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Artist Interview
Looking to the future of Noh with Hirotada Kamei, an Otsuzumi (Okawa) artist who calls himself a Noh actor
自らをNoh Actorと称す大鼓方・亀井広忠が見つめる未来の能楽とは?
大鼓
亀井広忠
──中学生・高校生時代はいかがでしたか?
 中学3年生ぐらいから自分の本番の舞台が増えてきて、高校1年生の時には1年間で舞台を20カ所ぐらい勤めていたと思います。これは年齢からいうと多いほうで、高2の時には100カ所、高3で120カ所になっていました。しかも、毎回違う曲ですから大変でした。能だけで120番、その他に舞囃子もありますから。万が一父が倒れてもとりあえず間違えずに1曲勤めおおせるぐらいは出来るようになってきたと実感したのはその頃ですね。
 その後、東京芸術大学に進み、オペラとかミュージカルなど他ジャンルの音楽に接するようになりました。また、大学で長唄、箏曲、尺八、日本舞踊など、同世代で同じような志をもっている連中と知り合えたのがすごく良かったと思います。彼らが考えていることを見たり聞いたりして、能について客観的に見る目も持てましたし、「これは能でやる必要があるのか」といった疑問も出てきました。たとえば、能の『安宅』と歌舞伎の『勧進帳』では同じ題材を扱っていますが、私は『勧進帳』のほうが面白いと思っています。基本的に、ドラマ性のある劇的な芝居は、能より歌舞伎のほうが面白いんです。歴史的には、世阿弥の作った幽玄本意の曲にお客が少し飽きてきたというところから、『安宅』や『船弁慶』のようなドラマ性のあるものを題材にした能が生まれてきた経緯があります。室町中期・後期あたりから、お客の好みに合わせて見て聞いて楽しい曲が生まれるようになったわけですが、能が能として成り立っていくためには、歌舞伎に負けるような題材ではなく、『高砂』のような、力業一辺倒で押していく曲で勝負するか、『井筒』や『定家』のような、能にしかできない人間の内面に迫るドラマ性をもった曲で訴えたほうがいいと思います。

──歌舞伎のほうが面白いといわれたのには驚きました。何につけ、能が本家みたいな言い方をされることも多いですから。
 能楽界のそういうところは、私が嫌だなと思っている点のひとつです。あくまでウチらが芸能の本家だ、みたいな。我々の先生、大先輩が太平洋戦争後ゼロから日本の伝統文化をつくり直してきたのに、それを忘れて、能は能だ、歌舞伎は歌舞伎だ、文楽は文楽だ、みたいな風潮がありますが、それはとても嫌ですね。能だって雅楽やお神楽を取り入れたり、幸若舞や田楽といった呪術的な祈りの芸能を取り入れたりして出来たわけで、能もパクリの芸能だと思います。離見の見じゃありませんが、今は能楽界を客観的に見ることが必要なのではないかと思っています。
 幸いな事に私の体の半分は歌舞伎ですし、せっかく歌舞伎と能の血を半分ずつ持って生まれたのだから、じゃあ兄弟3人で何か、能の良いところ、歌舞伎の良いところを掛け合わせたものを作り続けていこうと始めたのが「三響會」での企画公演です。日常生活では、互いの演奏について突き詰めた話はしませんから、三響會で一緒に仕事をして初めて深い話をするようになりました。それで分かったのは、歌舞伎も能も、決してパクリの芸能ではなく、同じ題材を、違う価値観、違う視点で扱っていることでした。

──能は今の若い人が見るにはテンポが遅くて、ちょっとしんどいところがあります。どうしたら同世代の観客の共感を得られると思いますか。狂言師の野村萬斎さん、囃子方笛方の一噌幸弘さんと3人で2006年に始めた企画公演「能楽現在形」も同世代に能の面白さを発信しようという、そうした試みの1つだと思います。みなさんが主役であるシテを指名することをはじめとして、毎回、斬新な試みがあります。
 技術的に文句をつけようがないメンバーばかりで見せることが出来たら、誰が見ても良いものになっているはずです。それが基本だと思います。それと、自分で言うのもなんですが(笑)、下世話かもしれないけど、ビジュアルの良いメンツが集まったらこれはこれで美しい能になります。
 あとは公演のやり方にも工夫できることはたくさんあると思います。開演時間を遅くして夜8時からのナイトシアターにするとか、後は1回公演ではなく、1週間の連続公演というのも考えられると思います。ただし、一期一会という1回性を重んじてきた能楽師の体質がそれについてこられるかどうかですが。
 「能楽現在形」は、「橋の会」の企画ではじまりましたが、そのコンセプトは「1人で600〜700席の能楽堂をいっぱいにできる同世代3人の催し」というものです。内容はわりと尖ったことをやっています。技術もさることながら、これだけ集客できる能楽師は我々の世代では他にいないのが実情なので、若い世代にも続いて欲しいのですが、現状では難しいと思います。それで、私は今、次の世代のシテ方で素質のある子を育てています。能は、室町時代の世阿弥のようなスターがシテ方で生まれないと未来が開けない。能楽界の中心人物はシテですから。

──大鼓の楽器としての可能性についてはどんなことを考えていますか。民族音楽との共演など試みる方もいますが、亀井さんはどのようにお考えですか?
 全く興味ないですね。能楽師大鼓方と名乗っている以上は、大鼓のソロなんてあり得ない。やはり笛、小鼓とのトリオ、太鼓を交えたカルテットの中で生きるのが囃子方の生き様だと思います。大鼓だけ飛び出して、他ジャンルとセッションするのはあり得ないですし、可能性を探るなどというのもお門違いも甚だしいと思っています。
 ただ、2006年に世田谷パブリックシアターで上演した野村萬斎構成・演出の『敦─山月記・名人伝─』には大鼓単独で音楽を担当しました。大鼓は言葉を囃す楽器でもありますから、そういう意味で『敦』の企画に共感して音楽を担当しました。同じく、言葉を囃すということで朗読とやったこともあります。朗読の中で大鼓を打つのは難しくて、言葉の句読点の間に音をもっていくとか、朗読をかき消さないボリュームで囃すなどの意識を働かせたりするのが勉強になりました。
 どんな仕事をしても根底には「演劇の中の音楽」であり続けたいという気持ちがあります。日々の稽古を怠っていなければ、自分の音楽性は日々磨かれていくはずだと信じたいですね。体の使い方でも、自由闊達でありたいという考え方でも、「天地縦横」、これが私の演奏の目標です。

──新作能の作曲(作調)もなさっています。
 能楽では、曲を作ることを「作調」といいます。作調は曲の調べをつくるという意味です。これまで二十数回はやっています。シテ方の梅若六郎先生の『空海』、作家の瀬戸内寂聴さんの『夢の浮橋』や『蛇(くちなわ)』など、面白いものが出来たという手応えもいくつかありましたが、新作能はやはり難しいと思いました。
 能は、動きでも音楽でも、広がりという意味では限界があって、歌舞伎のように装置や振り付けで凝ったり出来ず、現代を題材にするのはなかなか難しい。しかし、例えば寂聴さんがエロスをテーマにされているように、室町時代でも平成の世でも変わらない人の日常に題材を求めるのであれば、可能性はあると感じました。
 それと、600年前からあるんじゃないかと思わせるような作調法、作舞法でやったほうがいいと思っています。「能楽現在形」でも新作をやってほしいという要望がきていますが、我々3人はもう少し古典の名作、名曲をつくり上げ、お客様にお届けする作業をしてから新作をやりたいと思っています。たぶん10年以内にはお見せできるのではないでしょうか。

──それは楽しみですね。「能楽現在形」の3人で海外公演をする計画はありませんか。今いちばん尖っていて、ビジュアル的にも良いみなさんですから、新鮮な能の面白さを海外に届けられると思います。
 やりたいですね。2年先まではほぼスケジュールが決まっている上に、3人そろって忙しいですから、今から計画しても3年後か4年後かということになるのでしょうが、若々しい能の魅力を外国の方にも伝えたいと思います。
 
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