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Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
The view from an energy void  Playwright Shiro Maeda's Sense of Wonder
「脱力」から見えてくるもの 劇作家 前田司郎のセンス・オブ・ワンダー
*3 五反田団『偉大なる生活の冒険』
(2008年3月6日−16日/こまばアゴラ劇場)
あらすじ:
部屋の中には万年床。そこに男と女が寝転がっている。男と女は元恋人同士だというが、男はただ女の部屋に居候し、引きこもりの生活。男はゲームの魔王を倒すことだけに日々を費やす。ときに隣人の友達とおぼしき人たちが出入りし、とりとめのない会話をしたりゲームをしたり、夢の中かもしれないが、死んだ妹も登場する。女は男に対して出ていけと怒鳴る。ただ生き続けるだけの男は何もしないことにある意味前向きともいえる姿勢を貫く「偉大な生活」を送り続ける。
偉大なる生活の冒険
偉大なる生活の冒険


偉大なる生活の冒険
『偉大なる生活の冒険』のチラシ(前田直筆の解説文を掲載)
──最新作の『偉大なる生活の冒険』(2008年/*3)も大変面白い作品でしたが、妹が死んで以来、元恋人のところに転がり込んで仕事もしないでゴロゴロしている青年が主人公として出てきます。チラシには「我々はほっといても生きているからその生に偉大さも矮小さもない。部屋でゴロゴロする生も未開の大地を歩きまわる生も、大差ないそれは偉大な生活の冒険なのだ」と書かれています。前田さんの作品にはこうした力の抜けた主人公がよく出てきますね。
 僕にとってのヒーロー像というのがあって、主人公たちにはそれが反映していると思います。僕にとってのヒーローは、社会のプレッシャーなどから“逃げられる人”のこと。逃げちゃダメだ、戦うべきだ、自殺しちゃダメだ、それは逃げだから、とよく言いますが、それは逆で、逃げるというのは生きるための方法だと思うんです。だから逃げることをもっと肯定的に捉えて、生きることが辛くなったり、泥沼に陥ってしまいそうになったら、すべてから逃げればいいし、そういう生き方がとても大事な気がします。
 「偉大なる生活の冒険」は、僕の小説「グレート生活アドベンチャー」がもとになっているのですが、小説のほうでは主人公は一度虚無を覗いてしまうんです。そのときにパスタを1本1本数えることで何とか虚無から逃げることができた。逃げるというのはそういうポジティブな能力なんです。
 こうしたヒーロー像には父親の影響があるんじゃないかと思っています。僕の父親は、励まさないし、お酒を飲んでテレビの時代劇ばっかり見ているような人で。最初はそういう自堕落な父親が少し嫌でしたが、今思えばそうして生きているだけで偉大なことなんじゃないかと。小説の主人公はそこまでポジティブに逃げることを捉えきれてないのですが、でも僕はこの主人公より半歩先に進んでいますからね、大丈夫です(笑)。

──岸田戯曲賞を受賞した『生きてるものはいないのか』は原因不明のまま人々がバタバタ死んでいく話ですし、こうしてみると前田さんの作品はバリエーションに富んでいます。
 死や生を書く場合には、同じモチーフをいろいろな形で書き続けることに意味があると思っているんです。画家がモチーフにするヒマワリだって、時間や場所によって光線状態も違うし、芽のときもあれば茂っているときもあるから、いろんな角度で見ないとわからない。
 自分の作品を整理するといくつかのパターンがあるんですが、ひとつが「道シリーズ」で、『ながく吐息』や『家が遠い』(何となく家に帰りたくなくて路上にいる4人の中学生が主人公)なんかがそうです。道って公の場なのに、そこに人が留まることでパーソナルな場所になるでしょ。そこが面白いですよね。それから『動物大集合』『ふたりいる景色』みたいな部屋が舞台になっている「部屋シリーズ」。場所でカテゴライズするとそうなるんですが、内容でいうと「現実からの大きな飛躍がないシリーズ」「大きな飛躍があるシリーズ」「夢シリーズ」があります。たとえば、『キャベツの類』は夢シリーズで、『家が遠い』は大きな飛躍があるシリーズになります。はじめにシリーズのイメージがあるわけではなく、書いてみたらそうだったということなんですけど。

──どの作品にも喜劇性がありますが、笑ってもらいたいと思っているのですか。
 そのことについては深く考えたことがないのですが、笑ってもらうとやっているほうも気が楽になりますよね。さっき、死に続けているのに生きていると実感していることは素晴らしいと言いましたが、でもそれはやはり基本的に滑稽なことなんだと思います。すごく雑に言うと、すべてそこが元になった笑いなんじゃないかと思います。
 今、話していて思い出したのですが、笑いというのは攻撃性と近いかもしれない。テレビ番組で超能力を信じる人と信じない人が討論していて、超能力で鉄を曲げる人が出てきたときに、どうして曲がったのか説明できない信じない派の人たちが笑ったんです。その笑い方が攻撃的だなと思いました。僕は、自分が笑うことや人が笑うことに、攻撃性の発露を見ているのかもしれません。以前、マザー・テレサのドキュメンタリー番組をみたんですが、笑うシーンが出てこなかった。ひょっとするとマザー・テレサは、笑うことが攻撃性に結びついていることを直感していて、笑わなかったのかもしれません。

──話はズレますが、前田さんの戯曲の中には「カナコ」という名前の女性がよく登場します。何か意味があるのですか?
 登場人物の名前を決めるのって難しいんですよね。格好いい名前はナルシシズムが出て嫌だし。僕は、名前にレベルを付けていて、田中とか、佐藤とかありふれた名前がレベル1で、前田はレベル2ぐらい、扇田はレベル4ぐらいいってます(笑)。下の名前は生まれ年によって流行があるのでレベル分けしにくいんですが、そのなかでカナコやマナミは中ぐらいのレベルで使い易いんです。
 
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