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Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
The theater world of Seigo Hatasawa, with its unique focus on “communities” and “schools”
「地域」と「学校」─ふたつの視点から演劇界を見つめる畑澤聖悟
劇団昴 ザ・サード・ステージ
『猫の恋、昴は天にのぼりつめ』

(2006年7月〜8月/三百人劇場)
仕事に出掛けたまま失踪した父に代わり、旧家を一人守る櫻はもう43歳。同居人は15歳になる老猫・正ちゃんのみ。一人身の櫻を心配する世話焼きな親戚のおかげで、なんとか見合い相手と結納まで漕ぎつくが、見合い相手の赤田まさをの家族は一家揃って訳ありの風情。人々の想いが錯綜するなか、誰よりも櫻を案じる“思わぬ人物”が現れる。
──06年からは他校に転任され、以降青森中央高校演劇部には戯曲提供などの形で関わられているそうですね。畑澤さんの行動とその成果が、高校演劇界に変化をもたらしているようにも思えますが、実感としてはいかがでしょう。
 先生らしく言えば、当初は、偏差値も普通科高校の中で低いほうだった学校の、文化部系の生徒に誇りをもたせたいという思いがありました。実際、全国から選ばれたたった12校しか出場できない全国大会に5回出場し、2回も優勝を果たした。大学入試や就職の面接の時、「私の母校は演劇で日本一になりました」と言えることは良いことだと思います。演劇部だけの幸せではなく、学校全体の幸せにならなくてはいけない。
 ただ他校がどうか、青森地域はどうかと考えると……残念ながらまだ「青森中央はやっているけど…」という例外を見る感じでしかないと思います。しかし、地域で演劇に携わる人間は、青森県に限らず、高校演劇部が地域演劇に人材を輩出するための有効な機関だということを、もっと肝に命じるべきだと僕は思っています。地方によっては、高校演劇にしか望みはないかもしれないんですから。
 高校卒業後、彼らの半分は地元を離れ、東京や他の都市に行ってしまうかもしれないけど、それでも彼らが成人した後まで良き演劇人、良き観客、良き表現者であり続けるためには、高校での演劇体験は非常に大きな機会、チャンスだと思います。別に全員が俳優やスタッフをやらなくても、「良いな、面白いな」という演劇に出合えるだけでいい。いろんなことには後からいくらでも気付ける。その後々の気付きのための、良い演劇的インプットをするために、高校演劇は最適の場だと思っています。僕が直接対象にしているのは青森県の高校生ですが、これはどこの地域でも言えますし、演劇界全体の課題でもある「観客育成」にも繋がることだと思います。

──俳優だけでなく、劇作家・演出家として活動されるきっかけについてお話いただけますか。
 実は、弘前劇場で劇作をする前に、ラジオドラマの仕事を始めているんです。津軽藩を興した津軽為信という、織田信長より30くらい年下で上杉景勝などと同世代の武将がいまして。彼と彼の子が弘前城を築城するまでの漫画が地元紙・陸奥新報に連載されていた。それを青森放送がラジオドラマ化したいという依頼が弘前劇場の主宰者で劇作家・演出家の長谷川孝治さんのところに来たんです。でも彼が多忙だったため、僕のほうにお鉢が回ってきた。僕は、美術の教科書に原稿を書いた程度の経験しかなかったのですが、流されやすい性格なので、その時もつい「できんじゃねぇ?」と思ってしまった(笑)。
 番組タイトルは『卍の城物語』、1回10分の帯番組で月曜から金曜まで週5本。放送は正味8分だから、1本が原稿用紙5枚になります。素人に簡単に書ける量ではなかったのですが、資料を調べたり、実際に城址や史跡の取材に行ったりしているうちにどんどん面白くなってきた。いまや古文書調べは趣味のひとつです。番組も「3カ月も続けば」と始まったのに、もう15年、3000話を越えて今も続いています。ありがたいことに番組には弘前市内の企業がスポンサーに付いてくれていて、自社制作の番組では聴取率もトップ。局からは「永久に続けてください」と言われています(笑)。
 これがきっかけで他のラジオドラマも書くようになり、誰も騒いでくれませんが、実は密かに芸術祭大賞、ギャラクシー大賞、民間放送連盟賞、放送基金賞の四冠をラジオで取っている(笑)。書くことに関しては、ラジオで相当鍛えられました。
 弘前劇場で初めて作・演出を手がけたのは2000年で、先ほど話した高校演劇に書いた本を改作した『召命』がそれです。劇団的には活動方針のひとつとして「劇作家二人体制」という呼び方をしていましたが、例の文化庁の助成金の条件として年間4公演が義務付けられた時に、書ける人間が近くにいたぞ、というので始まりました。

──高校演劇と劇団での戯曲執筆と演出、ラジオドラマの脚本。現在はさらに外部への戯曲提供もされていますが、それぞれの創作について、ご自身の中でどう切り替えているのでしょう?
 思考も方法も、切り替えはまったくありません。演劇部も05年に弘前劇場を退団して旗揚げした渡辺源四郎商店でも、ラジオの現場でも「この人たちと一緒にものをつくりたい」と思う俳優やスタッフがまずいて、劇作家・演出家として彼らをどう幸せにするかを考えるところから僕の創作は始まります。その過程はすべて同じです。

──執筆するための動機として、戯曲の題材より俳優やスタッフの存在の方が大きいということですか?
 はい、自分の中でまず「○○に未亡人役を演じさせたら面白いだろうな」という発想が生まれ、それが興味のある題材と結びついていくという順番です。死刑制度やいじめなど、その時々に興味のある題材はありますが、物語は題材から生まれるのではなく、一緒にやる俳優がどうしたら面白く見えるかを考え・積み重ねていく中で生まれてくる。それは他の劇団に書く時も同じで、劇団昴さんにも「まず役者さんを知る時間をください」とお願いし、1年間かけて昴の全公演を観て書きました。それが『猫の恋、昴は天にのぼりつめ』(06年)です。
 もうひとつ、心がけているのは「青森で書かなくてもできる」と言われないものを書くこと。「死刑」を考えるにしても、青森の住人と東京の住人ではおのずと考えることは違う。東京でできることを、青森でやる必要はありません。東京─青森間は約700キロ。この距離は気候の違いを生み、確実に人や環境に差異を生じさせるもので、作品をつくる上では非常に有効な、逆手に取れる「武器」だと思っています。
 ただ、昴への書き下ろし作品を演出してくださった、青年座の演出家・黒岩亮さんに、こうしたことにあまり固執し過ぎないほうがいい時もあるというアドバイスもいただきました。「俳優のキャラクターを面白がり過ぎると物語の進行で犠牲になるものが出てくる」とか、「描きたい人間関係のためには、青森より東京が舞台の方が有効な時もある」というようなことを、『猫の恋〜』や『親の顔〜』のときに言われ、その辺は以前より柔軟に考えられるようになってきたと思います。
 
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