The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Artist Interview
The world of director, Osamu Matsumoto − Staging Kafka with his unique style with workshops and composition cards
ワークショップとカード式演出術でカフカ劇に挑む、松本修の世界
失踪者
失踪者
失踪者
世田谷パブリックシアター制作
カフカ2作交互上演『失踪者』

(2007年11月15日〜12月8日/世田谷パブリックシアター)
原作:フランツ・カフカ
構成・演出:松本修
撮影:宮内勝
──ワークショップでは、新聞記事の断片からシーンを作ったり、チェーホフの台本を素材にいろいろなシーンを演じたりしていましたね。
 例えば『会社の人事』という作品では、オフィスのOLと上司が不倫した挙句、その上司は結局若い女に捨てられてしまうというエピソードでワークショップをやり、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』の枠組みを借りて、ひとつの場面をつくりました。MODEの初期は毎日配役を変えることもあったから、俳優はすべてのテキストを頭に入れておかなければならなかった。相当な稽古期間が必要でしたね。
 小劇場の劇団でしか芝居をしたことがなかった男性俳優がいたのですが、チェーホフのトレープレフの台詞がうまくしゃべれなかった。それで彼の経験に照らして、この台詞は今の演劇界に対する反抗と同じだから、そのつもりでいったん全部自分の言葉で言ってみろ、と。彼は「今までは台詞をただ丸暗記してたけど、なんだか判ったような気がする」と言って、見事にテキストを喋れるようになった。

──「見事に」というのは「自然に」ということですか?
 自然に、というか、俳優自身が喋っているように聞こえるということです。チェーホフのトレープレフとして喋っているのではなく、俳優がトレープレフの言葉を借りて自分の思いを喋っているということです。僕は、演技が目指すところはそこなんだと思います。ワークショップは俳優が自分として喋れるようにしていく作業であり、そのための場になっていきました。

──MODEでやってきた作業と世田谷パブリックシアターで始めたワークショップは連続したものととらえていいのですか?
 連続していますが、参加する俳優が違っていた。劇場プロデュースになったことで、僕の仕事のことは知らないけれど、ワークショップに興味を持った俳優たちが加わった。いわゆるアングラ小劇場系のキャリアのある俳優が参加してくれてうれしかったです。60年代の小劇場運動を立ち上げた世代の人たちは、実は新劇の教育を受けた経験のある人が多いんです。たとえば舞踏の麿赤児さんも新劇のぶどうの会にいたことがあり、酔っぱらうと「俺はよう、アングラじゃねえんだよ、新劇なんだよ」と言う。そういう人たちとのほうが仕事をしやすくて、むしろ新劇の経験のない人と組むことのほうが大変でした。
 世田谷パブリックシアターでは、まずチェーホフの『プラトーノフ』、次いでブレヒトの『ガリレオの生涯』を演出しました。これらには多忙な俳優も出演していたため、ワークショップをやろうとしてもなかなか全員揃わないわけです。それで参加できる俳優たちとのワークショップを続け、演劇のテキストではなく、ゴダールのシナリオを取り上げたりしていました。ゴダール特有のちょっと哲学的な「あなたは俳優でしょ。あなたが昨日舞台で言った台詞を言ってみて。今あなたが私に愛してると言った言葉とどこが違うの?」といった演技論の入ったテキストなどを使いながら遊んでいました。
 ワークショップを1年かけてやっても、この方法ではこの俳優の良さはでないなあ、ということも当然でてくる。そうなった時はその人を劇の中で浮いた存在でないように見せなくてはならない。なるべく統一した世界の中にいられるようにするためには、構成や演出を工夫することも必要だということも、このワークショップの中で考えるようになりました。
 そういう作業の延長線上で何か作品をつくりたいと思った時、僕の中ではじめに提案したカフカがもう一度思い浮かんだのです。

──カフカでどのようなワークショップを試みたのか、具体的なプロセスを教えてください。
 『アメリカ』は1年かけたのですが、1週間〜10日単位の事前ワークショップを4、5回実施しました。集中してやるのではなく、インターバルを置いて、いったんそれぞれ自分の劇団などに戻り、また集まって前回の続きをやるというやり方をしました。日本の演劇システムだと、稽古期間を細切れとはいえ一年も取るのはまず不可能です。それをまがりなりにも実現したことに意義があると思います。
 実は、『アメリカ』の主人公のカール少年役にはある俳優が決まっていたのですが、事前ワークショップが終わっていよいよ本稽古初日という日に怪我で出演できなくなりました。ワークショップでは決まっていた俳優以外に女性も入れて6、7人の候補がいて、みんなカール少年の稽古をしていたので、発想を転換して、複数の俳優で演じ分けたらどうだろうと。結果的に、舞台での場所の移動と時間経過のことを考えると、一人で演じるよりも面白くなったと思います。

──演劇というのはつくづく面白いですね、トラブルから新鮮なアイデアが生まれる。『アメリカ』のオーディションについてはどのように行われたのですか。
 まず、僕と一緒にやった経験のある俳優を何人か集めました。それから公募で200人ぐらい来たので、書類選考とオーディションで50人に絞ってから、小グループをつくって具体的にカフカの小説の断片を演じてもらい、選考していきました。それは演技の質を確認するというより、このやり方に向いているか、不向きなのかを見るためです。会話の部分をセリフ、地の部分をト書きとして演ずるというような従来の台本の覚え方ではなく、テキストから色々と発想して場面を立ち上げ、いくつかの演技のパターンを試すことを面白がれる俳優を選びました。なるべくその演技パターンの幅が大きいほうがいい。正解を求めるのではなく、失敗を恐れず、自分をさらけだして実験のできる人。
 さらけだすといっても、自分をそのモードにもっていくという意味です。本当に裸になることはどんな俳優だってできない。僕はよく言うのですが、エチュードをやってみて見ている全員がたとえ白けたとしても、それでいいんだ、と。俳優がそのことに自覚的で、その場の空気を共有できているかどうかが大切なんです。最終的に26人が決定し、4回の事前ワークショップに入りました。
 加えて本がきちんと読めることも条件になりました。シェイクスピアなら、感情なしで読んでも全部セリフに書かれているから何とかなりますが、カフカは解釈が一様ではありえない。例えばヨーゼフ・Kはそう言いながらも、こういう行動をした、とか、矛盾があるわけです。それを探るのを面白がれる俳優でないと困るわけです。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 | 4 |
NEXT
TOP