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Artist Interview
Speaking with Oriza Hirata, a new opinion leader in the world of contemporary theater
現代演劇界のニューオピニオンリーダー 平田オリザに聞く
東京ノート
『東京ノート』
(2000年/NYジャパン・ソサエティ公演)
撮影:青木司
S高原から
『S高原から』
(2004年/こまばアゴラ劇場)
撮影:青木司
──現代口語演劇のような劇言語について考え始めたのはどのようなきっかけからですか。
 僕は、84〜85年に1年間韓国に留学していて、その時に日本語の特質とか、なぜ日本の演劇の言葉がそうなっているのかなど、いろいろと考えました。しかしそれがすぐに自分の劇作に結びついたわけではない。少しずつ作風が変わっていった時に、たまたま東京乾電池の岩松了さんがアゴラ劇場で『台所の灯』という作品を上演されて、すごく衝撃を受けたというか、自分のやっていることがそんなに間違っていないということを感じた。それが最後の決定打となり、今のような形がほぼ完成しました。

──戯曲の問題は、当然、俳優の演技にも関わってきます。「現代口語演劇」は俳優術においても大きな変革を起こしたと言えます。
 そうですね。ただ、ここは非常に説明が難しいのですが、「現代口語演劇」では、普通にしゃべるということになっちゃうんですね。じゃあ普通って何だよ、ってことになりますが、要するに今までの演劇が現実の日本語から離れたところで架空の世界をつくってそれを曖昧に美としていたのに対し、われわれは現実の日本語をテーマとしているわけで、そういう意味では、誰でも参加できる可能性があるというか、良い悪いは別にして誰でもやれそうに見えます。
 普通にしゃべるという俳優術に関して、一つ言っておきたいのは、「意識の分散」ということです。しゃべるという行為は人間のさまざまな行為の一部に過ぎないので、セリフに集中するのではなく、意識を分散していくことを強く求めます。これが多分、「現代口語演劇」における演出上の新しい発見だと思います。こうした意識の分散については、チェルフィッチュの岡田利規さんの表現にもっとも継承されています。
 ながいあいだ認知心理学の人と一緒に俳優の記憶のメカニズムについて研究していますが、優れた俳優ほど、例えばしゃべっている時に机の上の小道具がどういう配置だったかを明確に覚えていることがわかってきました。
 オリンピックの体操選手は、自分の筋肉の主体的な動きを記憶しているのはもちろんですが、それと同時に天井や壁がどういう順番で目に入るかも記憶しています。そういう外界の視覚や聴覚の情報が自分の主体的な動きと密接に結びついているのです。俳優も同じような仕事をしているので、実は台詞に集中するより、それを言っている時に何が聞こえているか──僕の演劇では台詞が同時多発なので──何が見えているかを、記憶していくことが大切です。
 よく上演する場所にセットを組んで稽古するのが一番良いといわれますが、それは慣れの問題だけではなく、この俳優の記憶のメカニズムによるところが大きいのだとわかりました。意識の分散という演出には、僕たちが劇場をもっていて、稽古場にも実寸のセットが組める環境があるというのも重要な要素だったと思います。

──平田さんが「現代口語演劇」の先行者として意識している劇作家はいらっしゃいますか。
 日本語をすごく考えた演劇人という意味で、昔から名前を上げているのが、岸田国士、三島由紀夫、寺山修司の3人です。ただこの三人は、日本演劇史では、やはり傍流ですね。  それから直接的な影響を受けた人としては、別役実さん、太田省吾さんの存在が大きい。別役さんは大陸育ちで、そのためか戯曲の文体が人工語というか、どこの言葉でもない。日本の劇言語は、ああいう、どこにも所属しない言葉を一度通過する必要があったんだと思います。
 太田さんについては、演劇、ドラマに対する考え方に非常に影響を受けました。それから直近では山崎哲さんの80年代の戯曲は、語順の問題などほどんど現代口語演劇の考え方に近いのではないかと思っています。山崎さんは一時、東京乾電池の演出をされていたのですが、その関係で岩松了さんにも影響を与えているのではないかと、僕は勝手に思っています。

──平田さんのつくりだした現代口語演劇は海外でも高く評価されています。過剰に劇的なものを排したスタイルが向こうにとっても新しい発見だったのではないでしょうか。
 海外各地で公演は行なっていますが、僕としてきちんと仕事ができていると思っているのはフランスです。フランスでは有り難いことに、本当に熱狂的に受け入れていただいています。ちょうど今も『別れの唄』という新作が、フランス国内を回っています。
 今までは日本で発表した既存の戯曲(『東京ノート』『S高原から』『ソウル市民』)の翻訳上演でしたが、『別れの唄』はティヨンヴィル=ロレーヌ国立演劇センターというルクセンブルグとの国境近くの小さな町にある国立劇場からの依頼で、フランス人の俳優のために初めて書き下ろしました。
 フランス人俳優5人と青年団の俳優3人が出演します。青年団の俳優の内、2人はほとんどがフランス語のセリフなので、1年間勉強させました。片言のフランス語をしゃべる日本人という役だから、字幕は必要ありません。
 1月末に初日が開いて、ティヨンヴィルで6ステージかな。ブザンソンで4ステージ、今はストラスブールで3週間やっていますが、チケットはすべて売り切れです。ストラスブールだけで5千人ぐらい集客したと思います。4月に日本公演をやった後、5月にパリでやります。
 これは、以前、文学座に書き下ろした『月がとっても蒼いから』のフランス版みたいな作品で、お通夜の話です。突飛なことはなにもないホンワカとした話ですから、年配のフランス人のお客さんも普通の芝居として楽しんでくれています。山内健司がサンキューしかしゃべらない役で出演していますが、後半になると日本語のセリフの量が増えて、フランスのお客さんは暴力的にわけのわからない日本語を聞かされる。そこも含めて楽しんでくれているようで、自分で言うのも何ですが、フランスではほぼ劇作家としての地位を確立したように思っています。
 フランスで評価されているのは、1つには、先ほど言ったように、断片なのに全体が繋がっているという、俳句のようだとよく言われますが、そういうところだと思います。特にフランス人は余韻とか、余白とか、沈黙の時間といったものが好きみたいなので。
 もう1つの評価されている点が、海外でしばしば質問される三島さんとの違いです。それだけ三島由紀夫の存在が大きいということですが、三島さんは西洋の文学や戯曲を輸入してきて、それを究極の人工日本語をつくって表現した大天才だと思います。だから翻訳されてもその美学が全く崩れない。特に戯曲はそうです。
 しかし、日本人が読むと、絶対にこんな風に論理的にはしゃべらないよ、どれほど頭のいい人がしゃべっているんだ、という感じになる。つまり、三島作品は形式(ロジック)は西洋的で、コンテンツはジャパネスクなんですね。
 それに対して、僕のお芝居はコンテンツがグローバルで、コミュニケーションの形式がジャパネスクなんです。例えば、『東京ノート』のアメリカツアーの時に、「登場人物たちは日本人なのに、なぜ西洋の作家や絵画の話ばかりしているのですか」と質問されて、日本人はいつも着物を着て浮世絵の話ばかりしているわけではないと答えたことがあります。実際、私たちの現在の生活の中では画家と言えばゴッホであり、ピカソ、ルノアールであって、決して北斎ではなく、グローバルです。だから、僕の作品はどこで上演されてもわからないということはない。
 ところが、コンテンツはグローバルなのに、しゃべり方はものすごく日本的なわけです。話題があちらこちらに飛ぶなど、ロジックの進め方も日本的です。『東京ノート』は、「で、結局、そのマヨネーズ、どうしたんですか」という台詞ではじまりますが、これにはみんなびっくりします。不条理劇かと思うとそうでもないのに、ヨーロッパ人からすると会話が不条理に飛んでいく。これがフランス人には快感らしい。
 よく言うのですが、世界中がハンバーガーを食べてコーラを飲むようになっても、コミュニケーションの形式はそんなに簡単には変わらない。だからそこにある小さな差異を描写していくのが、多分これからの芸術家の仕事なんだと思います。
 こうした僕の考え方がフランスで評価されているのは、EUという大きな枠組みの中で、民族や宗教の対立が切迫した社会問題になっていることと無縁ではありません。市場経済がローラーで押しつぶすように世界中を一色にしていくグリーバリゼーションに対し、私たちは一人一人違います、民族もそれぞれ違います、というところを芸術家として表現していくべきではないでしょうか。

──自分の芝居は、日本的なしゃべり方だと言われましたが、例えばフランス人の俳優が演じる場合、どうなるのですか。
 彼らが特に興味をもつのは、「あー」「うー」などの相槌です。最初は一生懸命に真似ようとするのでわざとらしくなりますが、俳優の音楽性が高いのですぐになじんできます。シャイヨー国立劇場でアルノー・ムニエが演出した『ソウル市民』でもそうでしたが、音楽を奏でるように「うん」「あー」を入れて、すごく素直な演出でよかったと思います。
 ムニエやフィスバックも言っていますが、フランス人が日本人を演じようとしても無理だから、無国籍にならざるを得ないだろうと。なので、例えばムニエの『ソウル市民』の衣装も非常に抽象的だけどアジア的に見えなくもないという感じで、とてもうまくつくっていました。
 
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