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Artist Interview
A glimpse of the
現代に呼吸する狂言師野村萬斎が挑む 新たなトータル・シアターの現在
世田谷パブリックシアターの狂言と邦楽関連プログラム
1997年に開場した世田谷パブリックシアターでは、2002年に野村萬斎が芸術監督に就任して以来、新作公演以外にも「古典と現代演劇の融合」をテーマにしたさまざまな企画が継続的に行われている。

「現代能楽集」シリーズ
現代の作家たちと新たな「現代能楽集」をつくる野村萬斎監修企画。これまでに能の『葵上』『卒都婆小町』を題材にした『AOI/KOMACHI』(作・演出:川村毅)、近代文学にも影響を及ぼしてきた室町時代の観阿弥の能を題材にした『求塚』(作・演出:鐘下辰男)、平安時代の能の名曲を現代化した『鵺/NUE』(作・演出:宮沢章夫)を発表。

「狂言劇場」
狂言を古典としてではなく、同時代性のある「舞台芸術」として届けたいという思いで手掛ける「狂言劇場」は、世田谷パブリックシアターに三本の橋掛かりをそなえた斬新な能舞台を構築し、野村万作をはじめとする万作の会一門による狂言の演目を連続上演するシリーズ。

「MANSAI◎解体新書」
野村萬斎が毎回多彩なジャンルのゲストを迎えてトークとパフォーマンスを行ない、「日本演劇のアイデンティティ」を模索するシリーズ企画。

「能楽現在形 劇場版@世田谷」
能楽囃子笛方の一噌幸弘、大鼓方の亀井広忠、狂言師の野村萬斎が発足した「能楽現在形」は、同時代の能のシテ方をゲストに迎え、能の現在と未来を考える新たな試み。世田谷パブリックシアターでは、その劇場版公演をホールに特設能舞台を設置して実施。
芸術監督就任にあたって 野村萬斎
(2002年7月31日発行『PTex』掲載)

 この度、8月より世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任させていただくことになりました。これまで5年間の劇場活動のいい部分を受け継ぎながら、少しずつ自分なりの色を出すことができればと思っています。
 能・狂言は、それこそ室町時代より足利幕府など武士階級による庇護や援助があって、その技を育んできたという歴史がありますが、規模こそ違え、公という括りでいえば、世田谷区の助成についても同じことが言えるのではないでしょぅか。こうした助成のおかげで、時間や金銭の制約を受ける商業的な舞台とは違った環境のなかで、芸術的な創造活動にとりくめるのは素晴らしいことです。しかしその一方で、公的な助成をうけ活動を行うことには、当然責任も伴ってきます。そのことを明らかにするために、今後の活動の指針として以下3つの柱を用意しました。

I 地域性、同時代性、普遍性

 今回の就任に当たり、わたしは「この辺りの者でござる」という言葉を、ひとつのキーワードにしたいと考えました。これは、狂言の登場人物が舞台にあがって自らを名乗るときの言葉で、誰かの固有名──たとえばハムレット──ではなく、「この辺りの者」というところに、古典特有の発想があるように思っています。なぜ、このような物言いをするのでしょうか? このセリフは、これから始まる舞台が、その日来ていただいたお客さんと同じ目線でつくられたということを示すためのものであると同時に、狂言がいつの時代のどこに暮らすひとにも通ずる、普遍的なものを表現してきたことを示す言葉でもあります。
 わたし自身この度世田谷パブリックシアターでお世話になるにあたって、この言葉をキーワードに、世田谷辺りの者として、区民レベルの目線を大切にしたいと思います。ワークショップ活動などを通じて、学校をはじめとする地域社会に、狂言で培った日本文化のアイデンティティを還元していくとともに、上演活動を通じて、同じ時代を生きるほかの地方や国に住むひとにとっても鑑となるような、普遍的な作品づくりを目指していく所存です。

II 伝統演劇と現代演劇の融合

 わたしは古典芸能の出身ですので、やはり古典の発想を生かしていきたいと思っています。ただし、それはすべてを古典の色に染めるということではありません。あくまでも、古典のなかで培われてきた知恵を生かし、アイディアを出していきたい、ということです。
 先ごろ能・狂言はユネスコに世界遺産として宣言をうけました。これにはいろいろなうけとりかたがあると思いますが、わたしは、600年をかけて洗練されてきた方法論を現代に還元し生かすべきだという立場をとっています。作品づくりや、ワークショップを通じ、古典の発想を現代のアーティストのみなさんに生かしてもらい、相互の可能性を再発見し、新たな日本の舞台芸術を創作していきたいと思っています。
 たとえば、わたし自身、現代演劇の俳優の方と共演させていただいて感じるのは、ストーリーや心理を描写する技術には長けているものの、場や状況をつくりだす能力は欠けているということです。これはほんの一例に過ぎませんが、稽古を通じ、能・狂言で培われたものを現代の舞台芸術にも伝えていくことができるのではないかと思います。また、三島由紀夫の『近代能楽集』のような能狂言の曲にもとづいた「現代能楽集」の創作を現代劇作家に依頼したり、同じく演出家に能舞台の構造を生かした舞台づくりをしてもらう、そういったことを試みてはどうかと思っています。

III 総合的な舞台芸術「トータル・シアター」を指向する

 能、狂言、歌舞伎といった伝統演劇には、近代以降の演劇が失ってしまった舞台芸術の総合性といったものが、まだ残されているように思います。もちろん個別に「語り」「舞い」「謡い」などといった呼び方がされるわけですが、そこにはまださまざまな表現が未分化のまま、ひとつの世界を織りなしています。
 限られた知見のなかで、現代の舞台芸術作品について考えてみると、西欧においても、日本においても、最先端のものは脱領域化の度合いを強めています。ダンス、サーカス、道化芸など身体に関係する芸術に、演劇、文学、詩など言語に関係する芸術、ライブ音楽やビデオ映像を合わせたメディアアートが加わり、それぞれの領域の開を超えた作品づくりが増えてきています。世田谷パブリックシアターでも上演されたピーター・ブルック、サイモン・マクバーニー、数多のコンテンポラリーダンス作品などはその好例ですし、この秋に公演が予定されているロベール・ルパージユなどもその注目すべき旗手であります。
 こうした活動が盛んになっているなかで、伝統演劇に携わるわたしがこの時期に芸術監督を任されたのも偶然ではなく、こうした諸芸術の再統合にむけて、もともと舞台芸術の総合性を担っていた伝統演劇の力を必要とされたからではないかと考えています。今後、劇場の指針のひとつとして、近代以降に断片化された舞台芸術の知恵を再獲得し、新たな形で再統合しようとする試みを押し進めていきたいと思っています。

 世田谷パブリックシアターは幸い、多くの方々に支持していただいています。この劇場が公共劇場の手本となり、リーダーシップを発揮するぐらいの心持ちで、スタッフ一同、活動に励んでいきたいと思っております。
 ご支援・ご鞭撻賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
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