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前川知大
前川知大(まえかわ・ともひろ)
1974年生まれ、新潟県柏崎市出身。大学卒業後、2003年に劇団「イキウメ」を旗揚げ。全作品の作・演出を手がける。劇団名は、「生きながらにして彼岸を覗く」という作劇コンセプトに由来する。SF、ホラー、オカルトといったアイテムに彩られた作風で、身近な社会に出現したセンス・オブ・ワンダーな世界を描き、注目を集めている。主な作品として『散歩する侵略者』『関数ドミノ』『抜け穴の会議室』『表と裏と、その向こう』など。07年12月には小説『散歩する侵略者』を発表。

イキウメ
http://www.ikiume.jp/
イキウメ『図書館的人生Vol.2 盾と矛』
(2008年10月〜11月/三鷹市芸術文化センター)
撮影:田中亜紀
図書館的人生Vol.2
図書館的人生Vol.2
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an overview
Play of the Month
Artist Interview
2008.12.24
play
Weaving a thread of the supernatural into the daily lives of the young generation The world of playwright Tomohiro Maekawa and his theater company Ikiume  
若者の日常生活を怪奇現象と絡ませる 劇団イキウメ・前川知大の劇世界  
SF、ホラー、オカルトといったアイテムに彩られた作風で、身近な社会に出現したセンス・オブ・ワンダーな世界を描き、注目を集めている劇団「イキウメ」の前川知大。人間に乗り移った宇宙人、天国でもない地獄でもない場所、過去の事実を書き換えていくタイムマシンなどの怪奇な存在が、独特の雰囲気と人間観をもって前川ワールドを展開する。現代の小劇場シーンにおいてプロデュース公演など、劇作家、演出家として引っ張りだこの前川に劇作のエッセンスを聞いた。
(聞き手:岡野宏文)



──前川さんは新潟県柏崎市の出身で、高校生の時にドロップアウトして、料理人になりたくて上京したという変わった経歴をお持ちです。劇作を始める前の経歴についてお聞かせください。
 僕の父親は庭師で、絵を描いたり、音楽をやったり、バイクに乗ったりするような人で。僕はそういう父親の影響を大きく受けています。高校生の頃から好きな料理でアルバイトをしていて、1年生の半ばからは学校にも行かないでしょっちゅうバイクでうろうろしていました。結局、高校2年の1学期を終えたところで、学校とは肌が合わなくて中退し、本格的にアルバイトで資金を稼いでは旅に出るという生活を始めました。

──どのあたりまで旅をしたのですか。日本の果てまで回ったとか(笑)?
 果てまで……いや意外と中途半端で、北海道には行けてないですねえ。九州にも行ってない。なぜか本州をうろうろしていました(笑)。その代わり、本州は、山口県を除いて全ての県に行きました。四国は大学の時お遍路で回りました。

──料理人を目指して上京した前川さんが、なぜ劇作を始めるようになったのですか。
 半年ぐらい飲食業でアルバイトして、料理人目指して調理師免許を取りました。その頃、インテリの兄に触発されて、それまで本というものをほとんど読んだことがなかったのに気付き、映画と漫画ばっかりじゃダメだ、本を読まなきゃと。でも、何を読めばいいかわからない。日本文学より海外文学の方が偉いだろうぐらいの認識しかなくて(笑)、それで古本屋に行ってそこにある岩波文庫をゴッソリ買ってきて、片っ端から読みました。
 友達もいなかったし、バイトしながら本を読むという生活を続けていたら、兄の友人が勉強がしたいのならと、大検の存在を教えてくれたんです。それで大検専門の予備校に通い、大学に進学しました。高校を中退した時に親からは勘当同然だったのですが、予備校に通うと言ったら喜んで授業料を出してくれましたね(笑)。

──旅をし、料理の修業をし、また文学に親しむという生活の中でどんなことを考えていたのですか。
 仏教関係の本をよく読んでいたこともあり、禅の考え方に惹かれていました。バイクで旅をしてた時も、よく名もないお寺に立ち寄ったりしていました。野宿もできるし、たまに住職さんと話す機会があったりすると、うーん、結構いいこと言うなって思ったり。仏教建築や仏教美術も好きで、仏像やお寺は真言密教のほうが格好いいとか(笑)。みうらじゅんさんといとうせいこうさんが、各地の仏像を自分の感性で面白く見て歩く「見仏記」を雑誌で連載されていましたが、僕もそういう感覚でした。別に信心しているわけではなく、仮面ライダーやウルトラマンに登場する敵キャラに憧れるみたいに「あそこの千手観音はマジ格好いい」なんて思っていました。だから、今でも僕の脚本にはそういう要素が出てきますね。
 それと、アメリカのビートジェネレーションの考え方や、それからのカウンターカルチャーの流れも肌に合いました。禅の影響を受けているような作品世界が好きでした。

──東洋大学哲学科に進学されてから、演劇を始めるまでのプロセスをうかがえますか。
 最初は映画を撮りたいと思って、映画研究会に入部しました。ちょうど映画がフィルムからビデオに切り替わる時期で、僕は、ビデオは安いし融通も利くのでビデオで撮影したいと思ったのですが、その映研ではフィルムに固執していた。じゃあいいや、自分でやろうと思って、大学4年間は、バイトして資金を稼ぎ、友達を集めて映画を撮っていました。でも、役者の弁当代から交通費まで監督が制作費を準備するのが自主制作映画の常識ですから、とても続かなかった。
 大学を卒業して、ブラブラしていた時に、僕の映画に出てくれていた俳優のいた「東京23区外劇団」が公演をやるというので見に行ったんです。芝居にはあまり興味がなかったのですが、いったいどうやってこういう劇団の公演が成り立っているのか不思議だったので、聞いてみたら、そしたら、みんなでお金を出し合って劇場やスタッフの費用を支払い、役者は自分のノルマ分のチケットを売り、結局一人当たり数万円負担すれば公演できるというんです。驚きのシステムでしょ。役者にギャラを出すんじゃなくて、払わせるなんて、スゴイなって(笑)。それでできるんだったら、僕に脚本を書かせてくれって頼みました。これが芝居を始めたきっかけです。
 1本目の脚本は上演されなくて、一度俳優を経験した方がいいと言われた。俳優がいて、演出家がいて、脚本があって、スタッフワークがあって、劇場に入ってという芝居の流れみたいなものがつかめるからって。やってみましたが、俳優は僕には向いてないというか、やらされている感じが納得できなくてダメでしたね。それから脚本・演出をやるようになり、2003年にその劇団の何人かのメンバーと新しく「イキウメ」をつくりました。
 
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