The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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岩渕貞太
岩渕貞太(いわぶち・ていた)
http://teita-iwabuchi.com/
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『Hetero』
横浜ダンスコレクション2012EX
(2012年2月11日/横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール)
振付:岩渕貞太・関かおり
出演:目黒大路・関かおり
view clip『Hetero』(YouTube)
Hetero
Hetero
Hetero
Hetero
Artist Interview
2012.5.15
dance
Creating landscapes with the body – The explorations of Teita Iwabuchi  
身体で風景を立ち上げる岩渕貞太の試み  
コンテンポラリーダンスの新進アーティストの登竜門「横浜ダンスコレクションEX」。8カ国140組が応募した2012年度コンペティションⅠ(作品部門)で最も注目されたのが関かおりとの共同振付作品を発表した岩渕貞太だ。大学時代に演劇や日舞を学び、ダンサーとしてAPE、ニブロール、伊藤キム+輝く未来、Co.山田うん、Ko & Edge.Coなど90年代以降の日本のコンテンポラリーダンスを牽引してきたカンパニーに参加。2005年より自らの振付作品を発表し、今後の活躍が新進アーティストとして期待される岩渕の目指すものとは?
[聞き手:石井達朗(舞踊評論家)]

──「横浜ダンスコレクションEX2012」で発表した関かおりさんとの共同振付作品『Hetero』での「若手振付家のための在日フランス大使館賞」受賞、おめでとうございます。これは男女のデュオ作品で、無音のなかで二人がユニゾンでほぼシンメトリカルに動きます。非常にゆっくりとした動きを一定に保つのですが、驚くほど緻密に構成されていて、真摯に身体の動きそのものに向き合った秀作です。まずは、この作品について話しをうかがいたいと思います。関さんとはどのような分担で振付をしたのですか。
 この作品に関しては、振付から演出まで最初からすべて二人で話し合い、動きながら作っていきました。クリエイションをしていた時期は、ちょうど東日本大震災前後の1カ月ぐらいです。2011年の初演では僕と関さんで踊りましたが、今回は僕のパートを目黒大路さんに踊ってもらいました。

──ダンス作品であるにも関わらず、いわゆる「踊る」シーンが皆無の作品でした。どうしてこういう作品をつくろうと思ったのですか? タイトルのHeteroは「異種」とか「異質」という意味合いのある接頭語ですが、とくにホモセクシャルに対してのヘテロセクシャルということを思い浮かべてしまいます。男女の差異、あるいは男女の性と愛を連想させますが…。
 そうですね。「Hetero」という言葉には色々な意味があると思いますが、僕はそのなかで「異なる」という意味合いに引かれました。 
 もともと僕と関は活動の場が近く、考えや創作上の言語など共有するものも多いのですが、作品のテイストは違う。稽古は、その「違い」をどう作品のなかに立ち上げ、それぞれに考える「女性らしさ」「男性らしさ」を検証するところから始まりました。
 最初は僕の考える女性らしさと、関が考える男性らしさを行き来するような振りを考えていたのですが、稽古を進めるうち同じ振りに近づける時にはみ出て来るものの方が「違い」が強く見えることに気づいた。それで立ち方から動きまで同じものを表現する中で違いを見つける作業を積み重ねていきました。

──それでHeteroというタイトルの割には、一見ユニセックスな印象になっているのですね。衣裳の色や形もほぼ同じでした。つまり衣装も動きも表情も、記号的な意味での女性性/男性性をできるだけ消去した状態で、純粋に身体のムーヴメントの調和に集中する。その均一的な調和の中から「違い」がにじみ出ていました。初演に続いて自分で踊ってみたいという気持ちはなかったのでしょうか?
 自分で踊っていたら、作品の核がなんであるか、照明や演出をなぜこのようにしたかを検証できないままだったと思います。作品を客観視する機会があったからこそ、作品の強度が上がったのだと思います。

──少し話を遡り、岩渕さんがダンスに取り組むようになった経緯を聞かせてください。
 ダンスを本格的に始めたのは大学入学後、19歳の頃です。高校で演劇部に所属していたこともあり、俳優を志して玉川大学に入りました。2年次から本格的な舞台創作の授業が始まるのですが、そこで挫折したというか(苦笑)、舞台上で固まってしまったり、台詞がうまく言えなかった。授業には日本舞踊やリトミックもあったのですが、そういう言葉を使わない表現の方が自由になれる、演劇よりダンスのほうが自分を出せるような気がして、ダンスに興味を持つようになりました。
 それで最初に行ったのが舞踏家の大野一雄さんの研究所です。3カ月ほど大野慶人さんに教えていただきましたが、まだ大野先生もご健在でした。翌年には大駱駝艦の「無尽塾」のワークショップにも3カ月行きました。日本舞踊も学校とは別にお稽古に2年通いました。踊りはやったことがなかったのですが、もともと身体を動かすことは好きで、少年野球、水泳、中学でバレーボール、高校では柔道とスポーツはいろいろつまみ食いしていました。

──岩渕さんのソロを観ていると、踊りのルーツがモダンダンスでもないし舞踏でもないところが強みだと感じていたのですが、日本舞踊の素養、その伝統的な独特の身体性が含まれているんですね。最初に大野さんの研究所を選んだ理由は?
 雑誌「太陽」のアングラ特集で、大野さんや土方巽さん、大駱駝艦など舞踏が紹介されているのを読み、なんとなくその時代やアーティストへの憧れがありました。それと、自分がやりそうもないことに飛び込んだとき、自分がどうなるかに興味がありました。

──大野一雄さんと大駱駝艦では、ある意味で正反対のワークショップだったのではありませんか? 大野さんはどちらかと言えば個人のイメージを大切にし、それを膨らませていった時に湧き出てくるような自然体の動きを追求する。対する大駱駝艦は「振鋳・鋳態」などという造語を使っているように、まずしっかりとした動きのフォルムを追求する。どちらがより肌に合いましたか?
 踊りを始めたばかりのときに大野さんのもとで“イメージする身体”というメソッドを体験したのは、自分にとって非常によかったと思っています。まだ身体もできていなかったので、イメージから身体のボキャブラリーを増やすことを学べて、やりたいことに広がりが出ました。身体に関する興味やチャレンジは今も続いていることですが、そういう意味では古武道からの影響も受けています。

──岩渕さんの経歴で興味深いところは、その後、実に様々な振付家たちの多彩な作品にダンサーとして参加していることです。最初に参加したのはどの作品ですか?
 初めて参加したのは矢内原美邦さんが主宰しているNibrollの『Coffee』という作品です。同じ大学に先にダンスをはじめていた楠原竜也さんがいたので、相談しました。すると「コンテンポラリーダンスというものがあるから、とにかくソレを観ろ」と。それで2カ月で30本くらい観て、ワークショップも受けました。ロビン・オーリンさんのワークショップを受けたときに矢内原さんから声をかけられ、出演することにしました。大学卒業直前の時期です。
 Nibrollの作品のつくり方はそれまで知っていたものとは全く違っていたし、周りの出演者はキャリアがある人ばかりで、「とにかくやらなきゃ!」と必死でした。同時期に楠原さんが立ち上げた集団「APE」にも参加させてもらいました。海外ツアーも行うNibrollと大学を出たばかりのメンバーが多い若いAPEを往復していたので、バランスをとることが難しく、悩むことも多かったです。

──『Coffee』は当時のコンテンポラリーダンスを代表する作品の一つだと思います。その後、伊藤キムのカンパニーにも参加しています。彼は「舞踏」と「コンテンポラリーダンス」の垣根を無効にし、90年代半ばからの10年間、日本のコンテンポラリーダンスを牽引したアーティストです。
 僕は2003年の『階段主義』や『劇場遊園』など、30〜40人が出演する大規模な作品をつくっている時期に参加しました。その後、『壁の花、旅に出る』というパーティ形式の作品と、伊藤キム+輝く未来の最後の作品『未来の記(しるし)』に出演しました。
 キムさんは僕にとって憧れでした。世田谷パブリックシアターでの『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』『抱きしめたい』を観て、「コンテンポラリーダンスの頂上はコレだ! キムさんの所に入ればダンサーとして一番だ!!」と思ったんです。当時はまだ自分をダンサーとして認識していたので。

──古川あんずという舞踏家が伊藤キムの師匠です。伊藤キム作品での仕事、そして大野一雄さんの研究所でも学んでいるということからすると、岩渕さんは舞踏とも浅からぬ関係がありますね。舞踏をやろうとは思わなかったのですか?
 思いませんでした。「無尽塾」の卒業公演で自作を発表したこともありますが、「岩渕君は大駱駝艦とは違うでしょう」と言われましたし、自分でもそのことには薄々気づいていました。舞踏をずっとやっていくイメージが持てませんでした。

──その後、山田うん作品を経て、室伏鴻へとたどり着くのですね。
 はい、山田うんさんの作品では『W.i.f.e.』『ワン◆ピース』の二本立て公演と、『ges(ゲス)』『ドキュメント』に参加しました。室伏さん作品との出会いは、2007年夏の「踊りにいくぜ!!」のアジアツアーの際にダンサーを探す内々のオーディションがあり、参加することになりました。その時は、専ら目黒大路さんや鈴木ユキオさんに教えてもらいながら踊りましたが、08年の「ジェイコブス・ピロー・ダンス・フェスティバル」に『DEAD1』で参加したときに初めて室伏さんから本格的に指導していただきました。

──どこかのカンパニーに所属してダンサーとして活躍する道もあったと思いますが、どうして振付をするようになったのですか。
 05年ごろ「伊藤キム+輝く未来」の仲間30人くらいと、会場を借りて2日間5〜6本立てで公演しようということになった。それまでの僕は自分は絶対にダンサーだと思っていました。ダンサーが最後には振付家になるというのが、決められたコースになっているように思えて、「ダンサーでいいのに、何故つくる人にならなくちゃいけないんだろう?」みたいな反感を持っていた。けれどその自主公演に誘われた時は、自分がつくる側になるとは思っていなかったからこそ気軽にやってみようと。それで初めて、今ドイツにいる畦地亜耶加とのデュオ作品『Smoke』を振付ました。
 これが思いの外評判が良く、「もう一作くらい……」という気持ちが芽生えた。するとダンス評論家の乗越たかおさんが「ダンスがみたい!」の批評家推薦シリーズで推薦してくださり、デュオの『Mint』とソロの『double』を二本立てでつくりました。
 07年には関さんや周囲の同世代のアーティストに呼びかけて集団「群々」で自主公演をやるようになりました。並行してソロ公演をやったり、室伏さんの作品にもダンサーとして出演していたので、何が何だかわからない状況でした。08年に、横浜の急な坂スタジオ・STスポット・のげシャーレの共同事業としてはじまった「「坂あがりスカラシップ」の第1回に選ばれてから本格的に創作をするようになりました。

──自身の作品をつくりはじめてから、それまでダンサーとして出会った振付家の影響を感じることはありますか?
 初めての作品はNibrollの影響が強かったというか、お手本にしていた感じがあります。キムさんやうんさんについては先輩として尊敬していますし、踊りに携わる姿勢について多くのことを学びました。今の僕の身体ボキャブラリーや作品というものの考え方で一番影響が大きいのは、やはり室伏さんだと思います。
 室伏さんは舞台上に身体を置くことについてすごく真摯に疑ってかかっている方ですから、どのように身体を置くかについてしっかり考えざるを得なくなった。ツアー中に鈴木ユキオさんとも喋る機会がありましたが、「室伏さんの作品に出ると『自分は何をやればいいのか?』をいつも問うことになる」と。「踊らなくていいんじゃないか? 何でそんなことをやるんだ? 踊らないダンスもあるだろう?」みたいなことを常に言われながら踊ることになるので。僕も全く同感です。

──確かに岩渕さんの作品は、身体の内側に向かうエネルギーを安易に発散せず、逆に凝縮させながら全体をつくっていく印象があります。初めて音楽家の大谷能生さんと組んで音と身体の関係を探った『UNTITLED』(STスポット/2010年)などまさにそうで、非常に力強い作品でした。昨年、世田谷美術館のエントランススペースで発表した『錆び』では、意識が身体の内側に向かうだけでなく、壁や床、その空間の空気と自分の身体との間に起こりつつある相互作用にも向かっていました。それが空間と時間との関係をより大きく展開させました。
 あれは良い時期にいただいたお話しでした。それまでは本当に自分の身体のことしか考えていなかったのが、その身体で何ができるか、そのために身体の構造をどう変えるかということに集中して創作できた。劇場ではない場所で「あなたならここで何をやるか?」という問いかけをもらったことが良い刺激になりました。空間を構成する素材、普段はどんな人が訪れ、どういう役割を果たす場所かなど、この企画を担当した世田谷美術館の塚田美紀さんに色々話していただきました。
 劇場外での創作というのは僕の中にあまりないイメージだったのですが、結果的には照明の木藤歩さんや音響の堤田祐史さんなど、プランナーとのコミュニケーションも含めて、自分が環境によって相当左右されることに気づきました。空間を上手に使うというのではなく、自分の身体を「触媒」としてその空間に入れることで何が起こるかに興味がある。『Hetero』ではないけれど、その場に僕の身体を置いた時にどうしても滲み出してしまうものを身体に反映することで作品にしたい、と思っています。
 僕の興味の根本は、やはり身体なんです。美術館での公演をやってみて、身体に対する興味がさらに広がったと思います。

──身体は身体のみでは存在できず、必ず空間の中に在るわけですから、空間によって身体の在り方を問うことはとても重要なことだと思います。その意味で、2011年にアサヒ・アートスクエアで発表したソロ公演『雑木林』は、岩渕さんにとって現時点の集大成だったように感じています。
 『UNTITLED』で身体に、世田谷美術館で空間に向き合って発見したことを、『雑木林』でもう一度検証するという感じで取り組みました。この作品は、『UNTITLED』の中の一部分を音楽の大谷さんとリクリエーションしたものですが、全然形が変わったため新作として発表しました。

──どのような創作過程だったのでしょうか。
 大谷さんと進めているのは「音と身体の関係」を探ることです。僕の身体に対する強い興味は一貫して変わらないのですが、『錆び』を経て、身体で自分が本当に何をやりたいのか、何をしようとしているのかを改めて検証しようと思いました。
 僕は基本的に物語や人の感情的な部分と踊りを繋げて作品をつくることはしません。でも身体だけでは何も立ち上がってこない。そこで空間と僕の身体に音楽を加えることで、何らかの「風景」が立ち上がってくるのではないかと考えました。物語に沿って見える情景でも、僕個人の感情でもなく、身体と音楽、明かりや音響も含めた空間があることで、どんな「風景」が表れるか、それを追求することにトライしたいと思いました。
 大谷さんとの創作のプロセスは、まず僕がコンセプトを立て、大谷さんとミーティングを重ねていきます。大谷さんは音楽家であり批評家でもあるので、コンセプトも一緒に見直してもらっています。『雑木林』では、「風景」というキーワードを最初に僕が提示して、それをどう実現するか、身体と音楽の関係はどういうものかなどを話し合いました。その後、約1カ月ぐらいかけて僕ひとりで稽古場に籠もって幾つかのパーツをつくりました。始まりも終わりもなく、とりあえずやりたいパフォーマンスのパーツをつくり、それを大谷さんに見せて、稽古場に音楽機材を持ち込んで何日かセッションしました。音だけではなく、動きの理由やその善し悪しの検証をセッションを介して行うスタイルでクリエーションを進めていきました。

──そういう『雑木林』の後で『Hetero』が生まれたことが意外に思えます。『Hetero』では音の環境としては呼吸音が数回入るだけでほぼ無音で、静謐なテンポが一定しています。バランスのとれた動きを緊張感を保ちつつ持続して、物語や感情を匂わせるものをまったく表出させないですね。
 僕の中では共通したテーマがあって。それは自分の身体を動かす時に常に“中間”ということを考えているということです。音楽と自分の関係における中間だったり、重心の中間だったり。古武術では身体のどこにも支点をつくらないのですが、それはそういう動きがあるというのではなく、すごく複雑なプロセスで中心をつくらないんです。僕もそういう中心をもたない中間の身体を目指していて、自分の作品をつくるときも(身体と振付の中間でいたいので)明確な振りの形を決めない。「形としての振付がない」と言うほうが適当かも知れませんが、そういう意味では『雑木林』も『Hetero』も同じです。

──どうしてそういう「中間としての身体」を目指すようになったのですか。
 それは自分の経験が影響していると思います。ひとつは思春期の頃、友人をすごく傷つけたことがあって、それ以来、本心から距離をとって理性的でありたいと思うようになりました。でも自分を止められないことがあるなら、それはどうしようもない本心なのだろうと。そういう瞬間がスポーツをやっているとき、身体を使い込んでタガがはずれる瞬間にはあったんです。
 それと僕らの世代では個性的な「キャラ」とか、マイナーな「裏キャラ」とか、キャラという言葉をよく使っていました。だけど、そういうキャラが自分にはなくて、すごく普通だと感じていた。大きな物語も事件も事故もなくて、人にわかりやすく伝えられる押し出しがない。それならいっそ、普通であること、誇張しないでそのままでいることを突き詰めたらどうなるだろうと思うようになりました。キャラじゃないといって拒否しないで、全部飲み込めたら、ある種の怪物的な何かになれるかもしれない…。
 そういう思春期の思いと、支点をもたないという古武術で学んだことが一緒になって、中間としての身体を目指すようになったのではないかと思います。

──「支点をもたない」と言う時、動きや身体における物理的な意味と、メタフォリカルな意味の両方があるように思います。意図的なキャラとか表面的な見栄えを捏造したりせずに、あるがままの虚飾のない身体に真っ正面から向き合う岩渕さんの創作姿勢は、メタフォリカルな意味で「支点をもたない」と言えますよね。
 そうですね。天才的なクリエイターは当然いますが、そうでない自分がどうやって拮抗する表現を立ち上げられるのか、ということは常々考えています。才能ということに対して「自分は才能をもっていない」という考えからスタートしようと思った部分があって。才能に憧れたり、自分にもあるんじゃないかと期待したりしないで、自分が現実的に興味をもって取り組めるのは何で、それをどれだけ掘り下げられるかを追求しようと。同時に「何にでもなれたらいいな」「自分が固まることによって自分の生きる可能性が減る」「何者でもないから何にでもなれるのではないか」という発想ももっています。もちろん努力は必要ですが、そのうえで「自分はこれだ」と簡単に決めず、全部飲み込んでから考えたいと思っています。

──ソロやデュオ作品は数多くつくっていますが、グループ作品をつくることに興味はありませんか?
 チャレンジしてみたい気持ちと、慎重にしたい気持ちの両方あります。身体に強く執着し、自分の身体を元につくり続け、今やっと空間に向きあえるようになってきた。この段階が必要かどうかわからない部分もありますが、それが振付にも反映できたと思えたのが『雑木林』なんです。振付の形は決まっていないけれど、これなら他の人に振付を渡せるかもしれないと思えた。次の段階としてはそれを他の身体に移した時どうなるかを見極めたい気持ちもあります。
 ただ、できるだけ自分を閉じない方向でいきたい。どんなものが投げ込まれても、自分に何が起こるのかを楽しみたいんです。ソロだけやっているとそれが自分の枠になってしまうのと同じように、美術館でのパフォーマンスや海外の人とのコラボレーションも枠になってしまう感じがするので、こうなるべきという枠を決めるのではなく、できるだけいろいろなことが自分の身の上に降り掛かってくると良いなと思っています。

──踊ること、創作することを通して岩渕さんより若い世代のクリエイターに伝えたいことはありますか?
 表現は難しいのですが、色々な物事に素直であると同時に疑っていてほしい、ということでしょうか。自分でもいつも考えている、矛盾を孕むことなんですですが、強く物事を信じる、何かを良いと感じると同時に、そこに必ず疑いが差し込まれていたほうが創作の可能性が広がると思うんです。頭から信じてしまったほうが幸せなこともあるかも知れない。でも少しだけ、疑って引くのではなく対象に入り込みながらも疑いを捨てず、いつも何かに引き剥がされるような問いを持ち続けて欲しい…というか、自分がそう在りたいのと、そういう人の作品を観たり話したりした時に強いもの・信じられるものを感じられる気がするので、そう思うだけなんですが。
 疑いのない純粋さにのみ向かいそうな若いクリエーターを見ると、そのエネルギーと同時に相反するものを同じだけのエネルギーで持っていれば、さらに豊かな創作ができるのにと思います。
 
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