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Artist Interview
The unique appeal of old playhouses   Links to Edo Period theater culture
江戸時代の息吹をつなぐ 芝居小屋の魅力とは
旧金毘羅大芝居(金丸座)
(国指定重要文化財)

所在地:香川県仲多度郡琴平町乙1241
金丸座
金丸座
Photo: Kazumi Narabe
──内務省系の設計で代表的な建物は何ですか。
 東京・原宿の明治神宮などです。おおざっぱにいうと、建物の輪郭は力強く生き生きとしていた中世のシルエット、彫刻は華やかな桃山時代、それに飛鳥時代(592〜710年)などの優れた細部を組み込んで、さらに大きなデザインとしてギリシャ・ローマの意匠も取り込んでいます。歌舞伎座は木造を模した鉄筋コンクリート造建築としては最高傑作のひとつで、僕は内務省系デザインの代表作だと思っています。そういう意味で、文化財として残す価値があった。取り壊されるのはとても残念です。
 歌舞伎座と八千代座はまさに、明治時代の二面性を反映していると思います。中央で政府が主導した建築と庶民の建築。帝国大学を出てレンガと石の立派な建築を造る建築家の世界と、木造建築を造る市井の大工の世界──この明治期に二極分化した文化の二重構造は今も続いています。大都会のシアターである歌舞伎座と、江戸時代の庶民の小屋の流れを引いている地方で造られた芝居小屋。歌舞伎座を惜しむというのは、そういう2つの流れの一方の雄を失うからです。ですが、歌舞伎座がなくなったから、日本の芝居小屋の代表格を失ったという見方は違います。江戸時代の古い劇場様式を残す芝居小屋を、各地の市民が一生懸命守ろうとしているからです。

──その代表が、金丸座や八千代座ですね。古い様式を引き継いだ芝居小屋はどのくらい残っているでしょうか。
 最盛期には3,000あったといわれています。6,000以上あったという研究もあります。現在残っているのは廃屋同然のものも含めて30ぐらいですから、日本人は実に99%を失ったんですよ。

──その30棟の芝居小屋のうち国の重要文化財に指定されているのは5棟です。文化財の中で芝居小屋はどのような位置づけなのでしょうか。
 明治30(1898)年から政府による意識的な文化財の保存が始まりましたが、建築の分野に限れば、日本の建築の歴史を示す建物はやはり寺院建築です。次いで神社。ですから、第2次世界大戦前に国の文化財に指定されたものはお寺とお宮が圧倒的多数で、民家はわずか2件、もちろん劇場建築はありません。当時の「文化財」に指定される要件は歴史の証人であり、技術の先生であり、美術の手本であり、美しく優れたものでした。民家は実用品ですから、文化財の範疇とは考えられていなかったのです。しかし、戦後、文化財の範囲が徐々に広がっていきます。特に高度成長期、1960〜70年代に日本中で開発が進み、伝統的な民家が無くなっていく状況に直面して、文化財の範囲が民家にまで広がりました。

──金丸座が国の重要文化財に指定されたのは1970年です。かなり遅いですね。
 建築史学ではなく芸能史の研究者の間では、金丸座の存在は知られていました。間違いなく、日本で唯一現存する江戸時代に造られた芝居小屋だと。しかし、芝居小屋は安普請の建物だったため旧来の文化財の対象とは考えられなかったのです。金丸座に20年以上遅れて熊本県山鹿市の八千代座が重要文化財になりました。その解体修理を担当することになった時、文建協の理事長は太田博太郎先生でした。太田先生は日本の建築史学の世界では神様のような人ですが、その太田先生に八千代座修理の要点をお聞きしたところ、欠陥品だからやりにくいぞという趣旨の話をされました。木造の芝居小屋は構造的に弱い。現代的な計算をすると、どうしても客席部分が持たない。それで欠陥があると言われたわけです。

──正面は立派な造りでも、裏に回れば掘っ立て小屋同然。少ない投資で利益を得ようという興行主の知恵の塊ですが、技術の先生、建築の手本という昔の文化財の基準からは外れそうですね。
 そこが仮掛け小屋の伝統です。芝居小屋は最小限の投資で最大限の利益を上げるための夢を売る場所ですから、お客様に見える所だけ立派に出来ていれば、見えない所は安普請でいい。神仏に願をかけて神社仏閣を建てる宮大工の仕事と対極にある建物なわけです。

八千代座の解体修理

──数ある建物の中で賀古さんが最も魅力を感じるのは禅宗寺院だそうですが、その賀古さんが八千代座の修復を通して「欠陥建築」の魅力を発見し、以来、各地の芝居小屋の調査・修復を支援されるようになります。八千代座はどのような芝居小屋ですか。

 正面が2階建てで瓦屋根、大屋根の妻には客寄せの太鼓を打つ太鼓櫓がのっています。入り口の上には絵看板がずらずらと飾ってある。入り口の左右には下足預かりがあって、下足を預けて小屋に入ると、枡で仕切った畳敷きの平土間があり、その周りはバルコニーのように一段高くなった桟敷席で、ぐるりと提灯が下がっている。舞台の間口は7間(13.4メートル)。椅子席ではなく土間に座って見るから、舞台と床の落差は小さく、観客の目は舞台面より上にあるから役者の足元がよく見えます。そして、花道や回り舞台といった劇場機構があります。江戸時代の金丸座も基本構成は同じですが、八千代座は明治43年建造の小屋なのでずいぶん西洋臭くなっていて、プロセニアムアーチがあるし、ガス灯のシャンデリアが下がっています。回り舞台を回す車輪はドイツ製でした。

──そういう芝居小屋の修復はどのように行うものですか。
 日本は木造建築の修復については世界のトップクラスの技術を持っています。八千代座でやったことは、神社仏閣、民家、城などの文化財の修復の手法と全く同じです。まず、現状を測って図面を描き、建物の傷み具合を調べます。柱はどっちに傾いているか、床はどの辺りが沈んでいるか、調べていくと、建物の弱点が分かってきます。それから、建てた時とは逆の順番で少しずつ分解していきながら、1個1個の材料をよく調べます。古い建物は長い間に何度も改築されますから、建築当初の姿のままで残っている文化財はありません。しかし、建築も芸術作品ですから、基本的には生まれた時のオリジナルの価値が一番高いと考えます。
 
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