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Artist Interview
Directing through the worlds of Brecht and Kabuki Exploring the world of director Kazuyoshi Kushida
ブレヒトと歌舞伎を股にかける 演出家、串田和美の劇場世界とは?
『盟三五大切』
四世鶴屋南北作。1825年に江戸中村座で初演。深川の芸者をめぐる男たちの怨恨に満ち、陰惨な殺し場に見どころが詰まった物語。コクーン歌舞伎では第3回(1998年)で上演された。

『夏祭浪花鑑』
並木千柳、三好松洛・竹田小出雲の合作。1745年大坂竹本座で初演。出牢したばかりの団七が恩師への忠誠を尽くすため、義父の義平次とも殺し合いをしてしまう侠客の意地と粋をみせる物語。当時の大阪浪花の夏の風情が漂う。コクーン歌舞伎では、第2回(1996年)、第5回(2003年)で上演。2004年には「平成中村座」ニューヨーク公演でも上演された。

『三人吉三』
河竹黙阿弥作の世話物。1860年に江戸市村座で初演。吉三と名乗る三人の盗賊とその親兄弟が100両の金と庚申丸という刀をめぐる、人間関係の因果を描いた物語。コクーン歌舞伎では、第4回(2001年)と第8回(2007年)で上演。
三人吉三
三人吉三
三人吉三
三人吉三
『三人吉三』
(2007年/Bunkamuraシアターコクーン)
撮影:斎藤久紀
──コクーン歌舞伎では、1階客席前半は板の間にして平場席にしていますが、どういう意図ですか?
椅子席で横に赤の他人がいると、後ろの通路とかで芝居をやっているときに見ようと思っても、遠慮して後ろを振り返れないでしょ。でも平場席になっていれば、そこに役者が入ってきても、お客さんがみんなこうやって好きな方向に身体を動かしてそっちの方を見ることができるから。そう思うと、(肘掛けも背もたれもなくて)すぐ動かせる座布団っていうのは便利だし、そこに座ってお弁当も食べられるみたいな昔の歌舞伎小屋のよさをだしたかったんです。でも、実際は、今の若者は座れないから、椅子席の方から先にチケットが売れる(笑)。ちょっと残念ですね。

──コクーン歌舞伎は、いわゆる花道を設置できないので、そのかわりに客席の通路を使っています。観客は役者さんが通路からからそのまま平場席に入ってきてくれるので、すごくうれしそうですが、役者さんの反応はいかがですか。
楽しいみたいですよ。今の歌舞伎座の花道は舞台と同じで犯しちゃいけない場所になっていますが、昔の花道は、客席の中から出てきたり、入って行ったりするようなもっと自由なものだったんじゃないでしょうか。こっち側から自分の世界へ、自分の世界からこっち側へ入っていくという感覚がもっとあったと思います。

──「コクーン歌舞伎」にも「平成中村座」にも、自由劇場時代からの仲間である現代演劇の俳優、笹野高史さんが出演されています。当初、これには相当反発がありましたが、今では笹野さんの出身地をとって「淡路屋」という屋号で呼ばれるほど、馴染んできています。
最初は、本当に小さな役だったんです。『盟三五大切』に、「ますます、ますます」としか言わない乞食がでてきて、話の筋にも関係ないから普通はだいたいカットするんですが、こんな楽しいキャラクターを捨てるのはもったいないと思って。でも、こういう役をやれる役者が歌舞伎にはいないというので、笹野を入れたんです。そうしたら、ちょっとした立派な役をやる役者が倒れてしまった。それで、勘三郎さんが、「笹野さんそれもやらない?」と言って、「できるじゃない」みたいな感じではじまりました。

──ご自身でデザインされている舞台美術も、これが歌舞伎の装置かと驚いてしまうような画期的なものになっています。あれはシアターコクーンという空間があったからだと思いますが、どのように発想されているのですか?
舞台装置に限らず言えることですが、歌舞伎には面白いものがたくさんあるのに、ただ無自覚に羅列していて、その良さを生かしきれていないなあと思います。例えば、伝統的な装置は書き割りで平面的なものが多いけれど、三次元で生きている人間が一瞬二次元のように見えるというのは表現としてすごく面白いことなのに、それが意図的に使われていない。そのためには照明はもっと影が出るようにしたらいいとか、タテの動きも考えた方がいいとか。ですから、むしろ歌舞伎の舞台装置のいろいろないいところを肯定しながら、もったいないからもっと大切に使おうよ、という気持ちで発想している感じです。

──照明についてはいかがですか。
現在の歌舞伎の照明は、明治以降に電気が入ってからのもので、それまでの照明はそのときに捨てられてしまったわけです。江戸時代まではロウソクだったから、絶対に闇があったと思うし、影もあった。日常生活にも闇が溢れていて、そういう闇に慣れていた人たちが目を凝らして舞台を見ていた。それが明治に入って電気照明に変わり、当て方もわからず全部フラットに照らしてしまったわけです。明治になって平場席だった芝居小屋に椅子が入り、明るい電気照明に変えたけど、そこでなぜか時間が全部ストップしてしまった。もっと時間がすすんでいれば、椅子は動くようにしたかもしれないし、照明も変えたかもしれないし、テープレコーダーも使ったかもしれない。
こう考えると、僕は歌舞伎の時間が止まってしまった以降のことについて、素朴に疑問を感じているのかもしれない。歌舞伎を新しくしようとか、変えようとかいう発想ではなく、そもそもはもっと違っていたんじゃないか、彼らにこういう道具があればきっと喜んで使っただろう、そういう発想で歌舞伎について考えているような気がします。

──串田さんが初めて演出した『夏祭浪花鑑』の舞台装置では、舞台上に本物の土を敷いて、舞台を筵で囲って、祭りのときの掛け小屋(骨組みを組んで筵をかけただけの即席小屋)で芝居を見るような雰囲気でした。
この話はよくするのですが、僕の演劇の原風景というのが、3歳の時に疎開先で見た掛け小屋芝居なんです。山形県の新庄の少し先に疎開していまして、それから半年ぐらいはそこにいたらしく、近所のお百姓さんに連れて行ってもらった。農村歌舞伎なのか、旅回りの芝居なのかもよくわからないけど、掛け小屋の中に裸電球がいくつもぶら下がっていて、ダンマリをやっていたのを未だに覚えています。『夏祭』はそんなイメージにしてみたくて、初演の時はぺんぺん草を植えてみたりもしたけど、踏みつけられてすぐダメになっちゃった。乾いてホコリが舞うから役者たちが喉をやられるし、裾には土がつくし。これではたまらないと言われて、再演では地がすりに変えました。でも、僕は、今でもやりたいんだけどね(笑)。

──再演の時には、後ろ舞台の壁が開き、渋谷の街が見えて、そこから御神輿が入ってきたり、最後にはパトカーがでてくるなど、歌舞伎でこれをやるのはすごいなと思いました。芸術監督で劇場のことを何でも知っていたからあれだけ自由に使うことができたのだと思います。
あれは搬入口ですが、設計段階から、とにかく舞台のセンターに搬入口をもってきてくれるようにしつこく言いました。設計者には、なんでそんなに搬入口にこだわるんだ、君の領域じゃないだろうと言われたけど、いやいや、とにかく真ん中にして欲しいと。絶対にいつか使えると思っていましたからね(笑)。実現しなかったこともあって、空調もスモークを炊いた時に効果的になるよう口を出したんだけど、なんで演出家が空調にこだわるんだと(笑)。コクーンにはそんな秘密の仕掛けがたくさんありますよ。
 
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