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Artist Interview
Playing theater like playing house  The new approach of Yukio Shiba
ままごとのように演劇を遊ぶ 柴幸男の新発想
ままごと『スイングバイ』
(2010年3月/こまばアゴラ劇場)
スイングバイ
スイングバイ
撮影:青木 司
──『わが星』も、今年3月に初演された『スイングバイ』も、等身大の人間を描きながら、同時に非常に宇宙的な時間と広がりの中で人間の生と死を取り上げています。私はそれを観て、ソーントン・ワイルダーの『わが町』を思い浮かべ、ワイルダー作品の非常に新しいバージョンではないかと感じました。
 そう言っていただけて、とてもうれしいです。ワイルダーにはすごく影響を受けていますが、実はきちんと読んだのは(自分が作品を発表するようになった)後からなんです。『あゆみ』の時に、ある方に、「まるでワイルダーの新作を見ているみたいな感じだ」と指摘していただいたのが大きなきっかけでした。
 前から興味があったので、『わが町』を読んでみたら、僕がやろうとしていることと同じようなことに取り組んでいた人がいたことがわかった。もちろん僕なんかよりもすごく上手い方法ですけど。ワイルダーも、特別ではないキャラクターをつくり上げて、誰でも感情移入できるようにしていますし、具体的な装置を使わないで想像力で補わないと舞台上に何も見えてこないところも似ています。平凡な一人の人間と、大きな歴史や時間とを対比させて描くような方法も、全部『わが町』やその他の作品で行われていることです。そこからワイルダーを読むようになりました。
 『わが星』は、今もしワイルダーが書くとしたら、一人の人間の生活と“星”を対比して書くのではないか、と思ったところから始まっています。ワイルダーの頃よりも、もう少し地球というものが身近になったというか。例えば地球の裏側で起こった戦争のことが瞬時に伝わってくるとか、日本の経済がアメリカの影響を受けるとか、インターネットのおかげもあって、星単位で物事が起こって、それが当たり前の感覚になってきているわけですから。

──少し時間を遡って、演劇を始められた頃のお話をうかがいたいと思います。最初に影響を受けたのは、三谷幸喜さんだったそうですね。
 ええ。劇作をやろうと思って高校の演劇部に入ったのですが、その頃は本当に三谷幸喜さんに憧れていて、シチュエーションコメディを追いかけていました。愛知(一宮市)に住んでいたので、実際の舞台はほとんど観ていませんが、テレビドラマなど映像化されているものをありったけ観て、発言が掲載されている本なんかも読んでいました。

──大学在学中の2003年に劇団バームクーヘンで上演した『ドドミノ』で2004年の第2回「仙台劇のまち戯曲賞」を受賞されています。上演に向けて受賞作の書き直しの指導にあたるドラマドクターを務めたのが平田オリザさんでした。『ドドミノ』は私も当時観ていますが、非常に奇抜な発想の、連鎖崩壊の喜劇でした。何千ものパーツのドミノ倒しの仕組みがあって、ドラマで色んな人間関係が崩壊すると同時に、最後にはそのドミノが本当に倒れていく。その頃は、三谷さんの影響か、とてもウェルメイドな作風だと感じました。
 よく覚えていらっしゃいますね(笑)。確かにその通りです。大学で東京に来て、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんのナンセンスギャグや不条理な状況設定があるような作品を観るようになって、そのあたりから少しずつ書くものが変わってきました。

──大学を卒業後、一度テレビの制作会社に就職されてから、再び演劇に戻って、2006年から女優の黒川深雪さんが主宰しているユニット「toi」で作・演出をされるようになりました。
 とりあえず働きながら演劇をやろうと考えて、会社に入ったのですが、あまりにも過酷な仕事で、戯曲を書く時間もなかったので、半年で辞めてしまいました(笑)。僕が会社を辞めて、バームクーヘンで短編作品を上演した後に、リーディングのような形で作品をやりたいと作・演出家を探していた黒川さんから依頼を受けました。

──その後07年に、青年団の演出部に入られるわけですが、これはどういういきさつだったのですか。
 バームクーヘンが解散して、その後自分で団体を立ち上げるほどには、まだ自分の方法論や作家性みたいなものに自信がなかった。それでも個人として何か創作できるような状況をつくらないといけないなあと思っていた時に、偶然、青年団の入団の試験を知りました。
 仙台の戯曲賞の頃から、青年団やそのリンク劇団の作品を見るようになって、すごく面白いと思っていましたし、俳優の方もすごい人たちだなと。オリザさんの色んな考え方をネットで調べて読んだりして、これはぜひと入団試験を受けました。だから、ドラマドクターでの繋がりというわけではなく、普通に面接や審査を経て合格して現在に至る、という感じです。

──青年団に入って良かったところはどんなことがですか。
 一番は、自分と同じように演劇を志している人が身近にいるということです。小劇場の最先端で色々なことに挑戦している人が演出部にいて、お願いすれば稽古場も見せてくれるし、見に来てもくれる。また、青年団の俳優の方も素晴らしいので、もうその環境にいるだけで気が引き締まります。一人だと、例えば3年かかることが1年でわかるというか、吸収できる。密度の濃い時間を経験できる場であるというのが一番有り難かったです。あとはやはり、こまばアゴラ劇場や稽古場といった場所が使えることで、とても安心して活動ができるようにはなりました。

──ここ何年か、前田司郎さん、松井周さん、多田淳之介さんと、若い才能がどんどんこの演出部から出てきています。青年団には若い才能が育ちやすい環境があるということでしょうか。
 育てているというより、活動の場を開放しているということだと思います。何かやりたいのにもうちょっと場所があればとか、もう少し人がいればもっと上手く表現できるのに、という人が集まりやすい状況をつくって(間接的に)支援している。作品の質が高くなるかどうかは、あくまで本人の頑張り次第です。刺激的な場所が用意されていて、その門戸がずっと開かれていることが貴重なんだと思います。

──toiでは短編や長編などを色々手がけられましたが、作風が少しずつ変わってきたのはこの頃からなんでしょうか。
 『ドドミノ』を書き直していた頃からシチュエーション・コメディに行き詰まりを感じて、頑張っても三谷さんの前例を超えることはもうできないんじゃないかと思い始めていました。2007年に長久手町文化の家がやっている短編演劇連続上演イベント「劇王」に参加することになって、『反復かつ連続』で、一人芝居なんだけれど時間をループさせて重ねるような、それまでとはちょっと違うつくり方をしてみたら、それが劇王(チャンピオン)に選ばれたんです。
 
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