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Artist Interview
Interview with Kojun Arai -- Bringing the music of the thousand-year-old shomyo chant tradition to concert hall audiences
新井弘順インタビュー 千年の時空を越えて劇場で親しまれる仏教音楽「声明」の世界
ジャン・クロード・エロア「アナハタ」
ジャン・クロード・エロア「アナハタ」
宝玉院
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──最前衛の現代音楽の作曲家が再発見したというのは、とても興味深いですね。劇場公演のための新作声明はいつから作曲されるようになったのですか?
 1983年に国立劇場がフランス人のジャン・クロード・エロアという現代音楽の作曲家に委嘱した「観想の焔の方へ」という作品が初の試みでした。エロアという人は何度も来日し、すでに雅楽的な作品をいくつも書いていました。それまで国立劇場では雅楽のための実験的な音楽作品をプロデュースしていましたので、次は日本を代表する声の伝統である声明と楽器の代表である雅楽による新作をということになったのだと思いますが、当時の国立劇場プロデューサーの木戸敏郎さんが彼に新曲を依頼しました。

──エロアの作品はどういうものだったのですか?
 「観想の焔の方へ」は3時間というとんでもなく長大な曲でしたが、他にも、86年に「アナハタ」という新作を作っていて、そちらは一種のゲームのような作品でした。あらかじめ選んでおいたいくつかの言葉と旋律の中から、その時好きなものを即興的に選んで自由に歌えと‥‥。音楽とは固定化されたものではなくて、季節や天候や演奏家の気分などその時々の状況に応じていつも流れているものだという、彼の音楽観に裏打ちされた作品でした。それまで音楽なんてまるっきり知らなかった坊さんたちが、お彼岸の忙しい最中に、夜中の1時ぐらいまで劇場で稽古させられて(笑)。このエロアさんに出会ったのも我々にとってはとても貴重な経験になりました。

──エロアの後、いろいろな作曲家と仕事をされていますが、主な作品にはどういったものがありますか?
 国立劇場では84年に草野心平さんの詩を石井眞木さんが新作声明にした「蛙の声明」を発表しました。その他、細川俊夫さん作曲の「東京1958」(85年)、高橋悠治さん作曲の「夢記切(ゆめのきぎれ)」(87年)、また、吉川和夫さん、間宮芳生さん、藤枝守さんなどこれまでに併せて20人を越す日本の主だった現代音楽の作曲家たちと一緒に作品を創ってきました。

──お坊さんたちはこうした実験的な試みに、どういった意識で取り組まれてきたのでしょう。
それは、「おもしろいなあ」ということに尽きます(笑)。
 73年の世界ツアーでは現代音楽の石井眞木さんも一緒だったのですが、彼の作曲した「超越」という曲は楽譜もなくて真木さんがピアノを引っ叩いたり、ハープの弦をこすったりするだけで、私たちもろくに吹けない法螺貝を適当に吹かされて、なんてインチキ臭くておもしろいものかと思いましたね。その当時の前衛音楽はジョン・ケージもそうですが、みんな「何でもあり」って感じだった。それが音楽への最初の入口だったのが、よかったのではないかと思っています。

──現代音楽の作曲家たちは、声明のどこに魅力を感じていたのでしょうか。
 やはりヨーロッパにはない「声」ということだと思います。彼らは新作声明として何かひとつのまとまった音楽を表現したいというのではなく、例えば「宇宙の音」のような抽象的な世界を表現するのに、仏教的な考え方が背景にある「声明の声」が必要だったのではないでしょうか。
 「アナハタ」は「宇宙の振動」という意味のようですが、楽器として用いられたのは雅楽の大篳篥(おうしちりき)などというえらく音が不安定なものでした。声明はたまたま日本に残っていますが、その声は単に日本的というのではなく、仏教というアジアのいろいろな地域に拡大した宗教を背景にした、豊かな広がりのある汎アジア的な音なのだと思います。一人一人声の性質が異なる坊さんの声が幾重にも重なり、微妙なズレのあるユニゾンが生まれ、倍音が生じるーーこの声明のもっている響きが彼らには最大の魅力なのだと思います。

──国立劇場の声明公演に参加されてきたお坊さんたちによって1997年に「声明四人の会」を旗揚げされました。
 もう少し活動の場を広げようと、73年の国立劇場公演に参加した真言宗の私、孤嶋由昌、天台宗の海老原廣伸、京戸慈孝の4人で、木戸さんの後任になった演出家の田村博巳さんのバックアップもあり、「やってみましょう」と旗揚げしました。声明を宗教的な活動だけで捉えるとどうしても宗派という枠組みの中でしかできません。しかし、劇場公演などで異なる宗派が一緒にやることによってお互いの声明の研鑽にもなりますし、宗派の枠を越えたオープンな活動ができればと思っています。
 2003年にはそれまで賛助出演してくれていた若手の僧侶も含め、「声明の会・千年の聲」と改称しました。四人も年々年を取って職務が忙しくなり、片や定期公演の場を得て若手の成長が著しく、後輩にがんばってもらえればという世代交代の意味もありました。
 コンサートでは初めて聞く方へのレクチャーや、宗派の違いを聞き比べてもらうプログラムを組むなど、声明に親しんで戴く工夫をしています。新作では鳥養潮さんの「阿吽の音」「存亡の秋」や権代敦彦さん、寺嶋陸也さんなどの作曲した作品を発表してきました。現代音楽の作曲家や演奏家に出会うことによって、我々にはない物の考え方や表現の仕方などを教えていただけるのも、あり難いことです。

──最後に今後の声明の展望をお聞かせください。
 日本の「声明」は、インドや中国のものが伝わって残っているなど、日本の音楽の中で地理的かつ歴史的な広がりの一番ある音楽といえます。現在、我々が動態保存している多くの曲を並べると、それはまさに生きた音楽史のようです。しかも、声明は、寺の年中行事の中にすべて組み込まれていて、毎年繰り返し歌うことによって伝承されています。声明ではそういった伝統の継承の装置が今日もうまく機能しているのです。一方、今は古典となっている鎌倉時代の曲も、それが出来た時代には新曲だったことを考えると、我々が現代の新しい声明を創っていくことは自然なことなのではないでしょうか。これからも貴重な日本の音楽財産である声明の、音楽としての可能性にチャレンジし続けたいと思っています。
 
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