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柴幸男
柴幸男(しば・ゆきお)
1982年、愛知県出身。青年団演出部所属。日本大学芸術学部在学中の04年に『ドドミノ』で第2回仙台劇のまち戯曲賞を受賞。その後、青年団の劇団内ユニット「青年団リンク」として2009年10月に劇団「ままごと」を旗揚げ。何気ない日常の機微を丁寧にすくい取る言葉と、ループやサンプリングなど演劇外の発想を持ち込んだ演出が特徴。全編歩き続ける芝居『あゆみ』、一人芝居をループさせて大家族を演じる『反復かつ連続』など、新たな視点と手法を用いて人々の日常を描く。愛知県での公演やワークショップ、岐阜県可児市での戯曲講座、福島県いわき総合高校での演出など、地方でも精力的に活動している。『わが星』にて第54回岸田國士戯曲賞を受賞。
http://www.mamagoto.org/
ままごと『わが星』
(2009年10月/三鷹市芸術文化センター 星のホール)
わが星
わが星
撮影:青木 司
toi presents 3rd『あゆみ』
(2008年6月/こまばアゴラ劇場)
あゆみ(長編)
撮影:ドラゴン・ヤー
an overview
Artist Interview
2010.4.19
play
Playing theater like playing house  The new approach of Yukio Shiba  
ままごとのように演劇を遊ぶ 柴幸男の新発想  
2010年2月、第54回岸田戯曲賞に輝いた期待の新鋭・柴幸男。受賞作の『わが星』は、舞台中央に描かれた「白い円」を地球に見立て、とある団地に暮らす少女ちー(=地球)の一生を星=地球の一生と重ね合わせて描いたラップミュージカルだ。ループやサンプリングといった音楽の手法や、俳優を一人・一役に固定しない演出などを用いて、 演劇の枠にとらわれない自由な発想で綴られるのは、観客が自分自身を重ねられるような身近な日常の風景である。たった一人の女優が何役も演じながら大家族の朝食の風景を繰り返す『反復かつ連続』、歩くという行為の中で二人の女の子のお喋りをすくい取る『あゆみ』など。作品ごとに新しい方法論を模索しながら、日常の機微を万華鏡のように舞台に映し出してみせる柴が目指す、大人の遊び「ままごと」としての演劇とは?
(聞き手:扇田昭彦)



──岸田戯曲賞の受賞おめでとうございます。受賞作の『わが星』は、非常に斬新なスタイルでつくられているということで注目を集めましたが、27歳での受賞は近年の受賞者の中でもかなりお若いほうかと思います。
 現在は平田オリザさんが主宰する青年団の演出部に所属しながら、「ままごと」という劇団を主宰されていて、『わが星』はその第1回公演として2009年10月に初演されたものでした。非常にユニークな劇団名ですが、どんな思いで名付けられたのかから聞かせてください。

 プロの画家にならなくても、誰でもお絵かき、落書きなどしますし、プロの歌手でなくてもカラオケや鼻歌を気軽に歌います。美術や音楽はそうやって親しまれているのに、演劇は観る人とつくる人、そして興味のない人に距離があるなあと感じていました。
 でも考えてみると、“おままごと”や“ごっこ遊び”みたいなものは誰もが一度はやったことがあるはずで、そういったことも“演劇”の入口なんじゃないかと思いました。つくるだけではなく、ちょっと観てみることも含めて、演劇には色々な関わり方、楽しみ方がある。すごく熱心に観る人やつくる人と、全く観ない人のどちらかという感じになっている今の状況が、もう少し“溶けた状態”になって、演劇がありふれたものになればいいなあ、自分の演劇の敷居を低くしたいなあという思いを込めて名付けました。

──それは、柴さんの演劇スタイルにも通じている気がします。
 そうですね。毎回ルールを考えてちょっと遊んでみるという感じで考えているので、「ままごと」という名前は僕の作品内容にもあっていると思います。

──『わが星』では舞台上に大きい白い円を描き、俳優たちがその周りを走ったり、台詞をラップで喋るという新しい試みをしています。俳優は一人一役に固定せずに、次から次に変わっていく。役柄を固定しないやり方は、2009年の短編4作のオムニバス『四色の色鉛筆があれば』でも用いられています。こうした演出にはどのような意図があるのでしょうか。
 僕もずっと、一人一役が当たり前だと思っていたのですが、岡田利規さんの『三月の5日間』を戯曲で読んだ時に、役が移り変わるのを見て、ああ、こんなことをやってもいいんだ、と衝撃を受けました。平田オリザさんの演技論、演出論にもそういうことは書いてありましたが、岡田さんの戯曲と出合って、俳優と役が同化しなくてもいい、役をパスしたり入れ替えたりしてもいいんだと改めて気づいた。それでとりあえず稽古場で遊んでみたら、色々発見があって面白くなったんです。

──役が固定されていると、俳優は自分が演じる役の役づくりをして、それが観客に伝わるわけですが、これだけ役が転移すると登場する人物像も全く違った伝わり方になりますよね。
 ええ。例えば『あゆみ』という作品の長編版では、ひとりの女の子の人生を10人の女優で見せます。役柄が固定されていれば、例えば黒川深雪という女優がいたとして、黒川深雪があゆみ役として舞台上で生きていたということになりますが、実際にはどんどん役が入れ替わるので、お客さんは自分が見たい“あゆみ”を見るしかない、というか、もう想像して補うしかなくなるわけです。
 だから、具体的に誰とは言えないけれども、何かリアリティをもった人間をつくることが、役を固定させないことによって可能になる気がします。しかも上手くお客さんの想像力とマッチすれば、お客さんが見たいように見られるという意味で非常に間口が広くなる。自分を投影することもできるし、自分の身近な人を投影することもできる。誰もが身近に感じるような存在としての「あゆみ」つくることができるというのは、やってみての発見でした。もちろん毎回そうなるわけではないと思いますが…。

──それとはまた別の方法ですが、同じような台詞や同じようなシチュエーションを繰り返しながら舞台を進めていくのも、柴さん独特の劇構造だと思います。
 きっとあれは、ヒップホップやテクノなど、僕がよく聴いている音楽の影響です。そうした音楽は、同じフレーズが何度も繰り返されて発展していくような形式なのですが、戯曲もそういった構造や様式をもったものがあってもいいのではないかと思って挑戦してみました。

──『わが星』や『四色の色鉛筆があれば』では、ラップがたくさん使われていました。
 大学生の頃から日本語のヒップホップ、ラップミュージックが好きでよく聴いていました。
 ヒップホップという音楽は、元々ある曲を部分的に切り取って、サンプリングして、ループして、新しく生まれたビートに新しい言葉を乗せていく。そうして元の曲とは全く違う新しい曲を生みだすという「発明」なんです。
つまり、音楽をやっていたわけではない人、楽譜が読めなかったり、楽器ができなかったりする人が、どうやったら音楽ができるだろうかと試行錯誤して、その方法を発明したわけです。その根本の思想に、とても感銘を受けました。それとラッパーは基本的に自分で作詞をします。つまり、劇作家とラッパーは、話し言葉を書いて何かを表現するという点で同じなんです。しかも、ラッパーは自分で歌うから、劇作家兼俳優で演出家までやっているような感じで、その共通点がすごく面白いと思いました。
 ラップの中には、リズムと台詞だけのほとんど演劇みたいな曲もあります。そういうのを聴いた時に、じゃあ劇作家のほうからラップミュージックにアプローチすることはできないのか?と。最初は、大好きなラップを芝居の中に少し取り入れるぐらいだったのですが、『わが星』の時には、歌と台詞が完全に切り離されたミュージカルとは違う音楽劇がラップならできるのではないかと試してみました。
 
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