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Artist Interview
Playwright Hisashi Inoue puts a prayer for peace in his play Chichi to Kuraseba (The Face of Jizo), now translated into seven languages
世界8カ国語に翻訳された『父と暮せば』に込める国民作家・井上ひさしの平和への祈り
ロマンス
ロマンス
ロマンス
こまつ座&シス・カンパニー共同プロデュース『ロマンス』
(2007年8月3日〜9月30日/世田谷パブリックシアター)
演出:栗山民也
撮影:谷古宇正彦
──言葉ということでは、『父と暮せば』は全編広島弁ですし、日本語をそれだけ大切にされている作品なので、翻訳はとても難しいのではありませんか。
 しっかりした日本語なら、当然、どんな言語にも翻訳できますが、たとえば広島弁の美しさ、面白さは伝わりませんね。心底辛いことがあって、その悲しさや辛さを吐き出すとき、標準語なんか使わないでしょ。『父と暮せば』は広島の中区あたりでしゃべっていた言葉を図書館の方について勉強したり、喫茶店でずっと広島弁を聞いたりしながら書きました。でも方言が翻訳できないからといって、じゃあこの芝居が外国の方に分からないかというとそんなことはない。私たちがチェーホフやドストエフスキーを日本語で読むときと同じで、原文の味わいとは少し違うかもしれないけれど、大きな感銘を受けるし、たくさんのことが分かります。それと舞台には俳優がいます。たとえ翻訳できないことがあったとしても、俳優からたくさんの思いが伝わっていくと信じています。

──今年の8月に最新作『ロマンス』を発表されました。この作品は、「生涯に1本でいいからうんと面白いボードヴィルが書きたい」と劇作家を志したチェーホフの評伝劇を、ボードヴィル形式で描くという趣向でした。
 演劇が総合芸術だと改めて発見しました。これまでは、音楽家の力、舞台美術家の力、照明家の力、演出家の力、俳優の力……それらが舞台に結集する、だから演劇は「総合芸術」だと思っていました。でも今回の舞台を見て、演劇そのものが、つまり舞台それ自体が絵画であり、音楽でもあり、彫刻でもあり、詩でもあると感じました。演劇はすべてを備えている表現のこと。改めて、もの凄いことをやっているんだと思いました。この万事が合理化・効率化・簡便化の時代に、演劇は観客を劇場へ来させる上にお金も前払いさせている。これほどわがままな表現形式はありません。けれども、いい芝居を提供するなら観客はすべてを許して下さる上に、よろこんでも下さる。そのことを痛切に感じました。つまり、こんどの『ロマンス』でやっと演劇のスタートが切れた、と感じています。その前は修行時代だったんですね(笑)。

──そんな(笑)。では修行が明けて、今後はどのようなものをお書きになりますか。
 あとどのくらい時間がのこされているのでしょうかねえ。十年あればいいなあ(笑)。
 次は剣豪の宮本武蔵をやります。以前からやりたかった題材です。武蔵と言うと吉川英治さんの名作のイメージが強いですが、私のは少し違う方向になる予定です。焦点は剣が強い、弱いじゃなくて、隠居した武蔵の穏やかな日々の暮しの中で剣の道の思想を描こうと構想していることころです。
 現代はあらゆる面で新しいバランスを模索している時代だと思います。早めに今までと違う次元、違う生き方を発見していかないと、この地球では少数の人々しか生きていけなくなってしまう。地球という規模だと漠然としていますけど、日本人も、日本国土も同じことです。地球が生き延びるためには、対立を超えた、新しい価値観が是非にも必要です。ですから、今度の武蔵は、地球環境問題がテーマ(笑)ということになるかもしれない。
 私はすべての芸術は、全人類にとまでは言わなくても、少なくともそのサポーターたちにほんの少し、生活のヒントを与えるのが仕事だと考えています。これまでの生活を変える提案とか、新しい考え方と言ってもいい。それが無い作品は結局自分のためのものでしかない。人々に何か届けたい、人々とともに生きたい、そういう方向性が無いと入場料を貰えない気がする。次の地球で生きていくためにはこうしたらいいよ、こう考えると楽だよ、という思いを常に作品の根底に込めておきたいと思っています。
 
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