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Artist Interview
The world of Hidetaro Honjoh – pursuing shamisen music as a traditional Japanese folk art, and even venturing into British contemporary theater
日本の伝統・民族・芸術としての三味線音楽を追求 イギリス現代演劇にも挑む本條秀太郎の世界
世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作『春琴』
春琴
春琴
撮影:青木司
──端唄など本條さんの音楽を聞いていると、谷崎の描く『陰翳礼讃』のような世界はお好きなのではないかと思います。
 好きな世界というか、共鳴するところがたくさんありますね。『春琴』では、芝居の動き、日本人のもつ内面的な美しさへの思いだけで作曲するので、できるだけシンプルな音にしました。洋楽の人だと、コードを付けて何かをつくろうとするのだと思いますが、先ほども言いましたように三味線は単音でイメージがつくれる。端唄の会でもそうですが、聴いている人がスーッと入ってきてくれたら、後はテクニックを聴かせなくても、糸から紡ぎ出されるひとつひとつの音を出してあげることによって、聴いている人が自分で音楽をつくっていけるような音楽にしたいと思っています。だから、あまり賑やかに弾くことはなくて、ほんとうに淡々と弾く。三味線はそれでイメージをつくることができる楽器なんです。この芝居で三味線の音の美しさを感じていただけたらうれしいです。

──サイモンには三味線を理解してもらうところから始まったと思いますが、音楽に対する注文はありましたか。
 「もっと強い音が欲しい」みたいなことは言うけれど、基本的には私がやっていることと彼が思っていることは合致していたようで、注文されるということはありませんでした。彼が納得いかない風情で考えていると、私は何となく横にいて、多分こんな音が欲しいんだろうと違う音を出す。彼の顔が「納得」に変わるみたいな。逆に音を聴いて芝居を動かしていくようなこともありました。
 それでやっと、古典端唄の『淡雪』、私のオリジナル曲、閑吟集より『恋の袂(たもと)』、源氏物語より『夕顔』と3つの作品が生まれました。主人公が死ぬ、あの唄が『春琴』のひとつのテーマになっているように思います。あの唄を日本人が聴いた時に、地歌という意識で聴いていただいてもいいし、普通の三味線の、普通の音楽として聴いていただいてもかまいません。

──本條さんはミュージシャンの細野晴臣さんとのコラボレーションや、シンセサイザーなどの電子楽器や西洋楽器とも共演しています。相手は三味線のような「曖昧さ」のない音の世界ですが、そういう場合のコラボレーションではどう対応されるのですか。
 私の中では、実はシンセサイザーは洋楽器だとは思っていなくて、歌舞伎の下座音楽のように思っています。私が例えば山台で弾いていたとすると、下手側から聞こえてくる音楽がシンセサイザー。そういう信頼関係の意識なので、逆に一緒にやることに抵抗はなくて、割と普通にこんな音がいい、あんな音がいいと言ってたくさん音を出していただき、そこから自分の弾くべき音を探したりします。
 私は、「ATAVUS」というグループをつくった時もそうでしたが、音楽は基本的に「音遊び」だと思っています。お互いがちゃんとした演奏家だったら、どんなに違う楽器でも一緒にやれる。素晴らしい力量の演奏家が舞台にドーンと一つになれば、絶対すてきな音楽をちゃんとやるはずなんです。ただ、舞台は大好きな人たちと共有したい。コイツ嫌いなんだけど、でもこういう音を出すからすごい、と思ったら大好きになれるみたいなところがありますから。コラボレーションする時は、相手に任せちゃうみたいなところもあります。相手が面白い音を出すのを聴くのが楽しいし、そこからまた私の音が引き出されるみたいなこともあるので。サイモンとの作業もお互いに引き出し合う面白さが魅力です。

──サイモンとの出会いで、一番の発見はなんでしたか?
 発見というか、彼の見方、彼のアンテナの張り方がすごく刺激になりました。例えば竹の棒1本で三味線を表すとか。ああいうのはさきほど言いましたように、何となく三味線の表現に近いという感じがします。すごくシンプルなんだけど、あの棒1本で、ずーっと世界が広がっていく……。深いところにリズムがあり、その中にシンプルな現代アートのように語りかけてくれるやさしさを感じさせてもらいました。サイモンとの出会いに感謝です。

──『春琴』の主人公は三味線のプロですから、専門家でない俳優が三味線を弾くと作り物に見えてしまう。イメージが貧弱になってしまいますね。
 持っているのは竹の棒だけど、弾いているんだと、観客がイメージを描くためのきっかけが、あそこにはありました。舞台って多分、観客が想像力を広げるための余地を残しておかなければいけないんじゃないでしょうか。演じる側が100パーセント出し切ってはダメで、観客と一緒になってつくる。聴いてくれる人、見てくれる人と完成させるという、生でやる楽しさがそこにあることを『春琴』を通して再認識しました。サイモンと出会ったことが、私のこれからの仕事の節目になる予感がします。

──ロンドンの人々には『春琴』のどんなところに注目してほしいですか。
 三味線の、和音でなく単音でシンプルな音。その音の質感が伝わればいいと思っています。上演会場が変わりますから、音楽も手直しをします。そのために、稽古の日程も入れて1カ月以上、ロンドンに滞在します。

──「さわり」といわれる複雑な倍音がつくる余韻が三味線の特長ですが、西洋のクラシックに親しんだ人々には雑音だと思われる。日本の伝統楽器の中で、箏や尺八、和太鼓に比べ、海外進出が遅れているのはそのためだと言われていますが。
 三味線の「さわり」のような音は、どこの国の民族楽器にもあるものです。それは人間がつくった楽器だし、自然の素材だけでつくった楽器だから楽器そのものが1つの命をもっている。クラシック音楽で使う楽器は、混ざり気のない音をつくって合奏するためにつくられた楽器であり、音の表現法が違います。微分音のような音も三味線は使いますが、ああいう音も人間の生理的なところでフィットする音。三味線はそういう音をもっている楽器だということをわかっていただけたらいいかなと思います。
 それと、今度は唄も歌うので、日本の声の魅力を聞いてほしいですね。私は、声が一番素晴らしい楽器だと思っていて、端唄のようにとても短い唄、ほんとにちょっとした、二節ぐらいの歌詞を聴いても感動で涙を流すことがあります。短い曲というのは、民謡でもそうですが、自分の思いを素直に歌っているから感動できる。そうした感動を伝える言葉、意味も伝えられる楽器は声しかないわけですから、ぜひ、日本の声も味わってほしいですね。
 
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