The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
Installations of the body and light  The art of Hiroaki Umeda
身体と光のインスタレーション 梅田宏明の作法
──先ほど、作品の抽象的なイメージをまずドローイングとして起こすと伺いましたが、ドローイングをする前に前提になる作品全体のコンセプトはありますか。
 ええ、あります。自分が表現したいドローイングの部分を決めるための枠組みというのがあって、それを僕はコンセプトと言っています。枠組みの部分はいい加減というと言い過ぎですが、例えば『Haptic』だと色、『Accumulated Layout』だと視覚、『Adapting for Distortion』では錯覚をコンセプトにしています。日常生活などからいろいろインスピレーションを得てコンセプトを決めますが、それを舞台に載せて自分の表現したいもの(ドローイングで表したもの)にしていくわけです。

──『Adapting for Distortion』では、ラインが何本も動く映像を使っていて、視覚的な効果をすごく意識しているように思えます。
 ダンスが視覚的に鑑賞されるものだと強く実感しました例えば、バレエはどうしてあんな動き方になったのかと想像すると、綺麗なラインをつくるとか、縦や横のラインを綺麗にするとか、形から入った結果なんじゃないかと。だとすると、視覚的に扱われることも多いのではないかと。僕はダンスをビデオで観るのも観られるのも嫌いなぐらい、そういうダンスの扱われ方にストレスを感じるんです。
 それで、どうせ視覚的に扱われるのなら、視覚自体をコントロールすれば逆に何でもダンスになっちゃうかもしれない──そういうひねくれた考え方をするようになった。それで、逆に最初からビジュアル・パフォーマンスと称して、ビジュアルをコンセプトとして表に出すようになりました。
 例えばリアルな僕とビデオで撮影された僕が出ている『Duo』という作品がありますが、それはまさにそのストレスフルなところから出発したものです。物理的な僕の身体がビデオになった時にどう変わっていくのかをすごく見せたかった。ビジュアルにこだわって、ビジュアル・パフォーマンスとして見せることによって、そこから違う何かが出てくるのを見せたかった。
 今の社会はメディアが強く、出ている情報をみんなリアルだと思っていますが、本当にそうなのか? 視覚になっている情報をすごく優先的に扱うけど本当にそうなのか? そうしたことに対する疑問が僕の中には根強くあるんです。

──『Duo』はそういった意味では、成功していると思います。徹底的にビジュアルにこだわりながらも、でもそれがビジュアルだけの作品なのか、あるいはビジュアル+αの仕掛けがあるのかがわからない。それはもう観客それぞれがどう受けとめるかということに委ねられている。深読みする人は、虚像と実像があることで何らかのメタファーを感じる人もいるかもしれないし、あるいは素直にビジュアルの面白さだけ、楽しんで見る人もいるかもしれない。それだけの含みがあるということは、企みが上手くいっているということだと思います。ところで、一口にビジュアルといってもいろいろな表現や傾向があるけれど、ビジュアルを通して梅田さんが狙っている方向というのはありますか?
 ビジュアルについて言うと、「目」という機能にすごく興味があります。目は光の受容機です。例えば目の前の石井さんを見ても、テレビに映っている石井さんを見ても、石井さんだと認識します。それに対する疑問がやっぱりあって、とりあえず目の光の受容器としての機能だけを抽出したいと思っているので、すごく抽象的な映像を使ったり、光量を変えたり、といったビジュアルを選んでいます。それと脳で情報を判断するような光ではなく、身体が反応してしまうようなプリミティブな方向を目指しているので、白黒が多いですね。

──梅田さんのサウンドの使い方は、ノイズ系の持続音が多いですよね。音についてのコンセプトはありますか。
 音についてもフィジカルなものを選んでいて、例えばメロディーは極力排除しています。メロディーは言語に近い感じがするので、そういうものではなく、空気の振動とか、物質的に考えたいと思っています。

──ビジュアルも音も筋電反応みたいにフィジカルなレベルで捉えたいということですか。
 そうです。最近、よく言っているのが観客にはダンスを観るというより、空間を体験してほしいということ。緊張感や音や光で、観客の中に変化が起こってくるところにすごく興味があります。つまり自分がお客さんにとっての刺激物になる。僕が海外に受け入れられた理由の一つに、それがあるんじゃないかと思っています。制作費があまりかからないし、一人で動けるというのも理由ではあるけれど、フィジカルなレベルに訴えかける作品なので、僕の踊りの背景になっている文化を知らなくても鑑賞できるんです。

──作品をつくり続けていく上で、梅田さんの中で、この部分だけは絶対妥協できないということは?
 タイミング、時間感覚です。僕の考えでは、作品にいかに変化を与えるかがすごく重要になるので、そのタイミングははずせない。結局人は変化しか認知できないわけですから。

──長くサッカーをやっていた身体感覚があるから、話をうかがっていると梅田さんのダンスにはサッカーに通じる部分があるのかなと思いました。サッカーはそれこそ臨機応変に、一瞬一瞬のタイミングを上手くつかまなければ試合にならない。梅田さんの作品もまた、上手く踊ろうとか、きれいに踊ろうとかいうよりも、一瞬一瞬、光と音とのタイミングにビビッドに身体を反応させる状態が持続していて、これを人がダンスと呼ぼうが呼ぶまいが、そんなことは問題ではないトータルなパフォーマンスになっている。そんな感じがあります。
 いわゆるダンサーの考え方じゃないし、自分はダンスの人ではないのではないかという感覚があります。確かに、踊っているとサッカーと同じくらい疲れるし。点を決めればいい、というのと、表現したいものを伝えればいい、というところに向かう感じも繋がっているかもしれません。

──『while going to a condition』は何度も世界中で公演しています。そうすると普通はマンネリになりがちだけれども、そうならないのは、大まかな道筋を決めておいて動くにしても、8割ある即興のところは、その都度、新鮮な反応をしながら動くからだと思います。サッカーも、同じルール、同じメンバーで試合をしても、試合ごとに空間もタイミングも全部違いますからね。
 それはすごく思いますね。振りを決めてしまって、それをストップさせてしまうのはすごく嫌なんです。あえて即興にして、その時その時に反応できるようにしたいというのは確かにあります。ただ、あまりスマートじゃない気がして最近は嫌なんですが、どうしてもサッカー根性が抜けない(笑)。
 
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