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Artist Interview
The unending challenge of butoh artist Ushio Amagatsu, a leader in the international dance scene for over 30 years
30年以上にわたり世界のダンスシーンを牽引 舞踏家・天児牛大のあくなき挑戦
『卵を立てることから─卵熱』
[初演]1986年/パリ市立劇場
卵熱
©Masafumi SAKAMOTO
卵熱
卵熱
卵熱
©Minako ISHIDA
『遥か彼方からの─ひびき』
[初演]1998年12月/パリ市立劇場
ひびき
ひびき
ひびき
©Masafumi SAKAMOTO
──天児さんのそうした考えや山海塾の活動によって、世界にButohの名が広まっていったにも関わらず、日本ではいっとき「山海塾は舞踏ではない」と言われていた時期もあったとか。
 ええ、80年代中頃に、かなり評論家に言われました。けれど、私は一度たりとも舞踏の看板を下ろさなかった。なぜなら創作の最初のインプレッションが、先達からの影響で生まれているわけですから。私はその一点で、自分のやっていることを舞踏と呼んでいいと考えていた。とはいえ、私は別に土方さんや大野さんの様式を、ただそのままの形で踏襲しようと思っていたわけではありません。
 特に80年にフランスに渡って丸1年、日本からの情報が物理的に途絶えたときは、その時間が「自分にとっての舞踏とは何か?」という問いを検証するいい機会になりました。ヨーロッパでの取材では、舞踏総体のことではなく、「あなたにとっての舞踏とは何か?」としばしば質問される。そうなると個人として咀嚼しきれていないことはこちらも曖昧にしか語れないし、先方にも納得してもらえないのです。ですから私は、舞踏の先駆者たちが自分たちなりの全く新しい器=舞踏を一からつくり上げていったのと同じように、既存の情報から安易に何かを引用しない方法論……これは創作本来の方法論とも言えると思うのですが、そのような手法を取って「自分なりの舞踏の在り方」を丁寧に考えていきました。

──その「自分なりの舞踏の在り方」とは、どのようなものなのでしょうか。
 これは「舞踏の在り方」というより「創作の在り方」を答えることに近くなるかもしれませんが、日本を離れたことで私は、文化における「差違と普遍性」の大切さを強く認識するようになりました。
 言語、食文化、生活習慣──ツアー先の街々はこれらのすべてが異なっていて、私はその異なりのシャワーを毎日のように浴び続けた。そして「差違があるからこそ文化は形成されるのだ」というひとつの確信に至った。と同時にもう一方で、これとは全く正反対の認識、つまり人には人種も国籍も越えたなんらかの「普遍性がある」という確信も生まれてきました。
 この普遍性は、「感情の原型」あるいは「プリミティブな衝動」と言い換えてもいいもの。壺の文様であれ壁画であれ、岡本太郎さんも取りあげたある種のアーキオロジック(考古学的)な文化には、欧州・南米・アジアと土地は違えども、何らかの共通項がみられる。また各地で語り継がれている黄泉の国からの再生神話、古代ギリシャの『オルフェとエウリディチェ』や、日本の『イザナギとイザナミ』など、これらの話もディテールこそ異なるものの、大枠はとても似通っている。「人は自然と向き合ったとき、どうやら似た創作衝動を抱くらしい」──そんな思いがぼんやりと自分のなかで形づくられていきました。
 今振り返って考えてみると、このような「普遍性」を身を以て体感できたことが、世界に向けて作品を提示する私の、ある種の後ろ盾というか、勇気づけになっていたように思います。

──そうした「普遍性」に勇気づけられながら、パリ市立劇場との共同製作による、新作を発表され続けます。天から地へと一筋の水と砂が流れ続ける『卵を立てることから―卵熱』(1986)や、全面を砂で覆った床面に13の水盤を配した『遥か彼方からの―ひびき』(1998)など、振り付けのみならず舞台美術の出来映えも素晴らしい作品が生まれました。以前、この劇場に出会ったことにより「床面への意識が変わった」という話をされていたように思うのですが。
 ええ、そうです。ギリシャの野外劇場のように客席から舞台面が見下ろせるパリ市立劇場と出会って、私の床面に対する考え方は大きく変わりました。眼前に広がるパリ市立劇場の床面には、間違いなく、何らかの意志が宿っていた。以後、私は床面をないがしろにすることなく、美術構成に深く関わるマチエールのひとつとして丁寧に扱うようになっていったのです。例えば、床一面に薄く砂が敷かれた『時のなかの時―とき』(2005)などを見るとよくわかることですが、山海塾の作品では多くの場合、時間の経過とともに床面が変化していきます。そして1時間半の踊り手のさまざまな強度をもつ足跡により、床に一枚の絵が完成されてゆく。今では私はこの絵さえも、自分の舞踏作品の一部だと考えています。

──それを踏まえて、改めてお聞きしますが、天児さんにとっての「舞踏」とはどのような表現なのでしょう。
 そう質問された時にはいつも、「私にとっての舞踏とは“重力との対話”です」と答えています。そしてこの対話はどこの国の人であれ、さほどの差違なく理解できるはず。なぜなら人には、前述した感情的な普遍性のほかに「身体的な普遍性」があるからです。
 例えば「個体発生は系統発生をうながす」という言い方がありますが、人の誕生は、国籍や人種を問わず、みな同じ人類の進化の過程を踏まえています。魚類から両生類になり、両生類から哺乳類となり、人として陸地を歩くようになる。我々はみな誕生と共に、この系統発生の路上に等しく身を置くことになるわけです。また、ある生命が母親の羊水のなかで育まれ、この世に誕生し、1年という時間をかけてゆっくりと立ち上がってゆくプロセス。これもコーカサイトであれモンゴロイドであれ、人種を越えて同じ過程を辿っていきます。つまり人は誰であれ一定の身体的な普遍性をたずさえ、誰であれ誕生とともに重力と対峙して立ち上がっていく。そして私には、この重力との対話こそが、舞踏に欠かせない要素に思えるのです。

──人は誰でも重力と対峙して立ち上がっていくかもしれませんが、誰でも舞踏を踊れるわけではありません。ステージ上での環視に堪える「重力と対話する身体」は、どのようにしてつくられていくのでしょう。
 完全にリラックスしている身体というのは寝ている身体ですよね。私はまずこのもっとも平易な状態から始めて、座る、立つ、という重力と対話する身体へとゆっくりいざなうようにしています。その際、留意すべきは「最小限の力で」ということ。人の身体は放っておくと、どうしても知っている動きをしてしまう。下手な意志が働いて身体に無駄なテンションが掛かってしまう。こうしたテンションをひとつずつ排除していくことによって、重力との素直な対話が可能な身体を構築していくわけです。
 例えば人の左右の腕というのは胴体にぶら下がっているわけですから、横になろうとすれば通常はパタンと胴体にくっついてくるはず。けれどそこに必要のない力が介入してくると、腕が先行する動きになってしまったりする。これは重力に対する意識が途切れている状態と言えます。こうなってしまった場合に、余分な力が入っている箇所を丁寧に指摘していくわけです。
 イメージとしては重力との対話がうまくできている身体は「立ち上がったときに、身体の中心軸が地球の中心軸に素直に向かっている状態」にあります。つまり、重力が均等に足裏に伝わり、とても楽な状態にあること。これが理想型です。そしてこの直立の基本姿勢から、なるべく腰を深く落として、踵からゆるやかに歩いていく。どうしても腰の位置が高いと、バレエのソテのように余分な力が入る動きになってしまうので。我々の場合は西洋舞踊とは逆に、腰を持ち上げるのではなく落とすことによって、ひとつの身体の基本型をかたちづくっているのです。
 
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