The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
Giving expression to dissected texts  The new possibilities of compositional theater pioneered by Motoi Miura
解体したテクストを発語する 構成劇の新たな可能性を切り拓く三浦基
地点『三人姉妹』
(2008年7月/大阪市立芸術創造館)
三人姉妹
三人姉妹
地点『かもめ』
(2007年8月/滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)
かもめ
地点『桜の園』
(2008年10月/吉祥寺シアター)
桜の園
撮影:青木司
──三浦さんが演出したチェーホフの『三人姉妹』を観ましたが、びっくりしました。テクストが大胆に再構成されているのですが、チェーホフを解体しているわけではなく、原作がかなり忠実に浮かび上がってくる。しかも、今までのリアリズム演劇と演技法も全く違っていますし、台詞の話し方というか発語も違う。こうした独自の演劇のスタイルはどこまでフランス時代に考えられたものなのですか。
 僕はテレビが大好きで、フランスでもよくつけていたのですが、ニュースなんかは喋り方が早いので意味がわからない。だからつい違うことを考えてしまう。毎晩芝居を観て帰って来るから、テレビを付けたままその芝居のことを考えたりしていたのですが、そうすると見えているものと、聞こえていることと、言葉がわからないということと、考えていることとの違和感とか、そういうことを日々体験していていたわけです。古典の舞台を見ても言葉がわからないから、事前に翻訳した本を読んででかけるのですが、それでも意味がわからない。そういうことを繰り返す中で何かが鍛えられていったんだと思います。「言動不一致」というか、いわゆるナチュラリズムの動きよりも違う形で言葉が舞台に乗るべきだ、ということをその頃に感じるようになりました。

──古典劇のテクストを批評性加えて再構築するというのは、鈴木忠志さんもされていますよね。
 先ほども言いましたが、鈴木さんの影響はもちろんあります。実は、大学2、3年の頃に、「演劇はもうやらなくてもいいかな」と思った時期がありました。その頃は、授業が終わってから下北沢や渋谷に行って、やみくもに芝居を見ていて、1年間で200本ぐらい見て、観劇ノートをつけていた。その頃からもう批評がはじまっていたのかもしれませんが、面白い作品は3回ぐらい繰り返し見た。確かに面白いものもありましたが、「もういいかな」「ダメなんじゃないかな」とか思った。

──三浦さんは73年生まれだから、1990年代の初めですね。
 そうですね。それでそんな風に感じていたときに、忘れもしないですが、下北沢である芝居を見ていたらその折込チラシにSCOTの利賀フェスティバルのチラシがあったんです。高校生の頃に鈴木さんの『演劇とは何か』を読んでいたのですが、東京では公演がなかったので、「あ、これか。見なきゃまずい」と思って観に行った。いわゆる鈴木版『リア王』の完成形の作品を利賀山房で観て衝撃を受けました。それまでもいっぱい芝居を観てきましたが、「初めて“演劇”を観た」と思った。本当にびっくりして、しばらく動けなくなったくらい。
 今までの芝居とは考え方が全然違うと思いました。僕はどちらかというとシェイクスピアはあまり好きじゃなくて、「日本人がシェイクスピアなんかやってもなあ」と普通に思っていたんです。だけど、その『リア王』を観てわかったんです。ああ、演劇っていうのはそういうことじゃないんだ、と。演劇とは、何かを批評することであり、何かを考えた“距離”を見せることなんだと、初めて現代演劇というものを観た気がしました。
 それから毎年利賀フェスティバルに観に行って、鈴木さんの演劇を勉強しました。その中で一番影響を受けたのは、鈴木さんが舞台で使う「車椅子」の存在です。あれを思いついたのはすごい。太田省吾で言うと『水の駅』で使われる「水道」に匹敵するものが鈴木さんの「車椅子」という装置だと思います。俳優が「車椅子」に乗って動くことで、上半身と下半身を分けた。はっきりと「語りの身体」と「移動の身体」をビジュアルとしても分けて見せたわけです。この「車椅子」を思いつくことが演出なんだと気付きました。鈴木さんからは影響を受けたどころか、相当盗ませていただきました(笑)。それで『三人姉妹』ができたと言っても過言ではありません。それから『イワーノフ』で使った等身大の籠もそうです。籠の中に俳優が入ってひょいと顔を出したり、引っ込めたり。観客は笑っていますが、笑っている場合じゃない。籠を使うことで登退場がいっきにできちゃうわけですから。こういう装置の開発を演出家というのはやれる存在なんだなと思いましたね。
 『三人姉妹』ができたときに、鈴木さんに手紙を書いたんです。面識がない若者が「ようやくあなたに見せられるものができました」と。そうしたら実際に観に来られて、ほめられた。そこで生意気にも親離れしてもいいかなと思いました。今度は鈴木さんがやっていないところで自分は何ができるのかを考えようと思いました。

──京都へ拠点を移されたのはどうしてですか。
 青年団から独立したかったのと、京都はパリに似ていて、街の規模もちょうどいいし、作品もつくりやすい感じがしました。父親が転勤族だったので、子どもの頃からあちこち移動していたので僕自身に土着性があまりないということもありますね。プロ野球と一緒で、良いフランチャイズがあればそこへ行くという感じです。

──地点の舞台美術や装置についてもお聞きしたのですが、シンプルでシンボリックな美しい装置だと思います。スタッフワークを重視した現場だと聞いていますが、装置のプランニングはどのように行われていますか。
 スタッフミーティングを重ねています。僕自身に美術に対する具体的なプランがあって、例えば絵にして伝えるということはなくて、僕がスタッフに何かを伝える場合には「言葉」しかない。それも「単語」です。例えば「気配」とか。僕の演出ノートもほとんど「単語」しか書いてありません。思いついた単語や戯曲の中でひっかかった言葉がダーッと書き留めてあるだけ。
 それで僕が「単語」を伝えたり、「『三人姉妹』って、モスクワに行けない話なんだよ」「本当にモスクワに行けないことが主要なドラマなの?」とか、ミーティングを繰り返し、「衣装は寝間着だな」「ネグリジェだな」「いや、ベッドのシーツだな」、実際にやってみて「やっぱりこれは無理だな」とかやりとりして、それを美術家が持ち帰って、また次のミーティングで案を出してもらってそれをたたき台にして稽古をする。そうやって試行錯誤ながら、やっては止め、やっては止めて、少しずつ決まっていくというつくり方をしています。
 ですから、僕にあるのはイメージではなく単語だけ。単語から生まれるある感覚=関係性なんです。例えば「倦怠」とか、(やりたいことは)そういう単語になって表れるんですね。それを手がかりに俳優は台詞について考えるし、美術家は装置について考えるし、照明家はデザインについて考える、ということなんです。そういう単語から生まれる感覚=関係性をみんなで探りながらつくっていくという感じです。その中で装置も「これでイケるんじゃないか」とか話をします。ただ、最終的に観客の前に提出するもののセンスに関しては僕が統率します。1センチ単位でずらしたりしますから。

──それは出来たモノに対してですか。
 はい。自分でも気付かない何かがあると思います。僕は作家ではない。書こうという気すらない。絵描きになろうと思ったこともない。一人でやる作業の表現をしようと思ったことがない。何か、こう「見る」のが好きなんです。何か環境があって、それを見て、動かすのが好きなんです。だからスタッフにも「僕はやりたいことはないから」といつも言っています(笑)。
 
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