境や人種や言語といった境界を越えて、さらに自分自身という境界も越えて、人と何か心が通じるような活動になればという願いを込めています。混沌の中から天国に通じる恍惚感を観客と共有することができれば、という願いもあります。

──まさに今つくってらっしゃる作品のイメージとぴったりのカンパニー名ですね。当初から女性ばかりのカンパニーだったのですか?
創立当時から意識していたわけではありませんが、確かに12〜13人いたダンサーは全員女性でした。ただ、白河さんは両性具有的な特殊なムードのある人だし、男性が出ている作品も初期にはたくさんあります。今でもカンパニー以外の仕事で男性ダンサーに振付けることは多いです。
「男である」「女である」ということを考えるとき、いずれか1つの性だけでやる方が観客の想像の枠が広がるんじゃないかと思っています。白河さんのような人がいたからこそそう思ったのですが、男なら男だけ、女なら女だけの方が、既成のものを超えた自由な発想ができる余地を観客に与えられるような気がします。単一の性でやると、身体がもっている社会的な制約や関係性の制約が直接的でない分だけ抽象化し、性そのものの持っている固定概念を乗り越えられる部分もあると思います。それと一種の宗教的な感覚を表現する場合にも有効だと思います。性を乗り越えると、身体は崇高なものだと思いますし。

──「性」が「聖」になる?
はい、そういう可能性は単一の性でやった方が表現しやすいと思うんです。もちろんそれが中心的なテーマじゃない時は、男性に出てもらった方が表現は豊かになりますよね。こういう考え方は89年当初から何となく持ってはいましたが、今みたいには答えられなかったと思います。徐々に実感が沸いてきて、『秘密クラブ・・・浮遊する天使たち』(92年)をつくった頃には確信になっていました。

──大島さんの作品はどれも空間の使い方が実に巧くて、スケールが大きい。舞台美術に対してのイメージもすごくはっきりしています。
美術は基本的に私が全部プランを立てています。振りを付けている時も、つくりながら照明を考えています。音楽ともすごく密接に関係していて、音楽と照明は相互補完しているので、オペレーションでは寸分の狂いも許されません。照明という光の芸術を何秒で何パーセント落とすか、ワイヤーに下げられた身体が光に向かってどう動くのか、シルエットで見えるかでは全く効果が異なります。こうしたことを細かく具体的に考えていきます。
光同様、闇にも思い入れがあります。闇には、ゼロというところで、プラスマイナスが完璧に均衡した無というイメージがあります。それが、時間や空間、生とか死とか、哲学的なテーマに転化していくので、照明に求めている闇には色合いがあります。こういうふうに照明は私の作品にとって非常に重要な意味をもっています。光の力は、世界に身体があるというのと同じぐらい、いやそれよりもっと凄いことかもしれません。

──大島さんの作品の中ではよくワイヤーで宙づりにされたダンサーが出てきます。
ワイヤーを使って自由に飛ぶことより、飛んで行って現実に引き戻されることの方を表現したくて使っています。ワイヤーで宙づりにしたダンサーの身体は、すごく自由にもなるけど、必ず制約というマイナスの要素も一緒に付いてきます。ワイヤーによって重力から自由になれるのではなく、身体に対する重力のかかり方が変わるということなのです。それによってひとつのなまの身体が作品のなかで際立ってくるわけで、ワイヤー、とかゴムとかは私にとって大変有効な手段になっています。あくまで人間的な可能性の拡張としてですが。

──創作する上で白河さんのようなダンサーとのコラボレーションは重要ですか?
もちろん重要です。頭で考えているものを身体が打ち砕いていく、と言うんでしょうか、彼女の身体によって私のイメージが粉々に砕かれていきます。でもそうやって、左脳で理性的に考えたものは一度壊してしまう必要があるのです。私には言葉というものに刺激されてテーマを決めたり、世界を創造したりするところがあるのですが、作品にするときには言葉そのものを一度解体すべきだと思っています。それがやれるのは、やはり身体の力しかない。身体を使って、最後まで何度も意味の解体を行い、自分のコンセプトを再構築していきます。

──テーマも非常に哲学的・社会的で、空間造形と併せてとても宇宙的な世界を創りだしている感じがします。
昔から「時間」とか「性」とか「生死」といったテーマや宇宙の仕組みについて興味をもっていました。なので、ハイゼンベルグやシュレーディンガーの物理学書、アインシュタイン以降の量子力学の科学書にはロマンがあって惹かれます。世界への関わり方を呈示してくれるドゥルーズ、ガタリ、ヴィトゲンシュタイン、デリダや、身体と世界について考えさせてくれるメルロ・ポンティーなどの哲学も大好きです。アンリ・ベルグソンが『創造的進化』の中で著した“エラン・ヴィタール(生命の飛躍)”、無限の創造を促す生命のエネルギーがテーマの、『エラン・ヴィタール−Eveの躁鬱−』(2002年初演)では、ES細胞やクローンなど、生命の始まりのボーダーラインの揺らぎをモチーフに創作しました。
空間について私が一番考えているのが、空間を存在させる身体が一番にあるということです。身体があるからこそそこに空間が生まれる、つまり身体を中心にして空間も存在しえるのだと思います。
 今の世界では周りの環境は飛躍的に変化していて私たちはそれについていけないような状況にあります。それで、舞台上でも演出的に人間的な身体の可能性をちょっと拡張したような瞬間があってはじめて、生の身体の持っている凄みというのが逆に出てくるんじゃないかと思います。私たちには羽根はないけれど飛行機で空を飛べますし、大きな声を出さなくても拡声器があるし、遠くの人とも電話で喋れるし、脳の外にも記録できるといったように、私たちの身体は日常生活の中でさえ外に拡張したり流れ出したりしている。だから、舞台空間の中で道具も含めた周りの空間そのものも身体を中心にした何かエネルギーの流れのあるもの、身体とともに踊る空間であってほしい。そんななかで身体の可能性を逸脱したり、拡張したりして、失われた世界の実在感を取り戻す時、私にとってなまの身体はよりリアリティのあるものになるのです。
 
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