The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
Hironori Naito talks about 30 years of theater projects with the mentally challenged
知的障害者との舞台づくり 30年におよぶ活動の軌跡を内藤裕敬に聞く
ロビンフッド・楽園の冒険
ロビンフッド・楽園の冒険
『ロビンフッド・楽園の冒険』
© 滋賀県社会福祉事業団
*糸賀一雄(いとが・かずお)
1914年生まれ、68年逝去。日本の障害児教育、社会福祉事業の先駆者。鳥取県に生まれ、京都帝国大学文学部哲学科を経て滋賀県庁入り。終戦の翌年、戦災孤児と知的障害者のための施設「近江学園」を開設。その後、西日本で最初の重症心身障害児施設「びわこ学園」を設立するなど、多くの施設を手がけるとともに、中央児童福祉審議会・精神薄弱者福祉審議会の委員や全日本手をつなぐ育成会(旧称:全日本精神薄弱者育成会「手をつなぐ親の会」)の理事として、国の制度づくりにも尽力。「この子らを世の光に」という信念をもって福祉教育にあたり、日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られ、彼の精神は、現在もなお多くの福祉関係者に受け継がれている。現在では、故郷の滋賀県に糸賀氏の取組みを次代に引き継ぐ「糸賀一雄記念財団」が設立され、障害福祉の分野で顕著な活躍をしている者の表彰ほか、障害者の福祉の向上のための啓発・研修、調査・研究等の諸事業を行う。主な著書に、『この子らを世の光に』、『愛と共感の教育』、『勉強のない国』、『精神薄弱児の職業教育』、『精薄児の実態と課題』、『福祉の思想』などがある。
──今回糸賀記念舞台芸術祭として全県的な活動に広がった経緯はどんなものでしたか。
 本来は5年に1度の演劇公演は去年やる予定だったのですが、予算がつかずできませんでした。そこで、毎年やっている糸賀音楽祭とドッキングしてやろう、それも障害者福祉に貢献した人を顕彰する糸賀一雄記念賞が第10回を迎えるのを記念して少し大規模にやれればという流れになったようです。
音楽と演劇と一緒にできれば予算化もしやすいだろうし、あざみ・もみじ寮生だけでなく他の施設や在宅の障害者も公演に参加できる。そういう機会になればいいと、秋浜先生が考えられたんだと思います。

──ところが秋浜先生が急逝された。
 そうなのです。発案者である秋浜先生が、去年の夏に8グループの様子を見に行く最中で突然亡くなってしまったのです。僕は台本ができたあとに演出のお手伝いをするだけの予定だったのですが、台本ができる前に先生が亡くなってしまった!
 そもそもこの作品は先生だからこそできる大きな企画でした。じゃあどうしようとなったときに、これは教え子でがんばるしかないじゃないかという声があがりました。考えてみればこれは秋浜先生のやり残した最後の仕事ですし、30年以上やってきた集大成ですからやりたかったに違いないんです。
 そしたら田中先生も去年の秋に亡くなられて、両巨頭を一度に失うはめになりました。

──それで内藤さんがピンチヒッターを引き受けたわけですね。
 そうです。今年の夏の自分たちの劇団の公演が終わってすぐに、それぞれのパフォーマンスグループがどんなことをやっているのかを見に行くスケジュールをたてました。でも実際に各地の障害者たちの活動を見たら、これを芝居の中にどう取り入れればいいか、正直、途方にくれました。
 あざみ・もみじ寮で行なっていた芝居も「ロビンフッドの冒険」シリーズでしたが、内容は寮内の出来事とか生活の話題を構成したようなものでした。でも今回は音楽やダンスといった別々のパフォーマンスを入れなければならないし、そのためには全体の流れ(ストーリー)をつくって場面をころがす必要があります。舞台をころがすには「台詞」が不可欠ですが、はたして彼らにそういう台詞が言えるのだろうか。彼らがやれるためにはどんな台本を書けばいいのかと悩みました。

──3時間の作品でしたが、狂言回しがいてうまく話が展開していました。
 主な台詞をしゃべっていたのは、あざみ・もみじ寮生で演劇経験もあり、付き合いの長い人たちです。その他の人たちの場合も、台詞は覚えられなくてもインタビューをすれば答えられる。たとえば「あなたの名前は?」「一番好きなものは?」と聞けば、「○○です」と答えられる。これなら音楽やダンスをやってきた人たちにもできるし、本人にとってそれは書かれた台詞を言っていることと同じなんです。
 重要なのは、舞台では、その言葉に対して客席から反応があるんです。反応がある、人に観られている、他者に意識された存在として舞台にある――それが大切なんです。笑いでも、拍手でも、ヘーでもいいからとにかくリアクションがあって、まさに他者から自分が意識されていると肌で感じると、ものすごく消極的だった子が積極的になる。能動的になるんです。僕はそれをこの30年間目の当たりにしているので、何とか全員に一言ずつでも喋らせたいと思って台本をつくりました。
 滋賀県の障害者福祉をリードした糸賀先生の言葉に「人は人の間で人間になる」というのがあります。狭い寮の中で暮らしている寮生たちにとって、「自分は他者に認められてここにいる」ということを肌で感じる機会はとても少ない。でも舞台に立って勇気をもってひとこと台詞を言うだけでその扉が開き、世界が広がる。だったらどんな手段を使っても良いからしゃべる(台詞を言う)機会をつくろう。皆でしゃべらせよう。一度は舞台の最前列に出そう。そしたらお客さんは反応してくれる。本人には飛躍的な発達になるはずだ──。そんな感じでした。

──衣装やメイクも凝っていましたね。
 音楽系の子たちはいつもの発表会では衣装もつけないしメイクもしないんだそうです。だから衣装を着るだけで興奮していました。でも本番前日のゲネプロでは衣装までにして、メイクは本番までとっておきました。ゲネプロでそこまでやると気持ちが終わっちゃうので‥‥。
 
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