The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Artist Interview
Playing theater like playing house  The new approach of Yukio Shiba
ままごとのように演劇を遊ぶ 柴幸男の新発想
toi presents 4th「四色の色鉛筆があれば」〜『あゆみ(短篇)』
(2009年1月/シアタートラム)
あゆみ(短編)
撮影:青木 司
──今までだと、台詞劇と音楽劇は全然別の分野で、やる俳優も違っていたのが、『わが星』では現代劇の俳優たちがラップもやっていました。ラップはどんなふうにつくっているのですか。
 歌手じゃなく、俳優だからこそできるラップがあるんじゃないかと考えました。リズムが鳴っていても、それを無視して喋れば台詞になるし、リズムに合わせれば歌になるし、どちらとも言えない状態を往き来するようなことも、俳優として能力が高い人ならばできる。意識によって間を変えたり詰めたりとかができるなら、リズムに乗ったり乗らなかったりもできるはずだと。なので、まず俳優にワークショップをやってラップのやり方を伝えたのですが、思った通り、皆さんすぐできるようになりました。

──俳優たちは全然戸惑わないでやるのですか。
 『わが星』では、課題曲を何曲も用意して、大体1週間くらいワークショップをやりましたが、概ねできるようになります。演技の場合と一緒で、その人独特の色が出てきます。今まで全くラップをしたことがない、歌ったことがない人たちに無理矢理叩き込んでやってもらうと、その俳優ならではの、僕が考えつかないようなリズムの乗り方が出てきたりするから逆に面白いんです。

──ラップのやり方も柴さんが指導するんですか。
 大体のルールは僕が教えて、後はそれぞれ勝手に。遊び方のコツを掴んでくると、自己増殖的にどんどん上手くなるという感じです。

──音楽畑のラッパーの人に比べると、さすがにちゃんと歌詞が聞こえるし、台詞としての機能を果たしていますよね。
 そうですね。そこは演出で「もう少し台詞にしちゃって」「そこはもっと音楽的に」などと、かなり使い分けてもらっています。

──ラップミュージカルでは台詞の書き方が随分違うのではないですか。
 それは明確な方法があるわけではないんです。『わが星』の時は、8人の俳優が群唱状態でバーッと一斉に喋って、それがリズムに乗っているという形だったので、台詞が重なっていて、誰がどこで何を言うかわからなくなる。それで、台本を何段かに区切って、Aのラップが終わった瞬間にBのラップが始まるというタイミングがわかるように、少年王者館の天野天街さんの戯曲の書き方をものすごく参考にさせてもらいました。

──台詞自体も普通の会話と違いますよね。
 そこはもう、僕が歌いながら書いただけです(笑)。ずっとリズムを取りながら、歌いながら、ラップはラップとして書いています。

──『ハイパーリンくん』などの場合は、辞書を読むような台詞が、リンクを渡り歩くように、俳優から俳優に繋がっていくわけですが、誰がどの台詞を喋ってもいいような気もします。あの台詞はどのようにつくられたのですか。
 『ハイパーリンくん』は、実はラップを役者たちにつくってもらいました。誰がどの順番で言うかは全部決まっていて、例えばあなたは科学史のこの部分をラップで言ってください、というふうに割り振っています。ラップを僕が書いてしまうと、せっかく10人ラップをする人がいても、全部が僕のリズムになってしまう。それで、最初に1、2週間ぐらいラップのワークショップをやって、ラップがある程度書けるようになってからつくってもらいました。後は、「そこは音がキタナイのでもうちょっとキレイにしてください」とか、「あまりにもストレートすぎるから、もうちょっと何か面白い表現にしてください」とかダメ出しして、それを繋ぎ合わせました。

──『わが星』の場合は?
 この時は、長編でしたし、リズムの乗り方は自分ので通してもいいかなと思ったので、全部自分で書いて譜割りをしました。で、役者に台本を渡した段階で、「ここがラップになって、こういうふうに言ってください、こういうふうに歌ってください」と、実際に僕がやって覚えてもらいました。

──『あゆみ』では、動きや誰がどの台詞を言うか、あらかじめ厳密に決めているのですか。
 あれは、二人の女の子がキャッキャと喋っている会話を書いた台本をつくってから、稽古場で俳優に歩いてもらいながら、その場で誰が何を言うかの切れ目を決めていきました。稽古場で歩いてみないと、誰がどの瞬間に立ち止まって喋るか書いている段階ではわからない。10人で演じる時は10人に、3人で演じる時は3人に割り振っています。

──誰がどの台詞を言うかわからなくなりそうで、俳優はがよく覚えられるなと感心しました。
 俳優も覚えられないとこぼしていました。自分が何の役で、今どこにいて誰に喋ってるのかわからなくなると。とりあえず割り振るだけ割り振って、後はもうできるようになってくださいと、稽古場でつくっています。

──では、最初のテキストと、稽古場でワークショップを経て出来た上演台本は違うものになっているということですか。
 『反復かつ連続』や『あゆみ』では、言葉自体は変わっていませんね。誰が喋るかの割り振りは変わりますが、目で見れば立体では追えますけど、台本では全く追えないので、変わっていてもわかりません。

──じゃあ期間を置いて再演する場合は、結構大変ですね。役づくりという概念もありませんし、役者たちは動きを覚えているものですか。
 動機と関係ない、ほとんど理屈に合わない動きをさせるので、最初は本当に大変ですが、再演の時にはだいたい覚えているようです。
 役づくりについては、むしろ、一人の役になっちゃったらダメなんだと考えています。自分の役のことだけ考えていてもダメで、3人の『あゆみ』の場合なら、残り2人のメンバーが今どう動いているかを見ながら、自分が次に何をするか考えなければいけないように出来ている。シーン全体をイメージするというか。それは、そういう状態に俳優をもっていきたい、と敢えて狙っていることでもあります。そんなギリギリの状態で台詞が言えるようになれば、余計な演技とかしなくなりますから。

──岸田戯曲賞を受賞されたことで、活動の場はさらに広がると思いますが、今、柴さんがやられている演劇の方法論はこれから変化していくのでしょうか。
 正直、僕はまだ方法論と呼ばれるようなものを自分の中で確立したとは思っていません。いつも、前と違うこと、人がまだやってなくて、面白いと思えるようなことをやってみようと思いながら、ここまで行き当たりばったりでやってきた(笑)。かろうじて、何か一貫した作品の質というか、空気感みたいなものが出来てきたのかもしれないですけど。方法論に縛られないほうが良いと思っているわけではなくて、本当に「これだ!」というものを見つけたいのですが、その一方でもっと色んなことをやってみたいという気持ちもあります。

──ままごとは、どんなふうに発展していくんでしょうか。
 ままごとには、僕と制作者だけがいて、実は俳優がいません。僕の方法論は、前にやったことを踏まえて毎回少しずつ変わっていくのに、全作品に出演している俳優がひとりもいない状況です。歩けるし、ラップもできるし、同時多発の台詞も言える俳優が生まれたら、そこから見えてくる景色もあるだろうし、何か固有の方法論が見えてくるような気がしています。
 俳優がいないのに、敢えて劇団と名乗ったのは、新しい方法を試すだけでなく、そういう俳優からの刺激が次のステップになるのではないかと思ったのと、長期的な試み、蓄積を考えていかなければいけない時期だなという思いがあったからです。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 | 4 |
TOP