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Artist Interview
A look into the world of performer Noriyuki Sawa With the new form of puppetry known as figure theatre
人形劇の新しいムーブメント「フィギュア・シアター」で独自の世界を切り開くパフォーマー沢則行の感性とは?
『リア王』
(2004年/青山円形劇場)
初演:プラハ国際舞台美術エキスポ2003
翻案・演出・美術・出演:沢則行 音楽:中西俊博
撮影:高橋克己
リア王
リア王
リア王
──沢さんがつくられた人形劇のレパートリーは何本ぐらいありますか。
 一人芝居だけで25〜30本ぐらい。『マクベス』のように40分ぐらいある長編から、1分〜3分ぐらいの短編までありますが、その内、長編は5〜6本ぐらいです。演出、美術を手掛けた作品を入れるともっと多いですね。タイプもOHPを使った影絵的なものなどいろいろあります。最新作の『かぐや姫』はOHPは使っていませんが、映像的な作品だと思います。

──日本の民話やシェイクスピアなどを題材とすることが多いのですか。
 いえ、いろいろです。長編は古典を使うようにしていますが、短編はもっと自由につくっています。「カニ」とか「魚」とか、締め切り間際で苦し紛れに、これカニに見えないかなあ?と思い浮かぶときもありますし。もともとデザイナーなのでビジュアルから発想するほうが先かもしれません。ビジュアルが動いたり変形したりして、ストーリーが出てくる感じですかね。

──『マクベス』もそうでしたが、色使いがとても日本的な感じがします。
 綺麗な色が好きなんですよね。自分ではあまり意識はしていないのですが、知らず知らずのうちにそういった日本的な色や素材を選んでいます。

──チェコで人形劇を続けられてきて、これは日本人ならではの感性だと感じることはありますか。
 あります。説明が難しいですが、人や物との距離感がヨーロッパ人と日本人では全く違う気がします。例えば、チェコ人も挨拶でハグしてキスしますが、両者は絶対に混じりあわない。日本人は頭を下げあうだけですが、混じっているように思います。要はソリッドとリキッドの違いですが、ヨーロッパ人は「楽しかったね」と抱き合ってキスし合うけど、私と貴方の楽しさは違う、という感じがあります。日本人は水が流れるみたいにミックスしてしまいますが、ヨーロッパはあくまでも個と個、石と石で、ジョイントするけどミックスはしない。
 そういう人と人との関係は物(人形)との距離感にも表れていて、ヨーロッパでは人形はあくまでも物ですが、日本では命が宿った呪術的なものとして捉えられている。私にはあまりその気はないのですが、そういう人形劇を海外で紹介すると高く評価されると思いますよ。

──ヨーロッパからは日本の人形劇はどのように映っているのでしょう?
 素晴らしいものとして映っていますね。特に伝統あるものに対する憧憬、研究意欲は高いです。クロフタと『ロミオとジュリエット』をつくった時に、彼が面白いことを言っていました。「日本で文楽を見た時に思ったけど、後ろにいる3人は他に使い道がないのかね?」と(笑)。「いやいや、あれはマイスターですから」って言うと、「いやいや、俺も大学の教授だからそれぐらいは判っているよ。でも見えないことになっていると言っても丸見えだよ」と。そして、あの3人に演劇的な意味の名前、バリューを与えたいと言うんです。「要はキャラクターとして使いたいのでしょ?」と聞いたら、そうだと言っていました。
 それで彼は『ロミオとジュリエット』で、ロミオの後ろの3人の遣い手をモンタギュー家、ジュリエットの後ろの3人の遣い手をキャピュレット家に見立てた作品をつくりました。家族が自分たちの子ども(人形)を好きなように操ろうとしたけど、子ども(人形)は操られるのを嫌って遣い手から離れ、人形は床に転がって心中する──判り易いコンセプトですよね。ああ、なるほどと思いました。
 クロフタが『ロミオとジュリエット』にコピーとして付けたのが、“動きの帝国(the empire of movement)”です。文楽で背後にいる3人は、非常に格式があって上下関係がはっきりした人形を動かすための帝国だ、という意味ですが、「そこに限りない魅力を感じる、耕されたことのない土壌を感じる」と、彼は言っていました。日本の伝統的な人形劇は、彼らにしてみれば新しいテーマの宝庫なんだと思います。太陽劇団の『堤防の上の鼓手』とか。やりたくてしょうがないけど、成功した例は少ないですね。

──彼らは日本の人形劇のどういったところに魅力を感じているのだと思いますか?
 多分、英語で言う「keen」、切れの良さだと思います。日本人がつくる舞台は非常に清潔で雑然としていないというか。切れが良くて潔いというか。英語ではkeen(鋭さ)という言葉でしか表現できないのですが、日本語で言う「潔さ」は彼らには絶対に表せない。それに対する憧れが一番強いと思います。
 
──沢さん自身は日本の人形劇の状況をどう思われますか。忌憚のないところで。
 日本ではマンガやアニメという文化が育ちましたが、そういう他のジャンルに置き換えることのできないその国ならではのカルチャーがあります。例えば、チェコにはたくさん小劇場があって、若い人は、夜は劇場に行って人形劇や芝居を見て、ビールを飲んで帰る。スペインではみんなダンスをしている。小学校には舞台という教科があって、地方の小劇場のディレクターもやっているような舞台専門の教員が舞踊や演劇を教えています。残念ながら、日本ではそういうカルチャーを育てられなかった。
 夢のような話ですが、日本には、世界中の新しい人形劇のメソッドが勉強できる教育機関が必要だと思います。別に建物がほしいわけではなく、夏期集中講座でもいいから、アーティストを育てて、お金のもうかる芝居をつくって、役者やデザイナーで食べていける人を育てる。人を育ててもそれで食べていけるマーケットがなければ意味がありませんが、それにはとても長い時間がかかるので、今からできることを始めなければと思っています。

──これからつくりたいと思っている人形劇はありますか。
 『かぐや姫』で少しやってみたのですが、美術を主体にしたフィギュア・シアターをつくりたいと思っています。クロフタのメソッドは強烈で、東欧や中央ヨーロッパでは、すべてがドラマトゥルグの強力な支配下におかれていて、役者と人形の間であまりに人間の方が優位に立ってこの30年間発達してきたところがあります。人形をそんなにいじめないで、もう少し解放してあげてもいいんじゃないかと思っています。
 アカデミーでもクロフタ・メソッドに対する反動が表れていて、人形の製作や操作についてもっと真面目に取り組もうという流れがでてきています。いつの時代にもそういう変遷というのはあって、クロフタの若い頃はマリオネットの操作に命を掛けているような人たちが主流で、「お前たちは人形劇の幻想性を壊した悪人だ」と非難されました。今は、一度クロフタ・メソッドを経験した上で、次の世代が人形愛にもどっている感じです。
 私がアカデミーで指導している学生たちの作品にもそれが表れています。たとえば、牛を手に入れた男の子が次々にいろんなものを手に入れるという『わらしべ長者』のような作品では、牛がブリキでできていて、磁石を付けた人やものをどんどんくっつけていく。背景に壁がでてくると、その壁は人形遣い(役者)が自分の身体を使って表現します。坂がでてくると腕で坂を作ります。役者の訓練を受けているので、知らず知らずにやっちゃうんです。「水を持って来る」と言うと、人形を小脇に抱えて、役者になって水をとりに走り出す。そういうことを自然にやれる新しい世代が生まれています。
 
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