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Performing Arts Network Japan
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Artist Interview
The unique appeal of old playhouses   Links to Edo Period theater culture
江戸時代の息吹をつなぐ 芝居小屋の魅力とは
──八千代座では、床板の傷んだ部分を除いてはめ込んだ新しい部材が、ほんの少し出っ張っていました。何年か後には木が収縮して平らになると聞きました。漆の色や壁の漆喰も修復が終わったその時が完成形ではなく、将来の変化を読んで修復するのですね。
 そうした意味で何年後をめどに修復を終えるかというと、5〜10年後ですね。八千代座の高欄はきれいな赤の漆ですが、漆は空気中の酸素と結合して段々鮮やかになっていきます。初めから鮮やかな赤にしておくと5、6年後にはけばけばしい色になってしまう。床板も1枚だけ新しい木に取り替えると、くすんだ中でその部分だけ真っ白で目立ってしまいます。この場合は古色塗りといって、周囲の色となじむように色をつけます。90年間人々が歩いて磨き込んだ板となじむ色にするにはどうするか。現代の塗料は劣化しますから、結局、薄墨を擦り込んで少し灰色にしてから柿渋を塗るだけにしました。10年も使い続ければ、人の足の脂がしみこんで周囲と変わらなくなるだろうと思います。

──八千代座で歩き回り、足の脂を染み込ませると、建物を育てることになる。心が躍りますね。100年生きてきた建物の成長に参加できるのは。
 そう、僕は客と役者を利用して色をつくっているんです(笑)。建物は成長します。コンクリートや鉄は一直線に劣化していくだけですが、木は育ちます。

──修復工事は大建築に、すっぽりと「素屋根」と呼ぶ大きな屋根を掛けて行われました。八千代座は温泉町・山鹿市の観光スポットでしたから、色々地元から注文がついたのではありませんか。
 博物館の展示品のようにしてもらっては困る、興行を続けられる芝居小屋にしてほしいと強く要請されました。金丸座の修復が行われた1970年代初めには、重要文化財の芝居小屋を使う、ましてや客を入れて歌舞伎の興行をするという発想はありませんでした。ですから客席部分に4本の鉄柱を立てて耐震性を強化しました。ところが、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんや沢村藤十郎さんが「ここで芝居をやりたい」と言い出して、1985年に「こんぴら歌舞伎」を3日間やった。

──大変な人気で年々興行日数も増えていきました。「こんぴら歌舞伎」の成功が、各地で廃屋同然になっていた芝居小屋の復活に大きな影響を与えました。保存・再生を目指す市民運動が次々に起こりました。
 文化財保護の考え方も、保存と並んで活用を重視する方向へと徐々に転換していきました。八千代座では添え柱などの補強材や、壁や床の強度を上げる耐震補強をして安全性を高めました。それだけでなく、芝居小屋には現代的な照明設備や音響整備が全くありませんから、床下や屋根裏にケーブルを見えないように引き込んで現代の興行ができるよう補いました。火災報知器や誘導灯も付けました。
 僕は活用には「便利に楽しく」という面と、「安全」という2つの側面があると思います。安全は確保しなければなりませんが、便利にするとはいっても、たとえ今の感覚では不便でも、昔風の使い方、舞台に立つ人も見る人も、昔の人のような使い方に肌で触れることによって、古い時代の楽しさを味わってもらうということが重要だと思いますし、それが芝居小屋の楽しみだと思います。修理をしている時は年配の方が懐かしがって平土間の枡席に座り、若者は椅子席を好むだろうと思っていましたが、オープンしてみると枡席に喜んで座るのは若い人です。現代人には古い方が面白味があるのです。
 
──八千代座の修復では工事の現場を公開しました。これも文化財の活用と言えますね。
 山鹿は観光地ですから、工事を始めた途端、町のシンボルの八千代座を3年も閉じると客が離れる、工期を短縮してくれと言われました。大きな建物ですから延びることはあっても、早く終わることはない。文化財の修復は時間と金が掛かるということをなかなか理解してもらえない。それで山鹿市文化課の皆さんと作戦を練りました。修復工事そのものを見せ物にしちゃえと、工事中に観光客は減らしませんとぶち上げました。素屋根の中に展望ステージを造って、市民見学会を年に8回、完成までに35回やりました。毎回半徹夜でレジュメを作って見学会で説明しましたが、延べ数千人が専門的な話を聞いてくれました。
 展望ステージには毎日多くの見学者が訪れて、稼働していたのは4年弱でしたが、その間の平均的な観光客数は工事開始前と変わりませんでした。工事を見た人は「出来上がったら必ず来ます」と帰っていくんですね。事実リピーターがとても多かったようです。

──国の重要文化財以外にも各地で芝居小屋の保存、活用運動が続いています。
 建物として八千代座や金丸座のようなAクラスの小屋はもうないでしょうね。石川県七尾のでか小屋はファサードがなくなって倉庫同然の外観ですが、地元には一生懸命保存運動をしている人々がいます。旅館として使われていた石川県小松市の粟津演舞場を取り壊し寸前の状態から救ったのは、何とか守りたいという個人の熱意です。
 芝居小屋の保存運動は要するに町づくりです。だから主体は市民。よそ者の僕は旗を振る人の理論的支柱になれればと思ってやっています。ボロボロの姿から華やかな小屋を予想できるのは、専門的な訓練を受けた僕らしかいない。痕跡から復原したらこんなに立派だとイラストを描くことができる。たったひとつの芝居小屋が町づくりを引っ張ることも出来るのです。

──賀古さんをのめり込ませた芝居小屋の魅力とは何ですか。
 芝居小屋を取り巻く人の魅力というのが大きいですね。町の歴史を語る場所を守りたいという熱意に巻き込まれたかな。
 それと、芝居を見る場所としての魅力。芝居小屋は舞台と観客が近いので役者さんの気が伝わって来ます。舞台から見ると、客と客が重なり合っていて、ここでは役者と客の魂が溶け合うと思うのです。
 金丸座の耐震補強のために付けた4本の鉄柱をはずす修理を依頼された時に、思わぬ発見をしました。どうしたら鉄柱なしで屋根を支えられるかの調査の過程で改めて屋根裏を調べたんです。そうしたら、舞台上に残っていた葡萄棚が実は客席の上までずーっと広がっていることが分かった。裏方がお客さんの頭の上まで歩いていける構造になっていて、客席全体に桜吹雪や雪を降らせることが出来ていたんです。葡萄棚は竹をワラ縄で組んだ簀の子ですから蹴飛ばせば広がるので、上にろくろのウインチを用意しておけば、客席に入り込んだ役者を垂らした綱で引き揚げることも出来る。つまり、江戸の小屋は役者と客が渾然一体になれる空間だったんです。金丸座ではその葡萄棚を復原し、屋根裏の鉄骨補強を葡萄棚で隠して本来の姿(江戸時代の内装)に戻すことができました。そういう芝居小屋で一度でも芝居を見たら、大劇場で見る芝居とは全く違う「演劇」を感じるはずです。
 
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