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Artist Interview
Serious postmodern comedy  Keralino Sandorovich
ポストモダンなシリアスコメディ ケラリーノ・サンドロヴィッチ
NYLON100℃ 32nd SESSION 15years Anniversary
ダブルキャスト2本立て興行
『シャープさんフラットさん』

ブラックチーム(上)
ホワイトチーム(下)
脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
(2008年9月〜10月/本多劇場)
シャープさんフラットさん
シャープさんフラットさん
撮影:引地信彦
Play of the Month
──『消失』のように数人しか出てこない作品もありますが、ケラさんが書くものは群像劇が多い。それは意識して書いているということですか。
 群像劇のほうが書きやすいんですね。主人公という発想に抵抗があるんです。ある時間を切り取るときに、誰かに多くの比重を取ることには、何か抵抗がある。幕が下りる時には何らかの結末があるわけですが、その結末ですべてが総括されるというよりは、まだ続くんだという感覚が常にあるんです。変な言い方ですが、登場人物に対して、自分の中でその先の責任を取ってあげながら、一応幕を下ろすというような感覚で書いています。

──昨年、高齢者劇団のさいたまゴールド・シアターに書き下ろした『アンドゥ家の一夜』は、教師とその最期に立ち会うために集まった元教え子たちをめぐる群像劇。愚かさがあって、欲望があって、しかも現実的と非現実が一体化した魔術的な世界は、フェリーニ風とも見えました。蜷川幸雄さんの演出も素晴らしかったですが、ケラさんの本がとても良くて非常に感動しました。中高年の俳優、しかも42人もの出演者に書き分けるというのは大変なことだったのでは。
 書き分けたという感じが自分にあるのは半分くらいです。実はあれは、本来なら台本が出来ていなければいけない時期にまだ出来てなくて、稽古の様子をDVDで送ってもらい、それを見ながらアテ書きしていったんです。でも、ああいうふうに本当に並列の40何人のメンバーに向けて書くのはすごく楽ですよ。舞台が良かったのは役者さんの力、技術ではない人間力のおかげですよね。

──ここ数年の中では、小説家が出てくる2007年の『わが闇』や、時代に対応できなくなった劇作家が出てくる2008年の『シャープさんフラットさん』と、物書きを描いた作品がありました。それはご自身とどこか重なる部分があるんですか。
 もちろんあります。よく、書けなくなったら、書けない作家を主人公にする手があるなどと言われていたりしますよね。でも書けないということを書くのは、それこそ「お手上げです」と言っているのと同じだという思いがあって、以前は作家をできるだけ出さないようにしようと思っていたんです。でも単純に、自分とかけ離れた業界の人間を描くよりも、作家という人間を描く方が色々なことがわかると割り切って、恐がらずに書けるようになった。「書けなくなった人を書こう」という発想ではなくて、「自分がもし今のような道を歩まずに、別の道をチョイスしていたら?」という発想で書けないかと思って書いたのが、『シャープさんフラットさん』です。

──先ほど未来を明るいと思えない世代という話をされましたが、演劇界では松尾スズキさん、平田オリザさんあたりが同世代にあたるかと思います。同世代の作家に共通の感覚はありますか。
 あると思います。ロックの同時代感覚と同じで、やはり同じ時期につかこうへいさんや寺山修司さんの舞台を見ていたわけですから。
 僕は子どもの頃恵比寿に住んでいて、近所には寺山さんの天井桟敷の劇場があった。中学時代には、よく恵比寿から青山まで明治通りを歩いて、VAN99ホールにつかさんの芝居を観に行ってました。野田秀樹さんは高校時代に駒場小劇場で『二万七千光年の旅』を見たのが最初です。ただいわゆるアングラ演劇については、「何かわからないけどすごい」とは思っても、「自分もやりたい」とは思わなかった。「俺はこれじゃない」という感じがありました。
 その後に出会ったラジカル・ガジベリビンバ・システムは完全にライブ版『モンティ・パイソン』だった。これに感化された僕と松尾スズキさんには、やはり共通の感覚があると思います。ただし、片やサラリーマンを辞めて福岡から東京に出て来た、コンプレックスの固まりのような屈折した人間で、片や小さい頃から観たいものは何でも観られた東京の人間。彼はその逆境をバネにしてものをつくってるのに、僕にはその逆境がない。「この人はかつての自分の人生を全部作品にできるんだなあ」と羨ましかった。「そのコンプレックスは俺にはないよ」と。まあ江戸っ子には江戸っ子なりのやり方しかないわけだから、それでやっていくしかないんだなと思いつつ…それでも松尾さんとはお互いに出来不出来がありながらも、その気持ちはわかる、という共通の感覚はありますよね。最も信じられる作家であり続けています。

──二人の同時代感覚というのは言葉にするとどういうことだと思いますか。
 それを最初に体現したのは「静かな演劇」といわれる平田オリザさんなんですが、演劇に対してのある種の恥ずかしさ、羞恥心があるということだと思います。松尾さんも、「恥ずかしがらずに舞台に立っている人は信じられない」というようなことを言っています。たとえば野田さんは、(言葉遊びや舞台を走り回る)あの疾走感で恥ずかしさを乗り越えたと思うのですが、僕らにはあれはできない。頭でっかちで、センスと発想勝負で書いている僕らは、「ちゃんと(自分を)わきまえていますよ」というところから演劇に入っていくしかなかったんですよね。62〜63年生まれくらいには多分そういう共通認識があると思います。

──その羞恥心は芝居を作るときには、具体的にどんな意識になっていくんでしょうか。
 僕の場合は、例えばお芝居だからといって、ちょっと斜めに構えて立つみたいな入り方をするのはやめようよというようなことから始まっています。言葉を大切にしたいので、動かないでいいところは極力動かない。無駄に動いたり、無駄に観客にサービスしないという意識が、それができていたかどうかは別にして、芝居を始めた当初から自分の中にはありました。

──お話をうかがっていると、ケラさんの原風景は基本的にメディア体験ですよね。しかも非常に早熟で、幅広いメディアのかなり古いところから新しいものまでを吸収している。その原風景をリソースとして演劇に反映させているところに、ケラさんの独特の立ち位置があるような気がします。
 実は、僕は5歳まで喘息だったんです。1歳の頃はもうダメだと言われて、それを生き延びたらしい。人よりも早熟だと言われるのは、5歳まで動けなかったからだと思います。周りの子どもたちが外でボール遊びをしたり、プラモデルやサッカーゲームで遊んでいる時にも、僕はずっと家で寝込んでいるから、テレビと音楽と本だけが“世界”だった。この時期に運動神経が養われなかったから、小学生になってもまた本や映画にのめりこんでいったんです。だからその集中力たるや、自分で言うのもなんですが、何かもの凄いものがありました。この頃に吸収したものは、いま芝居を作る上で非常に大きな影響を与えていると思います。
 
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