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Artist Interview
Kazuki Nakashima's spectacles of manga and Kabuki and romance legends
マンガと歌舞伎と伝奇ロマン活劇と――アクション劇作家・中島かずきのスペクタクル

『スサノオ〜神の剣の物語』
1989年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ

『阿修羅城の瞳』
2000年、2003年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:市川染五郎
(c) 松竹株式会社/ヴィレッヂ

『アテルイ』
2002年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:市川染五郎
(c) 松竹株式会社/ヴィレッヂ
――中島さんが一番最初に書いた作品は?
テネシー・ウィリアムズのパロディで『踏みにじられたマニキュア事件』。次がイヨネスコの『授業』のパロディで、家庭教師が娘を殺しても、また次の娘が現れるという話です。
最初は不条理劇のようなものが“正しい芝居”だと思っていたので、そういうものを書いていました。自分ではどこか釈然としない部分もありましたが、当時の高校演劇の傾向として「わかりやすいもの」より「わかりにくいもの」の方が評価されやすいということもあったんです。それからつかこうへいさんの初期の作品、『熱海殺人事件』や『初級革命講座・飛龍伝』に衝撃を受けて、その影響でレトリックに凝った話も何本か書きました。
でもいのうえ君と一緒に芝居をするようになって、やっぱり違う、自分で信じるものを書こうと思うようになりました。自分は何を信じているのか。それは“漫画的な活劇”や“映画的な活劇”であり、そういうものをずっとおもしろいと思ってきたんだから、じゃあ、舞台の上に漫画や映画をのっけようと決意した。それからもうずっと今までそのことだけをやり続けています。

――観客が、「みてわかる、みておもしろい芝居」ですよね。そういう漫画的・映画的活劇の始まりはどの作品からですか?
いのうえ君が『星の忍者』(1986年)というタイトルの芝居をやりたいと言ってきたんです。忍者もののチャンバラ活劇で、ラストは星から落ちてきた女の子が光の翼にのって星へ帰っていく。おもしろい話だから僕に書かせてくれと言って、山田風太郎さんの伝奇小説が好きだったので、そうしたテイストも入れて書いたら自分でもおもしろいぐらいにのって書けた。「あ、自分にはこういう作品が向いているな」と。それで次に書いたのが『阿修羅城の瞳』です。

――『阿修羅城の瞳』は息が長い作品ですね。
はい。でも骨子はあまり変わっていないんです。女の子が恋をしたら鬼になるというのは、いのうえ君のアイデアですが、何て云うのかな。神からの啓示のように書けた、神さまが自分にくれた宝物のような作品です。逆に『髑髏城の七人』は自分の原石。初演から14年間かけて磨き上げていったという作品。全然違う2作品があるのは、ありがたいと思っています。

――『髑髏城の七人』は、黒澤明の映画『七人の侍』というよりは、それを西部劇にしたジョン・スタージェスの『荒野の七人』の雰囲気がある、戦国時代の関東を舞台に信長の化身のような男(髑髏党を率いる天魔王)と主人公の捨之介に代表されるアウトローたちの闘いが小気味いい活劇。この芝居は古田新太主演の『アカドクロ』と市川染五郎主演の『アオドクロ』(共に2004年)の2バージョンありますが、『阿修羅城の瞳』や『アテルイ』と同じで歌舞伎役者が演じてもぴたっとはまる。そもそも歌舞伎に興味があったんですか。
なかったですね。ただ、歌舞伎の本を読んだり、調べてみると、新感線と同じだなと思った。役者に当て書きするし、鳴り物入りでギャグを入れるし、ケレンもある。じゃあ時代劇をやるなら「いのうえ歌舞伎」と付けちゃえと(笑)。小劇場でやっていた「いのうえ歌舞伎」が、今では本物の歌舞伎役者さんが出て大劇場でやっているんですから。「継続は力なり」ですよね。

――中島さんの戯曲は「仮説」の立て方がとてもおもしろい。出世作になった『スサノオ─神の剣の物語』(1989年)は、日本の古代神話に材をとり、渡来民と先住民の“クニヅクリ”の物語が虚実入り乱れて展開しています。実在の人物と虚構の人物がある時代のある場所で遭遇し、そこからの化学変化、異化効果がおもしろい。『阿修羅城の瞳』も安倍晴明と共に江戸時代の戯作者・鶴屋南北が登場します。
若い頃から国枝史郎とか白井喬二、最初は半村良ですけど、伝奇小説が好きでした。隆慶一郎さんには90年に出会って、ほんとうに目から鱗が落ちましたね。『吉原御免状』(2005年)をやらせていただきましたが、差別された側の人たちをあれほど誇り高く書いていることに感動しました。山田風太郎さんも好きですが、根本にペシミズムがあるのが、僕にはもうひとつ肌が合わないといいますか……。向日性な性格なもんですから、人が前向きに生きていくのが好きなんです。山田さんと隆さんは裏表、ネガとポジだと思いますが、僕はどちらかというとポジティブな隆さんの世界にどうしても魅かれてしまいますね。

――中島さんが一貫して描いているテーマのひとつに隆さんの被差別民に対応する異民というのがあります。異民というのは、鬼と呼ばれた者とでも言えばいいのでしょうか。『アテルイ』も、時の権力者とまつろわぬ者(服従しない者)、つまり鬼との闘いの話です。ただ、それが抵抗する側のペシミズムで終わらないところが中島戯曲だと思いますが‥‥。
僕にとっての鬼はそれこそ先住民というイメージなのですが、そういう抵抗者の方が正しくてかわいそうだとは捉えていません。あくまで権力者と抵抗者をフラットな視点でみて、そこからどのような物語が描けるのかを考えています。もちろん物語がおもしろくなればそれでいいということではありません。その辺でテーマ性とエンターテイメント性のせめぎ合いはありますね。

――権力者であれ抵抗者であれ、人物に血が通わないとおもしろくはならない。つまりは、登場人物の、虚実両方の人物の存在感の問題だと思います。
そうですよね。それと新感線の場合は、エンターテイメントですから「みにきてよかった」という満足感を持ってお客さんに帰っていただかないといけない。ただのペシミズムで終わって「現実ってツライよね」となっても仕方がない。現実がツライのはあたりまえだから。芝居が終わって劇場から出る時に「ああ、おもしろかった」という思いをもっていてほしい。

――“エンターテイメント職人”と呼んだらいいんでしょうか。中島さんもいのうえさんもそうした共通の姿勢がある。だからこそ新感線は動員力のある人気劇団になったと思います。
若い頃にはその時にしかできない羽目を外した作品をやっていましたが、今それを無理矢理やろうとしても形だけになってしまう。僕もいのうえ君も過去に捕われず、自分たちの皮膚感覚に忠実にやってきたということです。座付き作者として、役者が変れば書き直しますし、そうしてやってきた結果が今だと思います。
 
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