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Artist Interview
Greek tragedy that rings true with young Japanese audiences An interview with translator Harue Yamagata
日本の若い観客に響くギリシャ悲劇 翻訳家の山形治江インタビュー
メディア
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『メディア』
(2005年5月/Bunkamuraシアターコクーン)
作:エウリピデス
翻訳:山形治江
演出:蜷川幸雄
出演:大竹しのぶ、生瀬勝久、吉田鋼太郎ほか
撮影:谷古宇正彦
(c) Bunkamuraシアターコクーン
オレステス
オレステス
オレステス
『オレステス』
(2006年9月〜10月/Bunkamuraシアターコクーン)
作:エウリピデス
翻訳:山形治江
演出:蜷川幸雄
出演:藤原竜也、中嶋朋子、北村有起哉ほか
撮影:清水博孝
(c) ホリプロ
――ギリシャ悲劇にはクライマックスに神が登場します。日本人にとってはあまり縁がないものですが、ギリシャ悲劇の中の神の存在というのは、どういったものですか。
必ずしもクライマックスに登場するわけではありません。神の登場には2つのパターンがあって、1つは、『バッコスの信女たち』や『縛られたプロメテウス』のように神が登場人物の1人として劇行為をするもの。もう1つは、『オレステス』や『タリウスのイフィゲニア』のように、劇の最後に登場して事態を収拾するというものです。
まず当時の信仰についてですが、神話が成立した紀元前8世紀から200年くらいは神々を深く信じていたと思われますが、ギリシャ悲劇の黄金時代、前5世紀には神に対する信頼感はかなり失われていたようです。例えば、『オイディプス王』は疫病の流行の場面から始まりますが、実際、当時疫病が流行し、人口の3分の1もの人々が亡くなった。信仰があれば助かるんだと最初は思っていても、こればかりは信仰があるなしにかかわらずみんな死んでゆく。それがわかると、人々は信仰に対してゆらぎを感じる。神は心のよりどころでもある反面、神とは一体何だろうと半信半疑になる。
この気持ちは台詞の中にも表れていて、アポロンの言葉を伝える預言者に対して「あてにならない」と不信感をあらわにしています。さらにこの劇が上演されてから20年近く後の『オレステス』では、「アポロンは間違っていた」とはっきり神批判をしています。でも、だからといって神を完全に信じなくなったわけではない。予言者批判をしたイオカステは、心の平安を祈願してアポロンに供物を捧げるし、アポロン批判をしたオレステスは、「あなたの言葉に従います」と誓う。悲劇の中の神の存在はどうもあいまいです。でも、それが当時の観客の認識でもあったのでしょう。
現代の日本も、信仰というものが薄れているんだけど、合格祈願や、安産祈願の産土なんていうものがあったり、どこかみんな神頼みをしている。それと同じで、自分たちのまわりには理不尽なことがたくさんあって、不合理なんだけど、それは神のせいだといってしまえば、もうどうにもできない。つまり、抗いようのない神意、つまり「神オチ」です(笑)。

――ギリシャ悲劇が扱うテーマは欲望あり策略あり、2500年たっても普遍的で、演劇というより現代社会の縮図ですね。
例えば、『ハムレット』は悲劇だと言われていますが、私には悲劇には見えません。ハムレットは、結局は父の復讐を成し遂げ、満足感の中で死んでゆく。
慈悲深い神の摂理でうまくいっているわけだから悲劇にならない。そこがキリスト教の神と古代ギリシャの神々との違いでもありますが、ギリシャ悲劇というのは、「オレは何でこんな不幸な目に遭わなければならないんだ」という救いようのない理不尽さの物語だと思うのです。だから神が出てきて勝手なことを言って終わるのは、確かに不合理なんだけど、もともとそれがこの世というものだ、ということになるんでしょう。その理不尽さや不合理さそのものが悲劇なのだと思います。

――さらに、ギリシャ人の信仰がオリュンポス信仰からキリスト教に変わった時点で、舞台に登場する神のイメージも変わったのではないでしょうか。
そうなんです。それもちょっとあいまいな感じで変わっています。現在、9割のギリシャ人がクリスチャンですから、ギリシャ悲劇の神もクリスチャンのイメージで捉えてしまっているようにも見える。もちろん彼らもギリシャ悲劇の神々は、クリスチャンの神ではないということはよくわかっている。わかっていながらなんとなくキリスト教的な神のイメージからぬけだせない。そのジレンマが舞台にも表れているようにも見えます。つまり、ギリシャで現在上演されている悲劇に登場する神役の演技も演出も、なんだかあいまいな感じがする。ギリシャで彼らの舞台を観ても、いつも腑に落ちません。ですから、日本人が神を演るぎこちなさと、ギリシャ人のそれとは同じなんじゃないかな。「神のあいまいさ」で言えばむしろ宗教的に無自覚な日本人のほうがよっぽどましかな、とも思いますが(笑)。

――山形さんが特にギリシャ悲劇の魅力として伝えたいと思っていることはありますか。
ギリシャ悲劇には「笑い」があることを観客にも出演者にも知ってほしいですね。役者には毎回顔合わせの度に「ギリシャ悲劇は笑っていい演劇ですから、台本を読んで笑えるところは、自由に観客を笑わせてください」と言っています。翻訳でもそこは意識していますが、例えば『メディア』では王役の吉田鋼太郎さんが「私は王だ、でも王に向かない性格だ」という台詞できっちり客席の笑いをとってくれてとてもうれしかったです。そういう意味で、ギリシャ悲劇は楽しくしようと思えばもっと楽しくなります。これは、あれこれ脚色して生まれるものではなく、原典に忠実であるがゆえに生まれる笑いです。日本でもギリシャでも人間のおろかさや滑稽さというのは普遍的なものですが、「原文に忠実に」というところで、私自身のオリジナルの役割が果たせればいいと思っています。

――公演パンフレットや戯曲巻末では、「これを読めば三倍面白くなる」といったギリシャ悲劇に関する解説をされています。山形治江という研究者のギリシャ悲劇に対する解釈が貫かれていて面白く読めます。
当初、ギリシャ悲劇を上演するということで、お客さんに知識がないと理解するのが大変だろうと心配して、観劇用の解説を書くことにしたのです。古代ギリシャでもデュオニュソス祭の演劇コンテスト前夜に、「今回披露するのは、メディアが子殺しをするという物語です。涙なしには見られません!」といったような見所を作者自身が市民たちに告げるというイベントがあったそうですし。つまり、紀元前5世紀の古代ギリシャ人も全員が全部わかっていたわけじゃない(笑)。ただ、ギリシャ悲劇の人間関係は確かにごちゃごちゃしていますが、台詞の中で何度も関係を説明しているので、聞いているうちに内容がわかるようになっている。解説は、だから、内容説明というより、もっと面白く見るためのガイドブックの感じです。

――今後の予定は?
蜷川さんは、次は何やろうかとおっしゃっていましたが、2007年は11作品も公演があるそうなので次がいつになるかは未定です。基本的には蜷川さんの依頼で翻訳をするというスタンスでしたが、今は長い休みがあればなるべく翻訳しようと思っています。すでにエウリピデスの『バッコスの信女たち』とアイスキュロスの『アガメムノン』は第1稿をあげています。日本では2009年までに裁判員制度が導入されますから、次に来るのは裁判劇なんじゃないかと密かに狙っているので(笑)、陪審員が殺人事件を裁く結末をもつ「オレスティア三部作」が注目を集めるかもしれません。また、蜷川さんがすでに演出した2作『エレクトラ』『オレステス』の発端となった生贄事件を扱った『アウリスのイフィゲニア』は、2007年の春に訳したいと思っています。初稿があがっていても1作品あたり4稿まで練りますから、まだまだ先は長いですね(笑)。
 
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