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Artist Interview
Interview with Koujun Arai -- Bringing the music of the thousand-year-old shomyo chant tradition to concert hall audiences
新井弘順インタビュー 千年の時空を越えて劇場で親しまれる仏教音楽「声明」の世界
声明
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*4 「大般若転読会」
単に大般若ともいい、「大般若(波羅蜜多)経600巻を転読・講讃し、世界平和・国家安泰・除災招福・五穀豊穣を祈願する法会である。仏の真実の智慧を説く大般若経は、孫悟空で有名な「西遊記」のモデルになった玄奘三蔵が16年にわたるインド巡礼の後、663年に漢訳し講演した600巻に及ぶ経典。当初は一字一字真読したが、経本を空中に翻して般若心経の咒(まじない)を唱える略読法に変わった。大音声の転読とあいまって、音楽性、演劇性に富んだ法要となっている。
──西洋音楽には指揮者がいますが、そういった役割をする人はいますか?
 いませんね。西洋音楽なら指揮者がいて、ピッチとリズムとテンポは厳密にコントロールされていますが、声明はお互いに聴きながら合わせていくので、少しずれていてもそんなに違和感はありません。ですから大切なことは「よく全体の声を聴きなさい」ということです。テンポやリズム、間といったことは、何度も繰り返し沢山唱えることによって自然に身に付きます。
 調子は曲ごとに指定されています。天台声明では、調子笛などを使用して厳密に規定されたピッチで出音(唱え出し)します。真言声明の場合は厳密にやることはせず、ご祈祷や葬礼などその場に応じて同じ曲であってもピッチ表現を変えたりします。西洋音楽とは違って、声明にはそういった曖昧なところがあります。

──声明は邦楽や古典芸能のルーツといわれています。
 平曲や謡曲、そして浄瑠璃や浪花節、はたまた落語まで、日本の古典芸能は声明から発展したといっても過言ではないでしょう。民族音楽の研究家であった小泉文夫先生は、日本語による声明「講式」(漢文訓読体)が書かれた物語を音楽的に表現した最初のものだろうと言われ、そこから平曲や謡曲、浪花節が発展していったと考えられています。
 また古代から中世にかけて、寺院が祝祭的な空間としての機能を果たしていたことも古典芸能のルーツとして考えられている根拠のひとつになっています。例えば東大寺大仏開眼の式典は、大仏さまへの供養として、さまざまな芸能が披露されました。当時の国家発揚の一大イベントだったのでしょう。近隣諸国から使節を招き、今でいうオリンピックの開幕式のようなものでした。声明の大合唱のほか、中国の曲芸や仮面劇、ベトナムやインドなどアジア各国の舞楽など、大陸から来たいろいろな芸能が催されました。大仏殿そのものが一つの大劇場、祝祭空間だったのです。
 日本では僧侶は合唱だけを受け持つことになりましたが、もともと大陸では僧侶が合唱・舞踊・演奏を一体的に行なっていました。今も韓国やチベットでは、僧侶は演奏もしますし、舞も踊ります。

──声明が劇場公演されるようなったのは、いつ頃からですか?
1966年に国立劇場が開館した時に劇場公演として披露されたのが最初でした。それは声明が“音楽”という視点から取り上げられたエポックでした。
 ところが当時の宗教界からは、「坊さんが劇場で観客に向かって歌うなんて何事か!仏様を冒涜している」といった批判も浴びました。その時、青木融光大僧正という我々の師匠は、「仏さまは宇宙に偏在していらっしゃる。寺の本堂だけにいるわけではなく、街頭でもどこでもあらゆるところにいらっしゃる。声明を本当に心から聞いてくれる人がいるところであれば、むしろ積極的に出かけていきましょう」と毅然として言われ、80歳をこえて外国公演にも出かけられました。我々はまだ20代でしたが、この青木融光という人間国宝でもあった師匠の存在が本当に大きかったと思います。
 1973年には国際交流基金(1972年10月創立)の主催事業で、「日本の伝統と前衛音楽」(真言宗豊山声明「大般若転読会」、井野川幸次検校「平曲」、TOKKアンサンブル)という初めての声明の海外公演が行われました。青木融光大僧正を導師に、テヘランを皮切りにヨーロッパ・アメリカ・カナダの11都市で43日間という世界一周ツアーをしたのです。きっかけは、ベルリンの比較音楽研究所のハイネマン所長と西ドイツ国営放送の現代音楽のベッカー部長が来日して、歌舞伎や能よりもっと古い日本の音源はないかと国立劇場の木戸敏郎さんが相談を受け、声明に白羽の矢が立ったことからでした。この外国公演が我々にとっても非常に貴重な体験となりました。

──海外の反響は?
 そりゃあ、びっくりしたと思いますよ。音楽として全く異質ですから、非常に衝撃的だったようです。しかも演目が大きな声で怒鳴る「大般若転読会」(*4)だった。ヨーロッパの人にとって音楽というのは、調整音楽できれいな声で歌うのが普通でしょう。ところがこれは悪魔を退散させるための声明ですから怒鳴るんです。音楽という概念が全く違うわけですよ。そういう意味での戸惑いもあり、またアジアにこんな素晴らしい音楽があったのかという驚きもあり。その反響の大きさを身をもって体験し、我々にも声明をお寺の中にだけ閉じ込めておくのがもったいないことがよくわかりました。

──お坊さんたちは、海外公演の体験をどう感じたのでしょう。
 ベートーヴェンホールなど名高いコンサートホールで、青木大僧正は素晴らしい音楽家であると絶賛されました。昔は国家試験を受からなければ僧侶になれず、声明も重要な受験科目の一つでした。また、僧侶の声明を耳にできる人びとも天皇をはじめ貴族や教養の高い人ばかりで、音楽にも耳の肥えた人びとでした。相当に音楽的な力がなければその人たちを納得させることはできません。ですから坊さんも一生懸命研鑽を重ね稽古に邁進したのだと思います。ところが明治になってから、声明はなんとなく寺でしょぼくれて唱えているだけになってしまいました。伝承はしていても、人に聴いてもらうという意識を失っていってしまった。国立劇場で公演し、また海外で音楽としての高い評価を受けた経験が、我々に「声明にもっと真剣に取り組まなければ」という自覚を生み、自分たちの音楽文化遺産としての声明に、坊さん自身が目覚めたのです。

──国立劇場ができる以前に声明が音楽として注目されたことはありますか?
 明治政府による廃仏毀釈で仏教界は大打撃を受けました。また日本の近代化、すなわち西洋化の過程で日本の音楽教育は西洋音楽一辺倒になって伝統音楽などは公的教育の場から排除されました。その状況が戦後まで続くのですが、黛敏郎ら現代音楽の作曲家たちにより日本の伝統音楽の再発見が行なわれました。彼らはヨーロッパに留学し西洋音楽を学ぶなかで行き詰まりを感じ、もう一度自分たちが持っている自国の伝統音楽の見直しを図ったわけです。黛は、梵鐘・咒(しゅ)・声明の響きに魅せられて、1958年に声明をモチーフにした「涅槃交響曲」を発表しました。これは、仏教の最大のテーマである涅槃(ニルヴァーナ)を主題とし、第二次世界大戦で亡くなった人々への鎮魂歌でもあり、現代音楽のエポックメイキングともいうべき作品です。また、小泉文夫などの民族音楽や伝統音楽の研究家たちも声明に関心をもつようになり、声明の採譜や録音などが行われるようになりました。
 
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