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Artist Interview
Kanjuro Kiritake III, a leader of the rising generation of puppeteers in Japan's world renowned puppet theater, Bunraku
世界に誇る日本の人形劇「文楽」 人形遣いのホープ三世桐竹勘十郎に聞く
──同じようなプロセスを踏んで修業をなさっても、人形遣いによって個性が出てきます。人形を遣うときにどこを見るかも遣い手によって違っています。人形の動きと同じように目線が動く方もいますし、そもそも主遣いはどこを見て人形を遣うものなのでしょうか。
 主遣いの遣い手は顔の表情を変えない、あまり動かないというのが基本です。主遣いが顔を出して人形を遣う「出遣い」というのは江戸時代からあるんですが、きれいなお姫さんの後ろに色の黒い男の顔があったとしても、そこにお客さんの目がいかないようにしなければいけない。人形に集中させるような芸を身に付ければいいんですが、なかなかそうもいかない。では、せめて動かない、表情を変えないということぐらいしか最初はできませんね。芸が上がれば、人形遣いが消えてしまうとか、見えなくなるとかよく言われますが、そこまでいくには時間がかかります。
 お客さんにとっていちばん気になるのは主遣いの目の動きやと言われます。役者をやっている姉がいまして、若いころは目線を定めたほうがいいとよく注意されました。どこを見て遣わなければいけないという決まりはないので、私はだいたい人形の後頭部、背中から後頭部を何となく見ていますが、人形とはまったく違う所を見て遣う方もいらっしゃいます。
 まずいのは人形より先に遣い手の体が動いてしまうことですね。左を見るのに、遣い手の体が左を向いて、それから人形の体が向く。「1、2」と動く。ある程度は人形と一緒に体も動きますが、人形より遣い手が目立ってはいけないし、先に動いてはいけない。人形をきれいに見せるには自分の体を殺せ、とよく言います。自分が芝居をしてはいけないんです。胸でつくった芝居を、左手を通して人形で表現をして、さらに客席まで届かせるんです。これが、なかなかできない。もう、もがき苦しんでいますよ。

──もがき苦しみつつも勘十郎さんは人形遣いを貫こうとしていらっしゃる。ご自分の仕事に選ばれたのは、どこに魅力を感じたからですか。
 昭和41年、1965年の5月、私が中学2年生のときでした。当時は文楽の人形遣いの数がかなり少なくなっていて、27人しかいなかった。人形1体を3人で遣いますから公演をやるには人が足りない。それで、親父(二世桐竹勘十郎)に呼ばれてお手伝いをしたんです。親父は文楽座の人形遣いですから、親父や母に連れられて小さいころから文楽は見ていました。楽屋や劇場のロビーや客席には何度も行っているので、そこが親父の仕事場だと思いこんでいたんです。黒衣を着て舞台裏を手伝って初めて、本当の親の仕事場を見ました。ああ、これはすごい世界だな、と思いました。
 何が一番すごかったかというと、先輩がやっていた足遣いなんです。手伝いで集められた私らは手すりに隠れて、小道具を渡したり、主遣いが舞台に出る時に履く下駄を揃えたりするんですが、うずくまって見ていると、いちばん目の前にあるのが足なんですね。本当に生きている人間の足のように見えるんです。それを見た時に、やってみたいという気持ちがわいてきました。模型を作ったり絵を描いたりするのが好きでしたから、からくりとか仕掛けにも興味がありました。人形の首の仕掛けや大道具、小道具の仕掛け、床山さんが結う人形の髪、見ていて飽きない。首を床山さんに預けてすぐ舞台に帰らなければいけないのに、ついつい髪を結うのをずっと見ていたり、そんな子どもでした。1年ほど手伝っている間に、人形が動くというのがどんどん面白くなって、3年生になって人形遣いになろうと決めました。簑助師匠を師匠に選んだのは、親父ですが。

──その時感じた面白さが、勘十郎さんの中では現在まで繋がっているわけですね。
 それが、どんどん面白くなっている。今が人形遣いになって一番面白いですね。2年ぐらい前からですか、人形が自然に動いてくれるんですよ。昔は必死でやっていたのに。慣れもあるでしょうが、大きくて重たい人形を遣っても汗をかかなくなりました。今年のお正月の大阪公演では先輩の吉田文吾さんが病気で休演されて、その代役と自分の役が2つ、合わせて3役やりました。1つは『国性爺合戦』の和藤内という文楽人形の中では一番大きな人形、もう1つの『祇園祭礼信仰記』の四段目『金閣寺』の東吉は鎧を着けた人形で初めての役でした。そして3役目が『傾城恋飛脚・新口村の段』の孫右衛門という難しい老け役で、これも初めて。本当に体が保つかなあと心配したんですが、楽しいんです。初役ばかりで、ものすごいプレッシャーがあるのに、人形を持って舞台に出るのが楽しい。入門して42年目ですけれど、今が一番楽しいですね。

──その楽しい気持ちが舞台に出ているように思います。勘十郎さんの遣う人形は舞台の上で大きく映える。今回の公演で演じられた『鎌倉三代記』の三浦之助は実に美しい若武者ぶりでした。
 三浦之助も初役ですが、役が上手につかめていたのかもしれません。自分なりに三浦之助はこういう人間だ、というのを考えたわけです。病気の母親を案じて戦場から戻ってくる。「お母ちゃん、お母ちゃん」と言ってね。「敵に後ろを見せ、戦場から戻るような者は子ではない」と母に言われて、「戦場に行くぞ」と言っているのに、なかなか行かない。

──マザコンですね。ちょっと駄々っ子のような若々しい感じが出ていました。
 それが人形では出来るんですね。役者さんですと、お姫さんの役の人でも年を取られたら、どれだけきれいな衣装を着ても顔が気になります。しかし、人形は永遠に変わりませんので、後ろの人形遣いが70歳でも80歳でもお姫さんはお姫さんとして遣えるところは得です。ただ、いつまでも若い娘の気持ちを持てるかどうか。うちの蓑助師匠は今年75歳ですが、この4月に『桂川連理柵』で14歳のおはんをやりましたが、それが憎いくらい14歳なんです。75歳の人が14歳の役をやって、14歳に見える。それが師匠のすごさであり、文楽のすごさだと思います。常にいろんな気持ち、少年のような気持ち、娘のような気持ち、いろいろな気持ちを持っていて、役によって気持ちをつくって舞台に出る。先ほども言ったように、技術だけでは表現できないものなんです。
 
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