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Artist Interview
The unique appeal of old playhouses   Links to Edo Period theater culture
江戸時代の息吹をつなぐ 芝居小屋の魅力とは
八千代座
(国指定重要文化財)

所在地:熊本県山鹿市山鹿1499
八千代座
八千代座
写真提供:八千代座
──八千代座も何度か改装されていましたが、創建当時の明治の姿に戻すことを目指したのですか。
 八千代座は明治の木造大建築の劇場として重要文化財になっていますから、改造を加えられた平成の姿を見学者に見せても、明治の劇場文化を肌で感じてもらうことは出来ません。修理なので、直すことが最大の目的ですが、それと同じくらい本来の姿に復原することも大きな目的なのです。
 復原するためには学術的な調査・研究が必要です。昔の姿の図面が残っていることはまずあり得ませんから、部材に残っている改築の痕跡を基に調べていきます。例えば、今は窓になっているが、窓の所の柱を見ると壁を塗った跡があるので最初は壁で、後からぶち抜いて窓にした。本来の姿にするには壁に復さなければならない、といった具合です。ところが、もしもその柱が途中で取り替えられたものだったら、柱の痕跡に沿った復原は間違いということになります。ですから、最初にやらなければならないことはすべての部材の年代判定で、解体しながらそうしたさまざまな調査を行います。昭和50(1975)年に完成した金丸座の移築改修では、復原個所が建物全体で約130カ所ありました。八千代座もほぼ同じです。

──古い部材の年代判定は難しいのではありませんか。
 100年前の柱と10年前のものは一目で分かりますが、100年前と90年前は見ただけじゃ分からない。色々な判別方法がありますが、最も正確で客観的に判定できるのが釘穴の数です。桁に垂木を取り付けるときに、最初に大工さんは釘を1本打って留める。それが雨漏りで下の太い桁は腐らなかったが垂木が腐った。修理に来た大工さんは錆びた釘を抜いて腐った垂木を捨て、新しい垂木を釘で打ち付ける。その時、さっき抜いた釘穴からちょっとずらして新しい釘を打つ。解体してほこりを払うと、取り替えられた2代目の垂木には釘穴は1つしかないけど、桁には2つの釘穴がある。部材に時代差があるということです。両方とも釘穴が1つしかなければ、建設当初の部材がそのまま生きていたことになりますが、中にはすべての部材に2つずつ釘穴がある場合がある。これは解体移築か解体修理された痕跡です。3つずつあれば2回解体されている。

──1本の柱にはいくつもの釘穴があると思いますが、建物全体の釘穴を数えるわけですか。八千代座ではいくつあったのでしょうか。
 すべての解体が終わるまでにすべての釘穴にチョークで印をつけていきます。生きている釘穴は青、痕跡で見つけたのは白といった具合に。八千代座では解体が終わるまでに約50万個にマーキングしました。半年かかりました。

──釘穴ばかりでなく、瓦も柱も部材すべてに番号をつけて、状態をチェックし、再び使えるかどうか判断していくわけですから、とても根気のいる仕事ですね。
 そうですね、飽きっぽい人間にはできません。単純な作業ですが、傷つけないように作業しなければならないので、大変神経を使います。腕の良い大工さんは早くきれいに建物を建てる修業をしているわけで、じっくり調査をしながら解体する訓練は受けていませんから作業が始まって1カ月もすると、現場がみんな無口になっちゃう。適当に息抜きの飲み会をしたり、みんなのお陰で今日外した部材からこんなことが分かったと成果を伝えたりして士気を保ちます。
 八千代座の部材は全部で1万点以上ありました。釘穴のチェックと並行して痕跡探しをします。八千代座の柱は大半が明治の創建当時(1910年)のもので、約1割が大正12(1924)年に増築した時のものでした。昭和、平成の柱は2、3%しかなかった。
 明治の柱に、現在取り付いている物以外の痕跡がないか見ていくと結構あるんです。何重にも痕跡が錯綜しているものすらありました。その痕跡から創建時のものを探っていきます。ノミの切れの良い仕口(組み手)の跡が最初のものです。最初だけは判別出来ますが、2次と3次の改築時についた仕口の痕跡はどちらが古いか仕口自体からは判断出来ない。これは周囲を見て建物全体の間取りから判断していきます。痕跡を細かく見るミクロの目と、全体を見るマクロの目、両方を絡み合わせながら、延々と作業を繰り返し、調べていくと、段々と建物の姿が見えてきます。

──建物から読み取る作業と並行して、資料や人々の記憶を探る聞き取り調査も行うのですか。
 地元から資料を提供してもらえる現場は幸せです。八千代座の場合は運の良いことに創建時の写真が1枚残っていましたし、郷土史家など先人が八千代座文書を読み解いていましたから助かりました。
 痕跡調査が終わると、建物の履歴書が出来るわけです。この履歴書を基にどの段階に戻すか協議が始まります。オリジナルに戻すことが基本ですが、この建物が一番光輝いていた時期はいつか、個々の建物の話だけではなく、日本の歴史の中での位置づけも考えます。痕跡調査と文献調査から、八千代座は平成8(1996)年までの90年間に細かく分けると19回姿が変わったことが判りました。
 大きく分けると4期です。江戸時代の小屋によく似ている明治の創建当時、大正12年の改造が第2期。これは防火のための法律で、フロアごとに収容人員に応じた喫煙室を設けなければならなくなったための改造です。この時、2階の左右に出っ張った喫煙室が造られて、山形の千鳥破風という屋根が乗った。真ん中の大きな三角屋根と左右の屋根、3つの屋根の山が重なり、うんと華やかになった。その頃が芝居小屋の全盛期ですから、八千代座は大正の姿に戻すことにしました。

──復原は歴史を振り返る作業ですが、同時に未来に向けた仕事です。賀古さんは何年ぐらい先を見て仕事をなさっていますか。
 最低100年。寺院のように太い柱の建物は200年に1回、住宅や芝居小屋のような柱が細いものは100年に1度くらいの割合で大修理が回ってきます。だから、次回の修理までもたせることが最低限の義務です。修復する時はベストを尽くしますが人は必ず間違いを犯します。将来、学問が進歩したら、平成の大修理の判断は間違っていたと分かることが幾つもあるはずです。ですから、将来のために「今回はこう判断して復原しました」というものを残しておきます。取り替えた部材は見えない場所に「平成○年度修補」という焼き印を押しておくんです。シロアリに食われて使い物にならない部材でも、大事な痕跡のある場合は防腐剤を塗って次の修理の時に再調査が出来るように保存しておきます。他所に移すとなくなるので、屋根裏にしまっておきます。
 調査の過程、分かったことを記録するのも大事な仕事ですが、僕らはデジタルカメラを使いません。100年耐えるCDがありませんから。ハードディスクに入れておいてもOSが変われば開けなくなってしまう。原始的な保存方法が最も有効ですね。幕末に撮ったガラス乾板の写真は今も鮮明に写っていますし、和紙に墨で書いて桐箱に入れておけば1,000年は保てます。
 
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