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Artist Interview
Exposing his own body as a platform for art -- A look at the mixed-media performance art of Takao Kawaguchi
自らの肉体をさらけ出し、ミクストメディア・アートに挑む川口隆夫の歩み
ディケノベス
ディケノベス
ディケノベス
ディケノベス
川口隆夫『ディケノベス』
撮影:小原大貴

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© Takao Kawaguchi
──ダムタイプはこれからどういう活動をしていこうと考えていますか。
そのあたりはメンバーみんなにも見えていないというのが正直なところです。『ヴォヤージュ』のツアーは今も続けていますが、どういうカンパニーとしてやっていくのかはわかりません。それぞれが個人レベルで活動していますし、メンバー同士が個別にコラボレーションすることもあります。僕も、2000年に『世界の中心』を「パークタワー・ネクストダンス・フェスティバル」で発表しましたし、翌年には『夜色』をつくりました。

──『世界の中心』は、ダムタイプ以降に川口さんが構成・振付した最初の本格的な舞台作品ですね。演劇的な要素とダンス的な要素を組み合わせて、独特の川口色を出していました。ダムタイプの活動開始後に発表したこともあり、作品にもその影響がありましたが、ダムタイプの川口隆夫というより、ソロパフォーマー川口としての力が発揮されていたように思います。派手なロングドレスを引きずりながら歩く女装のゲイ(ドラァグクイーン)やゲイポルノ俳優も出演していて、川口さん自身のセクシャリティを全面に出していましたね。
タイトルも壮大な『世界の中心』ですし(笑)、自分のセクシャリティをテーマにしたソロ作品を発表できたという意味で「ネクストダンス・フェスティバル」には、いいきっかけをもらいました。

──このフェスティバルは、若手アーティストに発表の場を与えることを目的としていました。ニューヨークならそういうところで自分の芸術活動を通してセクシャリティやジェンダーの問題を扱う作品がいくつも出てきて不思議はないですが、日本ではそういう傾向のものが出てくることは少ない。『世界の中心』が、真っ正面から、しかも、ドグマティックにならずにそのようなテーマを取り上げたのはとてもユニークでした。日本の舞台としてはまさにポップでキャンプなテイストに溢れた珍しい舞台でした。ただ、周りの人にそんなテーマを真正面から扱う、川口さんの手つきの面白さが充分伝わったかどうか。川口さんのほうが先んじていた感じがしました。
女性のお客さんは支持してくれる人が多かったのですが、男性には「何でわざわざ自分のセクシャリティを作品で言わなければいけないんだ」と。僕としては、作品をつくる際には、必ず自分のことがテーマにならざるを得ない。自分を表現する、語るときには、すべてをさらけ出してしまいますから。現在は、ATA DANCE時代の作品よりも、より自叙伝的な、パーソナルな作品をつくるようになってきています。

──『世界の中心』に続いて発表したソロパフォーマンス作品『夜色』は、ダンスがもっと客体化されていて、川口隆夫的な動きが映像と融和しながら、より抽象的なレベルで構成された美しい作品でした。
『夜色』は01年の3月にオランダのフローニンゲン・グランド・シアターでつくりました。ダムタイプの『メモランダム』の中に自分のソロダンスのシーンがあるのですが、そこで使ったランダムなイメージを重ねていくという手法で、8メートル四方の舞台に、自分の身体と映像を組み合わせて何が見えるかということを空間の中に焼き付けていきました。その後、ダムタイプの照明家である藤本隆行にお願いしてLED照明を使うなど、いろいろと手直しをして、03年にはインドのアジア舞台芸術祭でも上演しました。

──デリーで行われたその芸術祭には私も同行しました。日本のコンテンポラリーダンスがインドで本格的に紹介されたのは、これが始めてではないかと思います。川口さんと黒沢美香、室伏鴻による3作品が公演され、最後に私が講演した関係で、たくさんのインド人観客と話しましたが、伝統舞踊が主体のインドで、この3名の作品は彼らに非常に新鮮で、興味を持たれていました。『夜色』の後、2004年に山川冬樹とコラボレートした『D.D.D.』を発表します。私は、この作品を近来まれに見る優れた作品だと思っています。120センチ四方のテーブルという限られた空間の上で、川口さんが一人で格闘しますね。山川さんが自分の身体機能とシンクロさせてつくりだした音、光、映像と川口さんの身体でいったい何ができるかということに真っ正面から挑んだ作品でした。『D.D.D.』というタイトルはどういう意味ですか。
「Don't Do Drug」です(笑)。まあ、それは後からつけた言い方ですけど、本当は心臓の鼓動の音です。「デーデーデー」という。実際に山川くんが自分の心臓の音をサウンドとして出しています。

──川口さんは冒頭、プロレスラーの悪役のような目出し帽をかぶって登場しするのが、とても衝撃的です。第1ラウンド、第2ラウンドと7ラウンドまで小さいテーブルの上で、まるで「ひとりプロレス」という感じでいろんな場面が進行します。この作品の出発点はどういうものだったのですか。
そもそもは、身体をぶつけるとか、衝撃を感じさせるといったパフォーマンスをやりたいと思っていました。東京・六本木のライブスペース「スーパー・デラックス」を会場にする予定だったので、場所の下見がてら、ちょうどそこでやっていた山川くんのパフォーマンスを観に行きました。そしたら、彼の心臓の音と電球の光、ホーメイ(倍音)という唄を組み合わせたライブがすごいパワフルで。すぐに「一緒にやりませんか」と声を掛けました。山川くんは、作品をつくろうとするときに自分の身体を使うことが自分が最低限の責任を持てるアートを生む唯一の方法だと言っている人で、僕も同じ感覚です。彼の作品も非常にダイレクトで、インパクトがあります。

──ただ身体を乱暴にぶつけるのはダンサーや音楽家でなくてもできることですが、だからこそそのような行為を「表現」として見せるのは、容易そうで難しいことだと思います。『D.D.D.』は、川口隆夫と山川冬樹という二人のアーティストによるパフォーマンス作品として、時間と空間からたちのぼる力がひとつになり、強いインパクトをもって観る者に迫る作品でした。川口さんと山川さんそれぞれが、全身で自分自身のパフォーマンスに徹しながら、せめぎあう緊張感に満ちていました。国際的にもあちこちで公演して、それぞれ高い評価を得ていますが、やっている側としては、どういうところが評価されていると感じていますか。
自分の作品のいいところを言うのは難しいですが、『D.D.D.』は原始的な欲望をぶつけつつ、ヘヴィメタ、日本のプロレス的なもの、といったポップなエレメントも持ち込んでいます。そういう面がうまくいっているのかもしれません。山川さんもパワフルで、ある意味二人の格闘技でもあります。彼が身体の内側から闘っていくのに対して、僕は外側から闘っている感じがあります。
 
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