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Artist Interview
Speaking with Oriza Hirata, a new opinion leader in the world of contemporary theater
現代演劇界のニューオピニオンリーダー 平田オリザに聞く
その河をこえて、五月
『その河をこえて、五月』
(2005年5月/新国立劇場)
撮影:谷古宇正彦
──『下周村』の日中共同プロジェクトはどういう経緯で決まったのですか。
 2004年に香港芸術祭に参加した『東京ノート』がとても評判がよくて、最初は香港から何かやってくれないかと話がありました。ところがだんだん話が大きくなり、結局、僕もよく知っていた北京の李六乙が指名されて、北京で作品をつくり、香港、北京、東京で公演することになりました。

──どういうストーリーですか?
 『下周村』は、『さよならだけが人生か』(1992年初演)という、工事現場で遺跡が発掘されて工事が進められなくなった飯場の一日を描いた作品を元にしています。今回はその中国版で、四川省で大規模発掘をしているところに歴史の教科書を塗り替えるようなすごい遺跡が出てきて、工事を進められなくなるという話です。四川省では、実際に黄河文明に匹敵するような文明の遺跡が発掘されているらしいですが、インチキだという人もいて本当のところはわかりません。
 李六乙と相談したのは、当然、日中だから歴史問題は避けて通れないし、そのつもりもない。ただ、戦争や侵略の話を書いても教条的になってしまうし、書けない事もたくさんあるので、もっとスパンを長くして古代史の話にしようと。それで、『下周村』を、かれこれ300年ぐらい前から埋蔵品の偽物をつくってきた村で、その周辺から遺跡が発掘されるという設定にしました。
 300年前につくられた偽物は偽物ではないのではないか、歴史なんてものは非常に人間の恣意的なものでどちらにでもころぶのではないか、と、現在の日中の間のもろもろのことを遠くから眺めて皮肉るような歴史劇をつくろうと思いました。

──今回も日本語と中国語で会話が交わされると思いますが、どのようになっているのですか。
 出演俳優は中国人が8人と、日本人が5人です。発掘現場に日本人の工事関係者や考古学者がやってくるという設定で、5人の内2人は片言の中国語がしゃべれるという役です。その1人はうちの劇団員なので1年前から中国語を勉強させて、今は日常会話ができるようになっています。
 
──さきほど多言語演劇が非常に大事だとおっしゃいましたが、どうしてそう思われるようになったのですか。
 というよりも、純粋に芸術家としてその方が面白いと思っているのです。初めて本格的に取り組んだ『その河〜』では、事前のワークショップも1週間ぐらいやって本当に慎重に進めていきました。読み合わせは多言語の同時多発なのでとても難しいのですが、それがはじめてうまくいって美しい音のハーモニーができた瞬間があって、ああ、これがやりたかったんだと思いました。
 演劇というのは、お互いの言葉の美しさや、響きの美しさを直感的に認め合うことのできる表現だと思います。お互いの言葉が混ざり合って、さらに美しくなるところに未来への希望もある。来年秋は、ブザンソン国立演劇センターで、日本とそこのフランス人の演出家と、イラン人の演出家と一緒に作品をつくることになっていています。3カ国から3人ずつ9人の俳優が出演し、40分ずつのオムニバスにする予定です。もっとグチャグチャしていければと思っていますが、台本はますます大変になりますね(笑)。

──ここ20年、公立文化施設が数多く建設され、公的助成も増える等、日本の現代演劇を取り巻く公共政策は大きく変化してきました。こうした状況について、平田さんはどのように認識されていますか。
 基本的には現代演劇を取り巻く環境はよくなっていると思います。ここ30年ぐらいの社会情勢をみると、ヨーロッパの国々は、特にイギリスはそうですが、70年代から少しずつ構造改革をして、成熟国家としての着地点を見つけようとしてきました。しかし、日本は、70年代に2度のオイルショックに見舞われ、その国難に一致団結して立ち向かっている間に構造改革が遅れ、そのままバブル経済に突入してしまった。
 僕は、この時点で構造改革が進んでいれば、70年代には日本人の消費対象が形のあるものから形のないものに移っていたはずだと考えています。ところがそれが遅れてしまい、形のあるものにしかお金を使う習慣がないところにもってきて、プラザ合意でダブついたお金が株と土地につぎ込まれ、バブル経済とその崩壊を招いてしまった。そういう手痛い失敗をして、今度は「羮に懲りて膾を吹く」じゃないけど、お金を使えなくなってしまったのが平成の消費不況でした。
 加えて、ヨーロッパの国々はどこもアメリカのグローバリズムに対して独自性を保てるような国づくりを意識的に行なっていたのに、日本は全くそのことに無頓着だった。この10年、15年、日本の文化行政の方針が変わってきたことと、このことは無関係ではないと思っています。
 その時期が、たまたま僕が作家として世の中に出始めたタイミングと重なり、僕の劇団の成長と日本の演劇に対する助成金システムの整備が重なったのはとてもありがたかったです。ただし、僕は学生たちには、警鐘の意味を込めて、日本はもう滅びると言っています。日本は滅んでも君たちが生まれ育った地域の文化が消え去るわけではないから、そちらを大切にしようと。
 そういう意味で言うと、僕の芸術家としての仕事は、100年前にチェーホフが滅びゆくロシア帝国の人々を愛情込めて描いたように、滅びゆく日本人を愛情込めて描くということなのかもしれません。とは言っても、社会的な立場も理解しているので(笑)、滅びたくないならこうしたほうが良いとか、同じ滅びるにしてももう少し綺麗な滅び方があるといったメッセージぐらいは発していますが。

──平田さんは公立ホールの芸術監督でもあります。公立ホールの状況はいかがですか。
 行政のシステムの中における文化の位置づけがこの10年で少しずつよくなっているので、職員の質も昔よりよくなり、公立ホールの状況もよくなっていると思います。特に若い人は、文化的な仕事に就きたくて職員になった人も多いので。
 ただ、人事異動もありますし、民間のプロデューサーのように自分でリスクをとる覚悟があって事業をやっているわけではない。日本では公立文化施設の運営を民間企業やNPO法人などもできるように制度が変わりましたが(指定管理者制度)、これで状況が変わるとも思えません。今のシステムだとここが限界のように思います。
 僕は、公立ホールは芸術を創造する場であるべきだと考えているので、そのためには組織に縛られないプロデューサーや芸術監督が必要だと思っています。プロ野球やサッカーの監督と同じで、1年契約でダメだったら契約更新しなければいい。もちろん1年で結果は出ないので、3年、5年ぐらいの期間は想定して欲しいと思いますが、1年でも、ある程度の結果がでなければ交替するぐらいの厳しさがないと、そこから先には行けない。
 僕が芸術監督を務めていた富士見市民文化会館きらり☆ふじみは、事業に対する市からの補助はなくて、貸館料と入場料収入と、外部からの助成金で事業を実施していました。演劇関係の予算は合わせて3000万円足らずですが、毎年1本、若い作家の作品を公募して、俳優はオーディションで選んで、芝居をつくっています。300万〜400万円程度の予算ですが、若い作家には2ヶ月は生活できるギャラを払い、小ホールで2〜3週間は装置を建て込んで稽古をしてもらっています。
 東京近郊だけでも100館ぐらいの公立ホールがあるので、各館がこういう作品を1作ずつつくるだけで日本の演劇環境はすごく変わると思います。この程度のことはその気になればどこでもできるのに、やろうとしない。実際にはやりたくてもそれだけのプロデュース能力がないのでできませんが、みんなが少しずつ変わろうとすれば日本の演劇環境はもっとよくなると思います。
 じゃあ芸術監督は誰がやるんだ、という話になりますが、僕は若い人にもっと機会を与えるべきだと考えています。今、アゴラ劇場で行っているフェスティバルのディレクターを1973年生まれの岡田利規さんにお願いしていますが、とてもよくやってくれていますし、彼自身もすごく成長しています。
 学生に、もし芸術監督になったとして、1億円の予算があるとするとどんなプログラムをつくる?と尋ねたことがあるのですが、みんな、自分の作品を1000万円ぐらい使って1本つくり、後は保守的な鑑賞プログラムを数本、海外招聘を1本など、バランスを考えてプログラムを組んでいました。本当に芸術監督になれば、必死で勉強すると思いますし、今まで見なかった芝居も見て、バランスや公共性も考えるようになると思います。
 今の日本は、芸術監督そのものも少ないですし、若い人は何をするかわからないと敬遠されて、キャリアのある人が名誉職のように就任します。でも、若い人の方が純粋に勉強しますし、そこを変えていかないとはじまらないのではないでしょうか。

──最後に、演劇の状況についてはどのように認識されていますか。
 チェルフィッチュの岡田利規さん、五反田団の前田司郎さん、ポツドールの三浦大輔さんなど、新しい才能がでてきていますが、それが、これからどういうムーブメントになっていくかだと思います。確かに彼らには才能はあるし、表現が暴力性やエログロに向わざるをえないところも、同時代的な何かを抱えているのだと思いますが、本人たちがまだ自分たちの表現のオリジナリティが何なのかをあまりよくわかっていない。それがうまく理論化できれば、「静かな演劇」に続くひとつのムーブメントになっていくと思います。
 しかし、インターネットの発達により情報が先行し、また、商業資本が小劇場演劇に介入するようになり、才能の消費がとても早くなっているような気がします。新しい表現を理論化する過程では芸術家は孤独にならざるを得ないし、それが芸術家を成長させるのに、そういう孤独に向き合う時間もなくなっている。インターネットの情報で集まってくる演劇マニアの劇団になるか、商業化するしかない。特に、「現代口語演劇」でウェルメイドだとどうしても商業資本から声がかかってしまいます。ある劇作家が、とある若手の劇作家に向かって「そんな投げ方をしていると肩をこわす」と言っていましたが、芸術家が自分の方法論を守るのがすごく難しくなっている、というのが今の状況だと思います。
 
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