The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Artist Interview
Portraying the places where people with grudges come and go. The world of Go Aoki, a playwright shining light on the creases of the soul
わだかまりを抱えた人々が通り過ぎる「場」を描き 心の襞を照らし出す青木豪の世界
ストリップ
ストリップ
グリング第6回公演『ストリップ』
(2002年7月2日〜7日/下北沢「劇」小劇場)
作・演出:青木豪
撮影:加藤尋
エスペラント
エスペラント
文学座アトリエの会『エスペラント〜教師たちの修学旅行の夜〜』
(2006年/文学座アトリエ)
作:青木豪
演出:坂口芳貞
撮影:飯田研紀
──旗揚げ当時から、リアリズムタッチで、複数の人物たちがテンポのいい会話を交わしながら、複数のエピソードをからみ合わせて進行する、現在のような作風だったのですか?
実は、僕は、野田秀樹さんの「贋作桜の森の満開の下」を見てショックを受け、野田さんみたいな作品に憧れていたのですが全然書けなくて、プレッシャーのあまり過呼吸になった(笑)。書いたら八百枚くらいになっちゃって、でもまるでなってなくて、だけどその中で塾の先生が与太話している3ページぐらいだけは自分でも楽しく書けたんですね。宋さんが読んで「野田秀樹みたいなのをやりたいって言うけど、あんたはそういう作家じゃない。与太話のほうが面白そうだよ」って言われた。結局、第1回の公演は、合格祝賀会の余興を何かやろうと話し合っている塾の先生たちの物語になりました。

──野田演劇と現在のグリングでは、動と静の意味でも、幻想性とリアリズムタッチの点でも、真逆ですよね。
それについては自己分析してみたことがあります。野田さんの演劇を見ていると、野田さん自身が高校時代に陸上部だったこととも関係があると思いますが、「人よりも速く走ることが美しい」と思ってるなとつくづく感じるんです。だから文章も走っているし、走りながらじゃないとこのセリフは出てこない。人によってそれぞれ立脚しているところが違うとすれば、僕にとってそれは何かと考えたとき、僕の場合は「定点観測」なんじゃないかと思いました。
僕の実家は横須賀で三代にわたり、総菜とお弁当の店をやっていました。店番をやらされていると、パートのおばさんとか、近所の人たちが入れ替わり立ち替わり出入りしては、「あそこの喫茶店のオジサン、店たたんだあと強盗になっちゃったらしいよ」とか、結構とんでもないことをサラッと言ったりする。そういう、どうでもいい話と同じ調子で一大事を喋るという風景は、僕の中にはいくらでもストックがあり、それがたぶん原風景でもあると思うんです。だから、そういう設定だと、言葉がどんどん出てくる。ああ僕の演劇はそっちなんだなと思いました。
それと、最初に押さえたのがけっこう大きな劇場で、止まったまま会話をさせていると、それこそ蜷川さんではありませんが(笑)、お客は寝るはずなので、なんとか動かそうとしたら、頻繁に出入りさせるしかなかった。そういう必要に迫られて7、8人の役者を動かしつついくつかの挿話をからませて展開する書き方になったところがあります。原体験とこの書き方がマッチして、今の作風が生まれたように思います。
それに僕は割と飽きっぽいので、一本のお話がずうっと繋がっていくと、書くのも見るのも飽きちゃうんです。でもこのままでいいのかな、ということがあって、一度、二人芝居を書いてみたいとは思っています。ひとつの話を二転三転させながら二人の役者で進めていく。劇作家の岩松了さんにも、「強烈な対立項がないと、二人で1時間半の戯曲は書けないから、そういう作業は経験した方がいい」とアドバイスされています。

──伺ったところによると、書いていて行き詰まると、冒頭に戻ってまた新たに書き始めるという変わった書き方をされるとか。
どこへ行き着くかは分からないけど、大まかなプロットはまず考えます。三つか四つの話が同時に転がっていくことと、この場面からスタートして中盤でこうなるけどくらいまでは想定して、後は自分でも結末が分からないままで書き始めます。エピソードをどの順番で語ってゆけば、人をどんな風に動かせば、中盤のこの展開までたどり着けるかを考えながら、少しずつ執筆を進めます。行き詰まると、冒頭のセリフに戻って一行ずつ、どこで止まるんだろうと検証していく。ああなってこうなってと、えんえん自己問答を繰り返す。やっとここが問題点だというセリフが見つかると、ノートパソコンで書いていますが、そこからあとを消してファイル名を更新して新しく書き進める。第2稿、3稿と増えていって、だいたい40稿くらいでいつも書き終わる感じです。30から40の間です、いつも。30越えるとああそろそろ終わるなって実感してきます。だいたい、前半の一時間を書き終わるのに一ヶ月半、残りを2日で書き上げるみたいな感じですね。

──たとえば、プロットの段階で、エピソードや登場人物を書きしるしたカードを作り、並べ替えながら流れを作って、全体が見えてから実際に書き始めるのではダメですか。
やってみたことはありますが、最初に頭で考えた通りにしか進まないのでつまらなくなるんです。あんまり突き抜けたという感じがしなくて、書いていてもつまらないし、作品もしぼんじゃう。どうなるか分からないで書いていた方が自分でもわくわくするし、楽しいんです。

──今までに青木さんは、つぶれかかった動物園とか、修学旅行中の宿屋とか、ストリップ劇場の楽屋とか、理髪店とかを背景にした芝居をお書きになっています。青木さんにとって、演劇にしやすい魅力的な「場所」というものがあるんでしょうか。
ありますね。ひとつは、劇作家で演出家の平田オリザさんがおっしゃっていた「セミ・パブリック」と名づけられたような場所ですね。個室になっちゃうと、人の出入りが難しいですから、半分公共の場であり、半分プライベートでもあるような場所は、やっぱり書きやすいです。
それと僕の場合は、そのすぐそばに僕が本当に書きたい場所があるような空間になっていると思います。たとえば、旗揚げの作品でいうと、「塾の隣にある空き地」という設定でした。生徒や先生が集まっているのは塾だし、母親たちがクレームを付けに行くのも塾であって、大きな出来事はみんな塾の中で起きている。そして、その隣にある空き地で余興の稽古をしているわけです。重大な会議は塾の中で行われていて、そこに加わりたくない人が空き地で陰口を言ったり、そういうチマチマした風景が展開されていく。ストリップ劇場の時も、一番書きたかったのは舞台で起きていることや、水戸の原発事故をモチーフに取り入れた作品でしたから、原発を抱えた町の人々の空気感みたいなものだったのですが、それらがひとつところに吹き寄せられる場所として「楽屋」が一番よかったわけです。物事の中心からちょっとだけ外れた場所、完全にではなくちょっとだけはずれたところというのが魅力的です。

──常に役者にあて書きして書かれるんですよね。
そうです。僕自身が役者になりたかったということもあって、その役者さんが素敵に見える芝居にしたい。それは、その役者さんの個性をそのままを延長したり、拡大するというのではなく、この人にこんなことをいわせたら面白いだろうとか、あんなことをさせたら面白いだろうな、という形でのあて書きですけど。

──どの作品にも、書くときの参考にするネタ本があるらしいですね。
そうですね、毎回ありますね。それだけ自分には物語性がないのかもしれませんねえ(笑)。新しいものなんか作れないという諦めがあるんだと思いますが。今回の『虹』でいうと、イプセンの『幽霊』を土台にしました。あれは梅毒の話だったから、現代でいえばHIVかなと。『海賊』っていう作品は、『欲望という名の電車』を男主人公でやったらどうなるんだろうと考えたものですし、文学座のアトリエに書いた『エスペラント』は久保田万太郎の『大寺学校』でした。ネタ本が近代劇になるのは、純粋に人物たちの関係性だけを取り出して、再構成できるからというのが大きいです。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 |
NEXT
TOP