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Artist Interview
The unending challenge of butoh artist Ushio Amagatsu, a leader in the international dance scene for over 30 years
30年以上にわたり世界のダンスシーンを牽引 舞踏家・天児牛大のあくなき挑戦
『時のなかの時─とき』
[初演]2005年12月/パリ市立劇場
とき
とき
とき
とき
©SANKAI JUKU
──テンションについての考え方が西洋の舞踊とは異なるということですね。
 そうです。ほとんどの西洋の踊りは、テンションによってつくられますよね。片足を上げてホールドしたり、あるフォルムをコントロールしたり。ムーヴメントの土台に緊張感が据えられている。しかし、私は、テンションの逆のリラクゼーションにこそ踊りのベースがあると考える。人は一瞬力を抜くからこそ、右足から左足に重心を移動できるわけで、その重心の移動ができなければ、ひとつたりともステップが踏めない。つまりリラックスしている状態が基本にあって、その後、どこに、どのように、どの程度のテンションを加えていくか。その検証を丁寧にこなしていくことによって、私にとっての舞踏が、徐々につかまえられていくのです。
 自然と動きはスローになってゆきます。一度力を抜いた状態から、どのように重力と関わっていくか。その「意識の糸」を断ち切らないで動こうとすると、自ずと、ジェントルでゆっくりとしたムーヴメントになっていくのです。舞踏の動きはなぜあれほどスローモーションなのだ、と疑問に思われる方もおられるようですが、私にとってあれは必然。重力との丁寧な対話を試みようとすると、自然とあのような所作になっていくのです。

──「意識の糸」を保持した上で動くと、自然にゆっくりした動きになるということですね。
 そのとおりです。そして、山海塾の振り付けでは、すべてがこの「意識の糸」を保てるか否かにかかっていると言えます。これがひとたび失われてしまうと、すべてが単なる運動になってしまう。
 例えば踊り手たちはいったん舞台上に上がると、彼らの外側にあるものは、単なる日常空間ではなく、宇宙や水中や海浜など「何らかの設定を表すための外部環境」になります。つまり光や、音の振動や、空間そのものに、特定の意識をもって触れていくことによって、観客の脳内に、あるバーチャルな時空を映し出してみせるわけです。
 さらに、踊り手たちには「自分の内側とのインテンシブな関わり」を切らさないことも求められます。その刹那に内的に自分が感じていること、それは畏れなのか希望なのか何なのか。その感情の変化を意識を切らさずに丁寧に追っていくことで、自ずとそれに動きが付随してくるわけです。
 要するに山海塾の振り付けでは、常に、意識がフォルムに先行する。外的な設定や、内的な変化に、意識を集中させていくことによって正しいムーヴメントが生まれてくるわけです。だからこそ我々の稽古場には、ただフォルムの美しさを確認するための道具である鏡は一枚も置かれません。

──となると踊り手たちの内的意識を導いてくれる外部環境──美術、音楽、衣装などにも、精緻な完成度が求められるわけですね。
 仰るように、私にとってはムーヴメントと同様に、照明や音楽や美術も大切な要素になります。なぜならこれらはすべて、等しく、舞台上に浮かぶ目に見えない「何か」を表出させるための手立てだから。抽象的な表現になってしまいますが、私は、踊る側と見る側との間には、ひとつのブリッジが浮かぶものと考えています。そしてそのブリッジの時空に「何か」を具現化させるための要因として、美術や音楽や踊り手たちのムーヴメントはあります。ですからムーヴメントが作品の「主」であり、音楽や美術が「従」であるということではなく、いわばすべてはその目に見えないブリッジに仕えるための「従」だといえる。そして毎回のパフォーマンスでは、その「何か」が見えてくることがなにより大切になります。とはいえ、それが上手くいくときといかないときがあるんですけどね。

──その目に見えない「何か」は、視覚化できないものだからこそ、踊り手たちとどのようにコンセンサスをとっているのか気になります。
 そうですね、稽古場で徐々に取れていくという感じでしょうか。まず私の場合は稽古初日に「今回はこうしたものを目指そうと思っています」という短いレクチャーをすることから始めます。そして大まかに自分が考えていることを踊り手たちに把握してもらい、その上で、実際に身体を動かす「試みの一」に入っていく。勝手知ったる山海塾のメンバーたちは、私が「はい、試みの一ね」と言えば、そこから二、三、と自ずと振りが変わっていくことを符丁的に理解してくれています。そしてあるひとつのコンセンサス、私自身の納得のいく在り方に辿り着くまで、何度でも変化を繰り返し、稽古に集中していきます。うまくいけば5分ほどの場面が、1日で完成することもあれば、終日稽古をしても、1分も納得のいく動きが生まれてこないこともあります。それでも山海塾の踊り手たちには、鏡も音楽もない空間で、集中力をきらさずに内面に向かっていける忍耐力が求められます。これは意識の鍛錬とも言える作業です。
 このような丁寧なやりとりにより、徐々にコンセンサスが取られ、動きがフィックスされていきます。最終的にはストップウォッチで計っても、呼吸と集中によって、音楽がないなかでも30秒と誤差のない踊りができあがってきます。これ以上タイムが違ってくると、踊っている当人たちが体感的に違和感をもつようになってくるのです。
 
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