The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Artist Interview
Meet set creator Yuichiro Kanai, 4th-generation president of a Kabuki set production company and set designer for contemporary theater and new Kabuki
歌舞伎大道具会社四代目社長に就任 現代劇と新作歌舞伎を股にかける舞台美術家金井勇一郎
歌舞伎座『NINAGAWA十二夜』
(2005年/歌舞伎座)

原作:W・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
舞台写真撮影:金井勇一郎
NINAGAWA十二夜
NINAGAWA十二夜
NINAGAWA十二夜
NINAGAWA十二夜
『NINAGAWA十二夜』(2009年/ロンドン・バービカン・シアター、歌舞伎座、大阪松竹座)の舞台美術図面
© Kanai Scene Shop
NINAGAWA十二夜
NINAGAWA十二夜
NINAGAWA十二夜
──それにしても「スーパー歌舞伎」以降、金井さんの舞台美術家としての活躍には目覚ましいものがありますね。
 「スーパー歌舞伎」をきっかけにしていろいろな仕事の依頼が来るようになりました。金井大道具としても、道具をつくる仕事の領域が広がり、デザインの面でも伝統的な舞台美術以外の仕事が増えました。やはりどこか金井大道具は歌舞伎の道具屋というイメージがあったので、絵の描き方にしても歌舞伎の背景画しか描けないんじゃないかとかいう印象があったかもしれません。ここ10年ぐらいでようやく現代演劇の仕事も定着しつつあり、この間も劇団四季の『オペラ座の怪人』の大道具製作をやりました。

──そういうなかで、蜷川幸雄さんと一緒に仕事をされた歌舞伎座での新作歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』は話題になりました。
 蜷川さんは、『NINAGAWA 十二夜』の製作記者会見で、歌舞伎座の隅々を知っている金井勇一郎に舞台美術をお願いしたいとおっしゃっていましたが、実は、私はそれまで歌舞伎座で仕事をしたことはありませんでした。それを伝えたら、「えー、お前大丈夫かよ」と心配されていましたが(笑)。つまり、蜷川さんも私も歌舞伎座初挑戦者同士。私も歌舞伎座を知らないんだから捨て身でやろうと思いました。
 蜷川さんからの舞台美術への注文は、歌舞伎の基本は守ってほしいということ。あと、ミラーを使いたい、この2つです。ただし「歌舞伎を基本に」とはいっても、“歌舞伎の定式を使う”ということではなくて、“基本”の意味は、“歌舞伎として違和感がない”という意味だろうととらえました。
 歌舞伎に限らず、演劇には、目の前にあるはずの壁が見えなかったり、あるはずのない壁が見えたり、平面で描いてあっても遠くにあるものと近くにあるものがあったり、そういう決まり事がたくさんある。逆にそれしかルールはないから、それを踏まえて台本を読み込み、全14場一つ一つに模型をつくりました。歌舞伎座を知らなかったのが逆によかったのかもしれませんが、歌舞伎座で普段道具帳だけで道具をつくっていた人たちに、初めて模型とCADで描いた製作図で装置製作をやってもらいました。

──CADで描いた図面は、具体的なスケールが入っていてわかりやすい反面、ディテールを全て描かなければなりませんから、それはそれで大変でしょう。道具帳の文化が継承されている歌舞伎の世界では、道具帳は、製作する側の「表現」というのを許容する部分があって、例えば役者の体格にサイズを合わせるとか、好き嫌いを知っているとか、そういう微妙なカンのようなものを反映させながらつくってきた。けれど、CADは製作する側に「この通りつくれ」と指示するものなので、ミリタリーバランスとしては難しい。大道具方も悩みながらつくっていたのではないでしょうか。
 そういうことはたくさんありました。「なんだこりゃ」とかいう声が後ろから聞こえてきたり(笑)。
 しかし、絵の具にしても普通の歌舞伎で用いる泥絵の具しか使っていませんし、道具も基本的な歌舞伎の大道具方がつくれるようなものです。とにかく、説明しながらやりました。
 とはいえ、歌舞伎美術専門のうちの父にとってはアールヌーボーの欄間なんて考えられなかったのではないでしょうか。ミラーだって歌舞伎座の古株でも素材の扱い方を知らないし。私の担当ではありませんが、原田保さんがデザインした照明でも、歌舞伎座に初めてムービングライトを持ち込みました。しかも、いきなり45台ですから、驚きました。でも、それ以来、便利だからといって歌舞伎座でムービングライトを使うようになったんです。いまや玉三郎さんなども普段の舞台で使っていらっしゃいます。

──ある意味、歌舞伎座を開眼させたかもしれませんね。良い方向に変わっていくのは、いいことですし。
 つまり、歌舞伎の大道具には道具帳でもCADでも対応できるし、製作する側もそれだけのスキルをもっているということだと思うんです。

──勇一郎さんは、勘三郎さんと現代演劇の演出家の串田和美さんが組んだ「平成中村座」のプロジェクトにも参加されています。仮設劇場をつくって新演出の歌舞伎公演をするというもので、ニューヨーク公演をはじめ海外公演をするほど、定着してきました。既成の劇場のなかでやっているのが当たり前になっている今の時代からすると、伝統演劇を仮設劇場でやるのはすごくコンテンポラリーで格好いいですよね。
 平成中村座を始めた当時(2000年)、勘三郎さんは現代演劇のホールを使った「コクーン歌舞伎」をすでに行っていました。歌舞伎座を飛び出したとはいえ、それはそれで既存の劇場の制約を感じていた。そういう制約のないところでやりたい、江戸時代の歌舞伎小屋の雰囲気を再現したい、テントでもいいから自分の劇場をもってやりたいと。最初は、サーカスのテントのようなものになると想像していたようですが、実際に仮設小屋が出来上がる直前に見に来て、「こんなにすごいとは思わなかった」とビックリしていました。

──あのかまぼこ型の仮設テントは実によく出来ていましたね。あの小屋を建てるのにどういう作業がありましたか。
 あの小屋は、江戸時代に実在した中村座の忠実な復元ではなくて、中村座の錦絵からイメージして、私なりの解釈で外装から内装までつくったいわゆる看板建築です。本体はテントで、入り口のある表の部分だけデコレーションをして、内装も一つ一つ大道具として飾り付けたもので、平成中村座が丸ごと全部大道具だということもできます。
 「桟敷席」や「羅漢席」など、昔の芝居小屋にあった構造をつくったところもあります。「羅漢席」は、舞台上の幕内に設けられた客席で、幕内にあるので、芝居が終って定式幕が閉まった後も舞台の様子を見ることができる特別席です。それから客席をわざと狭くして、“ぎゅうぎゅう詰め”の状態を演出しました。また、オペラのロイヤルボックスのような「お大尽席」を舞台正面につくって、役者が劇中で絡んだりしています。

──それで十分、芝居小屋のつくりと雰囲気を醸し出していました。
 つまり、お客様がいて、役者がいて、建物があって、それら3つが一緒になって初めて空間や雰囲気が生まれる。まるで移動遊園地みたいに、それさえあればどこでも歌舞伎の雰囲気ができる、平成中村座はそのための仕掛けなんだと思います。

──特別な舞台機構はありますか。
 歌舞伎でよく使う回り舞台などはありませんが、もちろん「奈落」「花道」「すっぽん(花道上に舞台下から役者が登場する際の装置)」はあります。さらに花道を出てから舞台に戻るための花道下通路があります。実は、舞台面は地上から2m30cmぐらいの高さにあり、客席部分を底上げして花道下などの通路スペースを確保しています。劇場に入ってまず階段を昇るのはそのためです。
 それから舞台袖のスペースはまったくありません。ですから、使わない道具は全部小屋の外に出しっ放しで、休憩時間になどに一気に道具を入れ替えています。ちょっと横から見ると裏や道具がまる見えなのですが、それはそれでいいんじゃないかと。ニューヨークで建てた小屋もまったく同じ仕組みです。

──2004年のニューヨーク公演はいまだ記憶に新しいところです。すべての道具を日本から持ち込んだのですか。
 仮設小屋の全部材を一式日本から1カ月ぐらいかけて船便で送りました。コンテナ30本ぐらいありましたが、そのほかにコンテナに入りきれない形のものもありました。仮設小屋については、ニューヨーク・タイムズの演劇欄だけでなく、リビング欄でも内装のことが記事になりました。ニューヨークの人たちにけっこう興味をもってもらったみたいです。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 | 4 |
NEXT
TOP