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Artist Interview
The world of Hidetaro Honjoh – pursuing shamisen music as a traditional Japanese folk art, and even venturing into British contemporary theater
日本の伝統・民族・芸術としての三味線音楽を追求 イギリス現代演劇にも挑む本條秀太郎の世界
世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作『春琴』
(2008年2月〜3月/世田谷パブリックシアター)
[演出]サイモン・マクバーニー
[出演]深津絵里、チョウソンハ、本條秀太郎(三味線)ほか
春琴
春琴
撮影:青木司
*5 谷崎潤一郎(1886〜1965)
日本を代表する小説家。その作風は官能美と女性崇拝を基調とした作品で「悪魔主義」と呼ばれる。彼の作品は、耽美主義、エロティシズム、幻想趣味、ロマン趣味、マゾヒズムなどと形容される。東京出身だが、関西に移住後、日本の伝統、古典的日本の美に傾倒し多くの作品を残した。美しい四姉妹の日常を描いた『細雪』をはじめ、『痴人の愛』『蓼喰ふ虫』など。『源氏物語』の口語訳にも取り組んだ。

*6 『春琴抄』
大坂の大店の次女で美貌の春琴の生涯を、彼女に献身的に使えた佐助の目を通して描く。谷崎の耽美主義が表れた代表作。
──本條さんが歌う小笠原の民謡を聞いた時は、たいへん驚きました。太平洋に浮かぶ小笠原諸島の音楽を聞くのは初めてでしたし、ミクロネシアの民謡のようでしたから。日本は多彩だ、と再認識しました。フィールドワークの成果ですか。
 小笠原には行っていませんが、小笠原の人の唄は聞きました。民謡を採集に行くとなると、普通は現地の人を紹介してもらって聴きに行くのでしょうけど、私はそれが苦手。私の採集方法は、その人が唄っているところを遠巻きで見る、聴く、みたいな感じです。その時にワーッと、エキスを吸い取るっていうのかな。だから小笠原の民謡を唄っても、多分、普通の民謡歌手が唄うものとは違うようですね。

──吸い取ったものを再現する時に、本條さんのフィルターを通した新しい形の民謡になって出てくるということですか。
 そうですね。小笠原の唄を覚えて歌っても、私は小笠原の人間ではないですから小笠原の人のようには歌えない。その代わり、小笠原の人が歌っているイメージを私の唄を通して伝えることはできます。コピーすることが仕事じゃないですから、耳から入ってスーッと濾過して自分の唄になっていく。採集すると同時に編曲、作曲してしまうところがあります。民謡は同じ唄でも歌う人によって微妙に違いますし、歌う人のその時の健康状態でテンポが速くなったり遅くなったり、キーが高かったり低かったり、曲のイメージがガラッと変わります。そういう変化を、透視する目というのか、聞き分ける耳が必要ですね。

──リソースとして聴いているということですか。
 自分が歌う時には、曲の並び方によってテンポも変える。例えば『五木の子守唄』でも、今日の演奏会のこの曲の並び順だったら、あの人が歌った、あの節の『五木の子守歌』がいいな、と考える。1つの唄でも、1つの節だけ覚えておくわけじゃなくて、いくつもの節、いくつもの歌い方を覚えているから、すごく自由にやれるんです。

──本條さんは、1970年代から国際交流基金の派遣などで海外に日本の三味線音楽を紹介されてきました。
 若い時に、米国、ブラジル、中東などいろいろな国に行かせていただき、いろんな民族楽器に触れられたことは大きな財産になっています。各国で民族楽器の演奏者と共演できたことで、日本の民謡を見直そうと考えるきっかけになりました。
 古典の世界は、芸能として発展してきたのだと思いますが、それに対して民族音楽は自然に発生し、自然への感謝が音楽の中にある。古典はスパンコールの人工的なものであり、民族音楽とは輝き方が違う。もっともっと日本の民謡……民族音楽を大事にしなければいけないと考えています。
 もうひとつ海外に行って気が付いたのは、日本は小さな国だけど、地方ごとに土地柄、お国ぶりがみんな違い、リズム感や音程までも違いがあるということ。手拍子の仕方ひとつにしても土地によって全然違います。そういうお国ぶりの違いを磨き上げていくと、とてもいい民俗芸能団、歌舞団ができるはずなのに、どうしてそういう取り組みをしないんでしょうね。

──1月末から約3週間、本條さんが作曲と演奏を務め、出演者として三味線の生演奏をしている『春琴』(地歌の師匠と弟子が主人公)がロンドンで公演されます。この作品は、日本の文豪谷崎潤一郎(*5)の『春琴抄』(*6)と『陰翳礼讃』を原作にしたもので、世田谷パブリックシアターとイギリスのテアトロ・コンプリシテがコ・プロデュースし、昨年、日本でワールド・プレミアされました。演出はコンプリシテのサイモン・マクバーニーでキャストは日本人です。そもそも、どういう経緯で本條さんが参加することになったのですか。
 「日本で一番美しい音の三味線演奏家」を探して欲しいと、サイモンから相談された方が、1993年に私が作曲・音楽を担当した『ハムレット』を見て推薦してくれたそうです。『ハムレット』はパナソニックグローブ座で上演したもので、演出のスウェーデンのペーター・ストルマーレさんが、日本で上演するのだから音楽は日本の楽器でやりたいと考え、三味線を使うことになりました。
 サイモンに会った時に『春琴』をやりたいと言われ、実はちょっと困りました。『春琴抄』で描かれているのは地歌の世界であり、私の弾いている三味線とは音色が違います。伝統音楽のわかる人にしてみれば、「なんでこの三味線なの?」と言われるけど、それでも私でいいのですか?と尋ねました。彼は私の三味線の音を聞いて、「あえてこれでいく、これでいい」ということになり、それだったらと引き受けることにしました。そしてワークショップに参加することになりました。

──『春琴』でどのような音楽をつくろうと考えましたか。
 この芝居は準備に10年かかっています。原作は『陰翳礼讃』と『春琴抄』ですが、最初の頃は『春琴』の芝居をするというよりは、『陰翳礼讃』の方に重点があった。日本の生活の中にある光と陰の美しさ、陰影を生かした生活の知恵を書いたのが『陰翳礼讃』なので、それだったら自分の音楽で表現できるのではと思いました。
 音楽についても10年前からつくりはじめました。サイモンは、原作のある部分について、グループに分けて台詞や動きを考えるワークショップをして、同じ部分でいくつものシーンをつくっていきました。そのワークショップを見た時に、これは作曲と同じだ、これならできそうだと思いました。役者たちが芝居をつくり、それに合わせて即興で、パッと音を付ける。グループ毎に表現が違うから、音も全部違ってくる。役者さんは音楽家と違って、多面的に深いところで考えるので、それに刺激されて音を付けるのが楽しくて、こうやって弾こうか、ああやって弾こうかと、いろんな発想が沸いてくるんです。この役者さんたちと一緒にする作業が面白かったですね。
 その頃、サイモンに「芝居はできないのか?」と言われて、芝居は絶対できませんからね、と言いましたが、結果的には舞台に出ずっぱりで演奏することになりました。演技こそしなかったけど、私にとっては役者をやっているのと同じような状態になってしまった。思いつきで、三味線の説明をしたのがいけなかった(笑)。三味線は胴と棹、棹もいくつかに分解できるのですが、説明しながら、三味線をバラして、繋いで見せた。その時、サイモンにはひらめくものがあったらしく、開幕時に私が三味線箱を持って現れ、三味線を組み立てるというオープニングと、最後に主人公の佐助が亡くなり、三味線を舞台上に置いて去っていくという終幕ができた。今思うと三味線は傷むし、余計な説明をやらなきゃよかったかも(笑)。多少反省しています。
 舞台で組み立てて弾くというのは、実はとても大変なんです。三味線は湿度の変化に敏感で、常に調弦をしていなければいけない微妙な楽器ですから。舞台の本番が始まる前に三味線を繋いで、糸をちゃんと付け替えておいて、糸がなるべく傷まないようにして。それからまたバラしてケースに入れて舞台に出る。あとはもう、糸をだましだまし弾かなければいけません。
 
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