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Artist Interview
Kanjuro Kiritake III, a leader of the rising generation of puppeteers in Japan's world renowned puppet theater, Bunraku
世界に誇る日本の人形劇「文楽」 人形遣いのホープ三世桐竹勘十郎に聞く
文楽
商都、大坂で生まれた人形浄瑠璃・文楽は、町人が育んだ芸能だ。17世紀半ば、竹本座を起こした浄瑠璃の名人・竹本義太夫は、浄瑠璃作者、近松門左衛門と組んで『出世景清』を皮切りに、『曽根崎心中』や『冥途の飛脚』など、現在も上演される人気作品を生んだ。人形浄瑠璃の演目はいずれも、親子の情愛や男女の恋、義理人情の葛藤や生きる苦悩が主題。老若男女を語り分ける太夫の語り、腹に響く奥深い太棹三味線の音色、命が宿ったように動く三人遣いの人形、三者一体となって生み出す人間のドラマに、人々は喝采を送った。

17世紀から19世紀にかけて、様々な一座が人気を競い盛衰したが、近代化という大きな社会の変化の中で人形浄瑠璃の人気は次第に傾いていく。20世紀初頭、ついに人形浄瑠璃の一座は「文楽座」のみとなり、やがて人形浄瑠璃そのものを「文楽」と呼ぶようになった。その文楽も、第二次世界大戦による専門劇場の焼失、名人の相次ぐ戦時下の死という痛手を負い、映画やテレビなど興隆する大衆娯楽と競う体力を失っていった。苦境を救い、再生を図るため、1963年、国、大阪府、大阪市、NHKが助成に乗り出し、財団法人文楽協会が発足する。72年には国立劇場が伝統芸能伝承者養成事業の一環として、後継者の要請を開始した。実力本位の文楽で、国立劇場養成研修生の出身者は5割に達している。84年には大阪に国立文楽劇場がオープン、新しい本拠地を得た。2003年には世界無形遺産に登録された。人形浄瑠璃文楽座の技芸員は現在、太夫25人、三味線18人、人形遣い37人である。
──人形遣いの修業は「足10年、左10年」といわれます。まず足遣いの修業が10年、さらに左遣いを10年修業して、ようやく主遣いになる。文楽の人形遣いの基本は足にあるということでしょうか。
 そうですね。三人遣いになった大きなメリットは足がついたことだと、私は考えています。記録によると現在のような形の三人遣いが最初に行われたのは1734年、大坂道頓堀の竹本座で、『芦屋道満大内鑑』というお芝居を上演した時です。270年前にこれを考えた人はすごいなあと思います。1734年からさかのぼること40年ぐらい前、17世紀の終わりごろに、江戸の外記座という芝居小屋で三人遣いをやった記録があるんです。ところが遣い方が全然違う。1人が首を持って、1人が両手を遣い、もう1人が足を遣う。多分、めちゃくちゃ遣いにくいと思います。首の遣い手と足遣いが息を合わせるのは、私たちの方式でも難しいですから。それからの40年はほとんど記録がありませんが、いろいろな試みが行われて、定着したのが竹本座方式だったと思うんです。1734年を境に、日本の人形芝居は急速に三人遣いに移っていきます。
 1つの人形を動かすには、3人それぞれが3分の1ずつ仕事をやっている、ここが三人遣いの難しいところです。中心になる遣い手はもちろん主遣いですが、では主遣いが70%から80%の仕事をしているかというと、そうではない。女方ですと、まず足遣いが半分。女の人形は男の人形のように足がありません。足遣いが着物の裾を動かして足があるように見せているわけで、責任の半分が足遣いにあるといえるほどです。場面によって、振りによって、左遣いがものすごく重要なところもありますし、主遣いが重要なところもあります。3人で互いに100、120の仕事をしているのです。
 そのうちの半分は常に足遣いの仕事と言っていいと思います。足遣いがパッと手を離したら、どんな最高位の技を持つ名人でも人形は遣えません。ですから、「足10年」というのは、10年かかって下っ端からやっと抜け出すということではなく、10年たったころには、ポジションは足遣いだけど人形遣いとしてはかなりのものになっていて、修業の半分は終わっているということ。だから、とにかく若いうちは「足を遣え、足を遣え」と、やかましく言われるのです。
 しかし、自分でやっているときは、私もそうでしたが、足遣いが重要だとは分からないものです。辞めようと思うのもそのころですね。何でこんなこと毎日やってるんだろうと考える。来る日も来る日も中腰でしんどいですし、頭から黒衣をかぶっていますから舞台で顔が出るわけでもない。足遣いが誰かプログラムに名前は出ませんしね。この時期を乗り越えて足遣いを卒業できると、不思議なことに、後はもう大丈夫なんですよ。

──足遣いの基本ができると、自然に左手や首が遣えるようになっているということですか。
 足遣いは、右腕のひじから手首の間のどこかが必ず主遣いの腰に当たっていて、そこから合図をもらっているんです。「腰当たり」といいますが、主遣いの腰の動きで次にどう動くかが分かる。これさえしっかり分かるようになれば、後はもう動きの組み合わせだけです。そして、役柄に早く慣れることができるかどうかですね。人形の足の一部に自分がならないといけないので、これが難しい。

──男と女で歩き方は違いますし、武士と町人、老人と子ども、確かに歩き方一つでも役柄によって様々な足の遣い方がありそうです。
 そうですね、足遣いに限らず、技術的なことよりも、役に自分がなっていくということが難しい。そのための修業を10年、15年かけてしていくんです。自分が人形の一部になる、役になることが主遣いになった時に一番大事なことです。
 人形遣いというのは、役を演じる「役者」であり、人形を操作する「技術者」でもある。どちらかが勝っていて、片方が劣っていてはうまく表現できない。役に込めた気持ちを客席に伝えられないんです。ですから、足を遣っているころから、「あっ、いま師匠はこういう気持ちでこの役を遣こうてる」と感じとって、自分もその気持ちになって足を遣う。ただきれいなだけの足遣いというのでは、主遣いはやりにくいんです。主遣いには自分の気持ちに合った足というのがありますから、いくら形がきれいでも、気持ちに合った遣い方でないとやりにくい。私も足遣いのときにここで失敗した。その時は、ほんとうに辞めようと思いました。
 私の師匠は吉田簑助ですが、失敗すると師匠の機嫌が悪い。簑助師匠はだいたい何も言わない方で、昔の方はみんなそうだと思いますが、どこが悪いと注意はしない。ただ、ただ機嫌が悪い。私はもう何年も足を遣っているから自分なりの自信がある。しかも主役の足を任されているわけです。そうなると、「俺はもうこのぐらいの足はできるんや」と、ちょっと生意気にもなっている。形はきれいなんです。どこから写真を撮られてもきれいで、三味線との間もいい。足遣いは「足拍子」と言って自分の足を踏んでトントンと足音を出すんですが、そのタイミングも外していない。それなのに師匠は毎日機嫌が悪い。どこが悪いのか分からないんです。

──どこが悪いか師匠に聞くことはできないのですか。
 聞いても絶対言ってくれない。聞いたとしても、「お前、何年やってんねん」と言われて終わりです。どこが悪いか自分で探さねばならない。先輩にそれとなく聞いたり、横に付いて見てもらっても、「別におかしくないで」と言われる。先輩にも分からない。そうなると、ますます分からなくなる。結局、先ほど言った「お前の足は、吉田簑助が遣うこの役の足ではない」ということなんです。「もうお前ね、それぐらいやっていたら、これは分からないかん」という厳しい、厳しい、究極のところを求められているわけです。
 それに気付いたのは、やっているうちに何となくでしたね。巡業先で、師匠とお酒を飲んだりしますでしょ。そういう時にされる昔話を、「ああ、またいつもの話やなあ」と思ったらあかんのですよ。今回は違う話かもしれない。この話は5回聞いたな、という時でも聞いているんです。そうすると、いつもは言わないようなことがフッと出てくる。「左でも、足でもな、その役の気持ちになってんとな。なんぼきれいな足でもいかんねん」と言うかもしれない。あっ、今のは私のことを言っているのかな、と心に留める。師匠は「お前の足はな」とは絶対言わないですから、そういう話を聞いて自分でかみ砕いて、自分の今に当てはめていく。そんなことをして抜け出しました。
 だから、足遣いも左遣いも役者と技術者の2つが両立しなければならない。特に主遣いは役の性根をつかまなければなりません。今の私はそれでちょっと苦労していますが、50代の後半はいかに性根をつかむかで頑張ろうと思っています。技術については四十何年やっていますから、今更、不安ですみたいなことを言うたらアホですからね。
 
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