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Artist Interview
Yukio Ninagawa's new theatrical venture Confronting the realities the common people' history together with the elderly and young people
高齢者と若者と共に民衆史のリアルに立ち向かう蜷川幸雄の新たな船出
さいたまゴールド・シアター
「年齢を重ねた人々の個人史をベースにした新しい演劇の形態を模索したい」という蜷川幸雄が、55歳以上のプロの舞台俳優の育成を目指して2006年に旗揚げ。1,200人以上の応募者のうち55歳以上の人全員を蜷川自らが約2週間かけてオーディションし、55歳から80歳まで48名を選考。団員は、週5日、1日約4時間、基礎訓練や蜷川らによる演技指導を受ける。1969年〜74年まで蜷川とコンビを組んで当時のアングラ演劇・政治劇をリードした劇作家・清水邦夫の戯曲(日本の現代演劇史を語る上で欠くことのできない一連の重要な作品)やチェーホフなどの古典をテキストにエチュードを行い、舞台づくりをしているのが特徴。「Pro・cess」と名付けた中間公演を7月(アンソロジー)と12月(清水邦夫『鴉よ、おれたちは弾丸を込める』)に行う。
2007年6月に岩松了の書き下ろし『船上のピクニック』で第1回公演を行う。08年には清水邦夫の旧作2本をPro・cess公演『想い出の日本一萬年』と第2回公演『95kgと97kgのあいだ』で発表。『95kgと97kgのあいだ』は、蜷川が84年に若い俳優とスタッフと立ち上げた私塾GEKI-SYA NINAGAWA STUDIO(現NINAGAWA STUDIO)の第2回公演で書き下ろされた作品。09年にはケラリーノ・サンドロヴィッチの書き下ろしによる『アンドゥ家の一夜』を発表。今後も年1本ペースで新しい劇作家にさいたまゴールドシアターのために書き下ろしを依頼した新作を発表する予定。現在の団員数は42名。
さいたまゴールド・シアター第2回公演
『95kgと97kgのあいだ』

(2008年5月28日〜6月5日/彩の国さいたま芸術劇場 大稽古場)
作:清水邦夫
演出:蜷川幸雄
95kgと97kgのあいだ
撮影:宮川舞子
さいたまゴールド・シアター第3回公演
『アンドゥ家の一夜』

(2009年6月18日〜7月1日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール)
作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出:蜷川幸雄
アンドゥ家の一夜
撮影:宮川舞子
民衆史としてのリアルを求めて船出したゴールド・シアター

──ゴールド・シアターの話をうかがいます。中高年を中心とする、プロフェッショナルを目指す劇団というのは、どういうところから発想が生まれたのですか。
 若い頃から、僕は自分で演出しているときにある種の「怯え」があったんです。それは何かというと、思っていることも口にしないで、普通に生活してきた老人たちが、僕の芝居を観たときに、その人たちの生活史に僕の芝居は耐えられるんだろうか?ということ。老人やもの言わぬ人たちが、僕たちの芝居を観たときに、「学校に行って勉強した連中がつくっているものは薄っぺらい」と思われるんじゃないか。そういう不安がものすごくありました。
 その象徴として時々言っている例え話が、「こまどり姉妹(どん底からはい上がった昭和30年代に一世を風靡した双子の演歌歌手)が舞台を通ったら、僕たちの芝居は凍りつくだろう」ということです。ハムレットが「To be or Not to be」って言ったときに、こまどり姉妹が登場する芝居をつくったらどうなるか、と一瞬本気で考えたぐらい。翻訳劇をやっている真っ最中に、こまどり姉妹がベンベンベンと三味線を弾きながら振り袖姿で横切ったら、僕たちの舞台なんかぶっ飛んじゃうんじゃないか。つまり、こまどり姉妹に象徴されるような「民衆史」を目の前にすると、俺たちがつくろうとしたヨーロッパから学んだ演劇なんか一瞬にして凍りつくだろうと思った。そのコンプレックスがあって、こまどり姉妹じゃないけど、僕にとっては同じ意味をもつ老人と一緒に演劇をつくろうとゴールド・シアターを始めた。
 実際、老人(民衆史)という対極から相対化して見ると、僕が演出してつくっている舞台なんて大したことないなあと。だから彼らとは素人の余興としての演劇をやっているのではなく、リアルの体系が違う老人たち──忘れるとか、身体が動かないとか、台詞が滑らかに言えないとか──と演劇をつくると、僕らがつくってきた演劇的リアルと違うリアルというものが現れてくるんじゃないか。それが自分のやってきた仕事を撃つんじゃないか、と思って真剣にやっている。

──ポーランドの前衛演劇人タデウシュ・カントールが主宰していた、老人ばかりの劇団クリコット2のことは意識していましたか。1982年に日本で『死の教室』を上演しています。蜷川さんはご覧になりましたか。
 観ました。それなりの衝撃を受けましたから、イメージはありました。ヨーロッパにおける前衛というもののあり方は、これをやるのか、青臭くないんだと思った。観念だけで何かを操作していないから、相対的に人間を見ながら、違った角度で、例えば『死の教室』では、老人たちが自分たちの子ども時代の学校の話をやるわけでしょ。その知的な深さというものに衝撃を受けた。カントールとは違う形で何ができるか、です。変形だと寺山修司になるし。

──2006年にゴールド・シアターを立ち上げて3年目ですが、蜷川さんの思っていることはどれくらいできていますか。
 例えば遠山さんというオジサンがいるのですが、その人を見ていると、普通の職業的な俳優ではできない演技力があるわけです。声といい、やっている仕草といい、喋り方や間も、職業的俳優が及びもつかない、それとは全く別の体系の演技というものがある。それに意味があるのはわかった。
 ゴールド・シアターは、人間の老いというものを抱えているわけです。記憶が一定ではない。覚えられない。昨日できたことが今日できるとは限らない。で、昨日できなかったことが今日できることがある。そうすると、老いの人生を全部抱えるという風なつくり方をしなければいけない。何かを切り取るんじゃなくて、全部抱えて、誰かが今日台詞を忘れても大丈夫なようにつくっていかなきゃいけない。そうすると演出家は普通、客席にいるもんだけどそんなこと言っていられない。舞台に出て行って、穴が開いた所を埋めなきゃいけない。つまり、やっているのは、いわゆる芸術的完成ではなくて、「老い」というものを見せるということも含めて、全部演劇なんだということです。
 忘れる、突然思い出す、表現が一定しない…年寄りに起こることは、そのまま舞台で起こることだと考えて、何が起こってもいいようにあらゆる手当をしている。74歳の人生に起こることは何でも受け入れる体制で、芝居をお客さんの前にもっていく。そのことを許容されない限り、その芝居は演劇と呼べないわけです。そうすることによって、芝居の領域というものが、ああ、これも演劇に入れていいんだ、あるいはそれを見ることによって、人生の発見に繋がるという舞台に、この間のお芝居(『アンドゥ家の一夜』作・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)はなったと思う。

──プロの老優より良い部分がけっこうあるんですよね。その人の生き方とか、存在感が舞台に出てきて魅了されてしまう。
 何かあるんですよね。特攻隊から生き残って還ってきた人が芝居の方が緊張するっていうんだから(笑)。人生経験で言えば、僕よりはるかにいろんなことを経験している人の必死さ、違う次元の必死さが楽しいんですね。それと、芝居をやっているとみんなが若返っていく。何しろ、舞台はおもしろいと。何かをつくって人の目にさらされるというのが面白くて、活き活きしてくる、そういうことも含めて、ああ、やっぱり演劇だと考えていいんだなあと思うわけです。

──蜷川さんが彩の国さいたま芸術劇場という公立劇場の芸術監督になったことが、ゴールド・シアターやネクスト・シアターが出来た基盤になっていると思います。民間ではなかなかできない仕事ですよね。
 そうですね。公共の事業なので、集団がどういう風に着地するんだということを、数字も含めて出さなきゃいけないんだろうけど、それを少し猶予をもちながらやりながら考えるということを埼玉は認めてくれたし、公共の劇場だからその猶予がもてる。その成果によって、お客さんがやっていることを支持してくれて、もっとこの人たちを支援してほしいという声が上がるようになったら、必要だったら予算を増やしてくれるかもしれない。
 公共の劇場というのは、初めから幾らの予算で何々が欲しい、給料は幾らで、というやり方じゃないほうがいい。活動の実態を示しながら、その成果に見合った支援のあり方を、県なり劇場が誠実に考えてくれる関係があればいい。我々は、ムダなお金を使わないとか、全能力をそこに傾けながら、観てくれた人に説得力のあることを積み重ねていくから、それを誠実に見て、予算を付けたり、さまざまな支援をしてほしい、というのが僕自身の基本的な考え方です。
 
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