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Artist Interview
Yukio Ninagawa's new theatrical venture Confronting the realities the common people' history together with the elderly and young people
高齢者と若者と共に民衆史のリアルに立ち向かう蜷川幸雄の新たな船出
『真田風雲録』舞台稽古の様子
真田風雲録
撮影:宮川舞子
ブレヒト劇を日本的に血肉化した『真田風雲録』を再評価

──ネクスト・シアターの1回目の作品に選ばれたのが、福田善之さんの『真田風雲録』です。これは1962年に千田是也さんの演出で初演された現代演劇史に残る画期的な作品として知られています。江戸幕府が豊臣宗家を滅ぼした大坂冬の陣と夏の陣を舞台に、真田幸村と真田十勇士の活躍と挫折を描いた歌入りの娯楽劇ですが、当時の学生運動や安保闘争で揺れた日本の状況が巧みに盛り込まれた政治劇でもあります。あえてこの作品を選ばれた理由は何ですか。
 新劇がブレヒト的なものを日本人の感性、身体で血肉化しようとしたときに、最初の実践者となったのが福田善之さんだった。現場の演劇人が初めてつくり上げた“日本的な異化効果”をもった演劇、それが福田さんの演劇だった。その後に登場する(小劇場演劇の)唐十郎や鈴木忠志によって、福田さんは一挙に飛び越されてしまうけれど、福田善之という人がいなければ、彼らの登場も準備されなかったと思います。それほど福田さんがやっていた仕事というのは大変なものだったし、歴史的な意味がある。
 福田さんは、民話劇をやっていたぶどうの会にも書き下ろしていたし、『長い墓標の列』といったリアリズム演劇も書いているけれど、大衆演劇も含めて演劇の見直しを行う中で、民衆劇の視点を入れながら、ブレヒトの芝居のようにちゃんと異化効果を内在させた戯曲を書こうとした。俳優座の千田是也さんや小沢栄太郎さんが演出したブレヒト劇も上手いけれど、どこかで翻訳劇のにおいがしていた。福田さんはそれを自分でちゃんと咀しゃくして、日本人の身体を使って恥ずかしくない演劇にした。
 福田さんはやがて大衆演劇の沢竜二さんと一緒に仕事をするのですが、それは、日本の近代劇が置き忘れてきた前近代的な演劇も含めて集約しようとしたからだと思います。その評価があまりにもなされていないので、僕がちゃんとやろうと思ったんです。若者たちに『真田風雲録』をテキストとして与えて、演技の問題で言えば、リアリズムの演技と異化効果を含んだ演技の両方なきゃいけないということや、その2つを併せもつと現代的演技のある大半をカバーすることができるということ。その2つを教育しようと思っています。

──この作品は歴史的な出来事と60年安保闘争が重ね合わされていますが、今の若い世代はそのことを両方とも知らないと思います。
 僕としては、政治闘争の問題をあまり強調しないで演出し、若者たちに接しようとしている。政治闘争を表に出すと若者にはわからないことだらけになってくるから。ただ、現実にこの作品の背景には学生たちの異議申し立ても含めた日本の新左翼の運動が中心にあるのは間違いないので、世界的な学生たちの反乱の動きも含めて徐々に喋っています。

──福田さんの作品には『真田風雲録』以外にも50年代、60年代に書かれたすごく良い作品があります。
 『袴垂れはどこだ』とか『長い墓標の列』とか、いい作品だなと思います。福田さん以外にも、木下順二が1951年に書いた『蛙昇天』には衝撃を受けました。終戦にまつわる実際の政治裁判で起こった事件をカエルの世界に置き換えた戯曲で、証人喚問に呼ばれたまじめな青年が自殺しちゃう。その異様な芝居に衝撃を受けた。僕は、三越劇場でやった初演を見ましたが、山本安英が「戦争はいやだ」って客席を走るんです。「こんな芝居みたことない」ってビックリした。僕の芝居で客席をよく使うのは、ひょっとするとこの影響かもしれない(笑)。芝居ってこんなに生々しいものなんだと、初めて生々しい感動を受けた。
 読み直してみないとわからないけれど、三好十郎さんや秋元松代さんの作品など、従来の新劇でありながらその革新性のせいで新劇から正しく評価されていない劇作家の作品はやっていいんじゃないかと思う。若い世代が自分たちの世代の“リアル”というものを追求するのは十分わかるけれど、そうじゃない戯曲の存在というものを、もうちょっと身を以て知ったほうが、いずれ自分たちの世代の演劇をつくるにしても意味がある。

──そういった蜷川さんに影響を与えたような、新劇の先鋭的なテキストをネクスト・シアターのプログラムにしていく。
 ええ。歳をとった人がやっても意味がなくて、若者たちがテキストの読み直しをやったらいいと思うんですよ。演劇としての読み直しも含めて、文化の流れとしての読み直しをちゃんとやったらいいと思うんです。
 だけど、そのことを彼らにわからせるというのは至難の業。もう、外国の戯曲をやるようなものだから、テキストにどうアプローチしていいのかという読む態度もわからなければ、そこに書かれている習慣も知らない。そんなことはすっ飛ばして、お笑いの演劇をつくっているほうがずっとやさしい。彼らには、身体が何かを描写できるということは、マイナスなことはひとつもないんだから、それだけはやれよ、と言いたい。

──今度の『真田風雲録』は、大ホールの舞台上にステージを組んで上演しますが、どうしてこういうやり方にしたのですか。彩の国さいたま芸術劇場には小ホールもありますよね。
 小ホールではちょっと空間が大きい。もうちょっと一体感をもてる、身体だけでものをつくれる、小さな劇場をつくって俳優たちを教育したかった。
 
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